ゆで卵を例に
タンパク質溶液の状態を調べる方法
タンパク質溶液の状態を調べる方法
タンパク質は昔も今も扱いが難しく、冷蔵庫に保存しても失活したり凝集したりしますが、ではいったい、どのくらいのクオリティで理解でき、制御できるのか、とりわけ食品や医薬品、美容品などの産業の分野では興味のある論点だと思います。このページは、ゆで卵をモデルに、砂糖や塩などにどう影響を受けるかという、ありふれた事例でこの分野の雰囲気を紹介します。
ゆで卵を作ってみます。そのときに砂糖や塩、アミノ酸を入れてみます。
具体的には、濃度5 mg/mLの卵白タンパク質溶液を調製し、0.5 Mの添加剤(塩化ナトリウム、スクロース、アルギニン)をそれぞれ含むリン酸緩衝液(pH 7.4)に溶解しました。対照群として、添加剤を含まない卵白タンパク質溶液も同時に準備しました。各試料を約3 mLずつ試験管に分注し、90 ℃の恒温水槽中に浸漬して加熱しました。
添加剤を加えていない試料では、加熱開始からおよそ10秒で白濁が生じ始め、30秒程度で溶液全体が不透明な白色へと変化しました。これは、卵白タンパク質が熱変性によって疎水性領域を露出し、分子間で凝集・会合して光を散乱する1 μm以上の大きさに達したことを意味します。添加剤を加えた試料では、凝集の開始時期や進行速度がそれぞれ異なりました。砂糖を入れると卵白の凝集は大きくなっているように見えますが、塩を入れると小さな粒ができています。アルギニンを入れると数分程度の加熱では全く凝集しているようには見えません。ありふれた物質を添加するだけで、卵白の固まり方がかなり違います。
この現象をどのように理解すればよいのでしょうか。以下に観察された挙動と、その推定されるメカニズムを概説します。
タンパク質は加熱によって立体構造(天然構造)が壊れ、疎水性の領域が露出します。これらの疎水性領域は本来、分子内部で水から遮蔽されていますが、変性によって外部に現れることで、他の分子の疎水性領域と相互作用し、分子間で会合が起こります。その結果、モノマーから可溶性オリゴマーへ、さらに白濁して見えるほどの大きな凝集体へと成長していきます。加熱中、凝集体は徐々に大きくなりますが、しばしばある粒径(数百ナノメートル〜数マイクロメートル程度)で成長が飽和します。これは、凝集体表面における疎水性パッチが減少し、さらに表面電荷や吸着した水分子による静電的・立体的な反発が働くためです。また、大きな凝集体は沈降や沈殿によって溶液中の有効衝突頻度が低下することも、成長停止の一因となります。
タンパク質溶液の加熱を止めると、熱変性によってアンフォールドしていた分子の一部は、熱力学的に安定な天然構造に自発的に巻き戻るものもあります。しかし、多くの場合、すでに凝集核や会合体に組み込まれた分子は、エネルギー障壁のために元の構造に戻ることができず、そのまま凝集体として残ります。その結果、タンパク質の加熱凝集には、可逆的な凝集と不可逆的な凝集の両方が存在します。
加熱直後の変性分子は、まだ疎水性領域が露出しただけの「モノマー変性体」や小さな可溶性オリゴマーとして存在します。この段階では、分子間結合が比較的弱く、外部条件を変えれば天然構造へとリフォールディングできることもあります。しかし、いったん凝集体が形成されると、分子間の疎水性相互作用やジスルフィド交換反応が進み、凝集状態が固定化されます。そのため、タンパク質の凝集を抑制したい場合には、凝集が起こる前にタンパク質の溶液状態を制御する必要があります。
塩化ナトリウムを添加した卵白溶液では、凝集の開始時期は添加剤を加えていない卵白溶液とほぼ同等でしたが、白濁はより速く進みました。これは、溶液中のNa⁺およびCl⁻イオンが卵白タンパク質表面の静電反発を遮蔽し、分子間の接近を促進したためだと考えられます。この働きは静電遮蔽効果と呼ばれます。卵白タンパク質の主成分であるオボアルブミン、オボムコイド、オボトランスフェリンはいずれも等電点がpH 4から6付近にあり、今回の実験条件であるpH 7.4の溶液中では負電荷を帯びています。そこにイオンが存在すると、この負電荷間のクーロン反発が緩和され、疎水性相互作用が優位となり、凝集が促進されたと考えられます。
スクロースを添加した試料では、加熱後の凝集開始はやや遅れましたが、その後の凝集進行は速く、数分以内に試験管底部に大きな沈殿の塊が形成されました。スクロースは高分子やタンパク質に対して排除体積効果をもたらし、タンパク質を沈殿させる作用が強いことが知られています。また、スクロースは水和水を強固に保持するため、タンパク質の立体構造を安定化する一方で、熱変性が始まると凝集体形成を加速する二面的な作用を示します。本実験においても観察されたように、変性後の分子間会合はむしろ促進され、大きな凝集体へと成長したと考えられます。
アルギニンを添加した試料では、加熱してもほとんど白濁が認められず、凝集が顕著に抑制されました。この結果は、他の試料が1分以内に完全に白濁したのとは対照的でした。アルギニンはタンパク質の汎用的な凝集抑制剤として知られており、側鎖のグアニジニウム基がカチオン–π相互作用や疎水性相互作用を介して芳香族アミノ酸残基や疎水パッチに結合し、分子間会合を阻害します。また、アルギニンは水和殻の構造を変化させ、タンパク質間の非特異的相互作用を弱める作用も持っています。これらの効果によって、熱変性が生じても可溶性状態が長く維持されたと考えられます。
卵白の加熱実験で観察された添加剤の効果は、卵白特有の現象にとどまらず、他の多くのタンパク質系や、加熱以外のさまざまな凝集現象にも応用可能です。タンパク質の凝集に影響を与える分子機構は多岐にわたりますが、大きく分類すると、(1)静電的相互作用を調節する添加剤、(2)水和や排除体積効果を介して構造安定性や凝集傾向を変化させる添加剤、(3)直接的に分子間相互作用を阻害する添加剤の3タイプに分けられます。以下に、それぞれのメカニズムの概要を述べます。
本実験で用いた塩化ナトリウムのような電解質は、タンパク質分子表面の電荷に作用し、分子間の静電的反発を低減します。これは静電遮蔽効果と呼ばれ、数十 mM程度の低濃度でも顕著に現れます。今回の実験では500 mMという高濃度条件で実施しましたが、50 mM程度のイオン強度でも同様の効果が得られることが多いです。日常的な実験操作においても、緩衝液組成や塩濃度を無意識に設定してしまうことがありますが、生理的イオン強度(約150 mM)と純水条件とでは凝集のしやすさが大きく異なるため、再現性や安定性の観点から慎重な設計が必要です。また、イオンは1 M程度の高濃度になると、タンパク質に結合しやすいカオトロープと、結合しにくいコスモトロープの性質を示し、それぞれ「凝集抑制剤」や「凝集剤」と似た特徴を示す場合があります。
スクロースのような糖質は、一般に凝集剤として知られています。これらはタンパク質に直接結合するのではなく、水分子との強い水和相互作用を介して作用します。具体的には、溶液中の水の自由度を低下させることで、タンパク質分子同士の接触確率を高め、排除体積効果を発揮します。糖質以外にも、中性高分子(ポリエチレングリコール、デキストランなど)、コスモトロープに分類される無機イオン(硫酸アンモニウムなど)、さらにオスモライト(トレハロース、グリセロールなど)も類似の作用を示すことがあります。これらは、低温や常温下ではタンパク質の天然構造を安定化させる一方で、熱変性が始まると凝集成長を促進するという二面的な効果を示すことがあり、タンパク質溶液を設計する際にはそのバランスが重要となります。
アルギニンは代表的な凝集抑制剤であり、側鎖のグアニジニウム基がタンパク質表面の芳香族残基や疎水性パッチと相互作用し、分子間会合を阻害します。また、水和殻構造の変化や弱いカチオン–π相互作用によって、非特異的凝集の初期段階(核形成)を遅延させる働きもあります。この性質はバイオ医薬品製剤の開発において広く利用されており、可溶性を維持したまま高濃度製剤を調製する際に有効です。このように、水に馴染みやすい領域と馴染みにくい領域を併せ持つ低分子は、ハイドロトロープ(hydrotrope)と呼ばれることがあります。そして、その特徴が極端になったものが界面活性剤です。
タンパク質の溶液に関して、色々な立場から色々な疑問があると思います。タンパク質を室温で1年間も保存できるようになるのでしょうか? 酵素はもっと活性化できるのでしょうか? モデルタンパク質で理解されたことが、抗体にも使えるのでしょうか? 緩衝液はこれでいいのでしょうか? 特許文献を真似てアミノ酸を入れてますが、いったい何のために入れてるのでしょうか? タンパク質の粘度はどうやって制御できるのでしょうか? タンパク質をフィルターに通すと詰まってきますが、うまく調整できるでしょうか? または、もっと具体的に、年齢髪にやさしいシャンプーや、舌触りのよいヨーグルト、タンパク質の保存キットなど、作ってみたい、などということがあると思います。
一般的な技術的なセミナーは、次のような構成にしています。最初のパートが、ゆで卵の話です。
◆卵白の凝集と添加剤
卵白の加熱凝集
アルギニンの効果
糖質の効果
イオンの効果
◆凝集抑制剤の化学構造
アルギニンを改良する
最小の凝集抑制剤
凝集抑制剤の構造と考え方
◆凝集抑制剤のメカニズム
イオン
ホフマイスター系列
アルギニン
アルギニンとリシン
アンモニウムイオン
ポリアミン
尿素と塩酸グアニジン
エタノール
アルコール変性
界面活性剤
ポリエチレングリコール
糖質
◆タンパク質の沈澱剤
糖質とイオン
ポリマー
アルコール
◆緩衝液の効果
緩衝液の添加剤としての効果
緩衝液のpHの温度依存性
デアミデーション
リン酸緩衝液の特徴
◆粘度の制御
粘度の単位
粘度の計測のイメージ
抗体の粘度の制御法
アルブミンの粘度の制御法
◆水溶液中でのタンパク質の安定化
加熱凝集
加熱失活
デアミデーション
アンモニウムイオン
共凝集
リフォールディング
◆添加剤アルギニンの応用
芳香族分子の溶解度の改善
抗体の粘度の低減
ポリスチレンへの吸着の抑制
結晶化の補助
アラントインとの比較
ヒダントインによるIgGの凝集抑制
◆アミノ酸の性質
アミノ酸の化学構造
アミノ酸の溶解度
アミノ酸の疎水性
◆蛋白質立体構造の熱力学的分析
水中と真空中でのフォールディング
タンパク質立体構造の二状態転移
ギブス自由エネルギーの算出
エンタルピーの算出
熱力学パラメータを考える
◆バイオ医薬品への応用例
タンパク質高分子電解質複合体
リエントラント凝縮
オパレッセンス
ガラス様透明濃縮物
水性二相溶液
◆産業的応用の例
卵白の成分
アルギニンによる凝集抑制
ホフマイスター系列の応用
共凝集の考え方
共凝集での凝集抑制
タンパク質の凝集と相分離
◆酵素の活性化技術
酵素の実験系
活性化の産業的なニーズ
コスモトロープによる活性化
コスモトロープによるキモトリプシンの活性化
コスモトロープによるHRVプロテアーゼの活性化
低分子アミンによる活性化
高分子電解質による活性化
多量体の安定化による活性維持
◆酵素活性の熱力学補償
サバティエの法則
セルラーゼの活性
ホスファターゼの活性
チロシルtRNA合成酵素の活性
◆酵素の液-液相分離と活性化
液-液相分離と酵素活性化の概念
翻訳後修飾
分子の選択制と創薬への応用
乳酸酸化酵素の活性化
クラスターによる400倍の活性化
アデニル酸キナーゼの活性化
液滴形成と粘度低下
タンパク質溶液を主役として考える生物学を「相分離生物学」と名付けています。細胞の中に起こっている現象は、分子を精密な機械ととらえるだけでは理解できない現象や状態が多いです。
単純な原核細胞から複雑な真核細胞へと進化できたのはなぜか? 何百も何千もある複雑な代謝がなぜ混線せずに進むのか? 危険なプリオンが種を超えてなぜ保存されてきたのか? 多様な分子が高濃度含まれたような状態でなぜ特定の反応が効率的に進むのか? 構造を持たず機能もないはずの天然変性タンパク質がなぜたくさんあるのか? シグナル伝達はなぜいったん情報が集約するような流れ方をするのか? 無駄なように思える多くの繰り返し配列や何箇所もあるリン酸化部位は何をしているのか? 細胞内のATPは、エネルギー通貨として働くには無駄なほど多く存在するのはなぜか? そもそも、細胞内にはこれだけ高濃度のタンパク質があるのはなぜなのか? このような疑問は、タンパク質溶液を理解すると答えることができます。
相分離生物学に関する集中講義や、長めの講演会などは、次の構成のいくつかを取り上げています。同名の教科書を出版して5年が過ぎ、「相分離メガネ」のピントも時代にあわせています。
◆相分離生物学とは
・細胞内にあるオルガネラと非膜オルガネラ
・膜のないオルガネラから名前のないオルガネラへ
・生体濃縮体(相分離液滴)の多様な機能
◆タンパク質の液-液相分離
・タンパク質の液-液相分離の再現実験
・相分離液滴への低分子の効果
・相分離液滴から凝集体への成熟
・高分子の液-液相分離
・天然変性タンパク質の相分離に関する総説
・相図の見方
・2つのタイプの液-液相分離
・試験管内と細胞内の液-液相分離の特徴
・タンパク質の液滴・ゲル・凝集体
・低分子とポリアミノ酸による液-液相分離
・細胞内の相分離
◆細胞内にあるLLPSの例
・スーパーエンハンサー
・ヘテロクロマチン
・ヘキサンジオールの特徴
・ヒストンH1に関する議論
・染色体は溶けているのか?
・cGASが関連する自然免疫の応答
・翻訳阻害のモデル研究
・抗がん剤の核内への溶け方
・リン酸化と脱リン酸化
・翻訳後修飾による相分離制御モデル
・生体膜表面での相分離モデル
・新型コロナウイルスと相分離
・オルガネラと非膜オルガネラの協働
・RubisCOと炭酸固定
◆代謝と酵素の関係
・代謝マップ
・なぜ反応が混線しないのか?
・酵素の連続反応はどのように生じるのか?
・メタボロン仮説
・再注目されるメタボロン
◆技術としての酵素活性化
・酵素の実験系を再考する
・ホフマイスター系列
・コスモトロープによる酵素のkcatの増強
・酵素の立体構造と活性化
・低分子のアミン化合物による活性化
・高分子電解質による活性化
・ポリアミノ酸による乳酸脱水素酵素の安定化
◆液-液相分離と酵素活性化
・液-液相分離と酵素活性化の原理
・酵素の連続反応の再現実験
・ポリリシンはATPやNADPと相分離する
・乳酸酸化酵素とポリリシンの液滴による酵素活性化
・液滴の硫安による形状の変化
・乳酸酸化酵素はクラスターで2桁も活性が増加する
・尿素によるアデニル酸キナーゼの活性化
・液滴による脱リン酸化活性のあるペプチドの活性化
・酵素の活性によって液滴の粘度が下がる
・酵素のフォールドした領域と液-液相分離
・酵素本来のあり方から考える
◆創薬へのアプローチ
・相分離液滴の分子選択性
・低分子の相分離液滴への溶解予測
・乳がんのターゲットとしての液滴
・液滴への抗生物質の取り込み
・液-液相分離の歴史と核膜孔
・ヘキサンジオールの発見
・液滴フィルター
◆アルツハイマーの抗体薬はなぜ開発できないのか?
・タンパク質はアミロイドになる
・仮説 / 生体内と試験管内でアミロイド形成
・液滴からアミロイドへの伸長 / αシヌクレイン
・アミロイド仮説がなぜ正しく機能しないのか
・やわらかい凝集体に毒性がある
・アルツハイマー病患者のAβ線維のクライオ電顕像
・酵母プリオンタンパク質
・相分離と凝集のトレードオフ
◆低分子とタンパク質による溶液状態
・卵白の加熱凝集
・タンパク質凝集抑制剤としてのアルギニン
・液滴は低分子でも制御を受ける
・ATPはハイドロトロープ
・「溶ける」とは
・天然深共晶溶媒
・尿素とTMAO
◆構造生物学から相分離生物学へ
・ミオグロビンの立体構造
・構造機能相関
・構造生物学の到達点
・アドレナリン受容体の結晶構造
・タンパク質データバンク
・天然変性タンパク質
・ヒトタンパク質の約半数は天然変性
・タンパク質ルールの崩壊
・一対一の相互作用による見方
・ローゼンらの発見
・マックナイトらの発見
・ハイマンらの発見
・RNAは相分離性もコードする
・相分離生物学の位置付け
◆2024年のノーベル化学賞
・de novo designの時代へ
・蛍光を発する人工タンパク質
・20万種類を超えたタンパク質の実験構造
・AlphaFold2の登場
・AlphaFold DataBase
・AlphaFold3と複合体の予測
・逆フォールディング問題
・40種類を超えるAIモデル
・RFdiffusion
・タンパク質を自在にデザインできる時代へ
◆ポスト相分離生物学に向けて
・蛋白質の凝集と相互作用
・蛋白質溶液状態の制御
・ハイドロトロープと低分子の役割
・「溶ける」とは?