一般的に、常温環境下において大規模な荷重が加わると、金属材料は弾性変形から塑性変形となり、最終的に延性破壊に至ります。ここで、弾性変形におけるひずみは約2%なのに対して、塑性変形では100%以上となるため、延性破壊は大きな変形を伴う破壊現象となります。一方、低温環境下において金属材料は弾性変形から、塑性変形が生じることなく、一機に脆性破壊に至ります。また、一度の荷重で破壊に至らない程度の小規模な荷重であっても、繰り返し荷重を負荷と除荷を交互に続けると、材料内部に損傷が徐々に蓄積して疲労破壊が発生します。さらに、疲労破壊は破断までの繰り返し荷重の回数や塑性変形の有無によって低サイクルと高サイクル疲労に分類されます。以上のように、材料の破壊と言っても、力学的な作用による違いだけでも脆性破壊・延性破壊・疲労破壊などの様々な現象が生じます(下図)。さらに、力学的な作用だけでなく、腐食や水素による化学的作用を伴う破壊現象も発生します。そのため、本研究室ではあらゆる材料における種々の破壊現象を対象として、その個々の現象だけでなく、最終的には1つの破壊現象から異なる破壊現象へ遷移した複合的な現象も含めて、力学的に矛盾なく、網羅的に扱える枠組みを構築したいと考えています。例えば、「通常時には振動などの疲労破壊によって材料内部に損傷が蓄積し、その後に想定外の地震によって延性破壊に至る場合」や、「温度変化によって延性破壊から脆性破壊に遷移する場合」です。
本研究室における研究目標の1つは破壊の過程を予測可能な数値シミュレーションの開発ですが、破壊という物理現象は、古くはレオナルドダヴィンチの時代から現代に至るまで世界中の学者によって研究されてきましたが、未だに決定的な解決策が存在しない学術的に大変面白い研究テーマです。一方、“モノが壊れない”ということは安全性を確保するためにも、工業製品における最低限の品質を保証する意味で工学的に重要な要素となります。そのため、世界中で未だに多くの研究が行われている分野であり、極端な言い方をすると、破壊現象のメカニズム解明は固体力学分野の材料に関する研究における最終的な到達点の1つであると言えます。破壊の問題が難しい要因はいくつか存在するため、詳細については以降の段落に記載しますが、単純に考えても破壊に至るまでの変形挙動が正しく捉えられていなければ、メカニズム解明は到底不可能であるということは想像に難くないと思います。
まず、破壊現象に対する根本的な力学理論や数値シミュレーション技術において解決すべき研究課題があります。固体力学・流体力学・電磁気学などの基礎となっている連続体力学では、変位などの物理量の場は物体内部において連続的に変化する連続体として理想化されます。しかしながら、破壊現象では物体内部にき裂が発生・進展するため、変位場が不連続となり、さらにその不連続な場が時々刻々と変化する問題を扱うことになるため、連続体であるという大前提が厳密には成立しません(下図)。さらに、固体力学の数値シミュレーションの手法として最も有名な有限要素法も連続体力学を基礎として、要素内部を1つの連続体であると仮定して積分計算を行うため、要素内部に不連続性が生じることは許容されません。そこで、本研究室では連続的な場に不連続性が生じる過程を扱うための力学理論の創成、および数値シミュレーション技術の開発を行っています。
次に、破壊現象ごとに生じる問題に起因した研究課題も存在します。例えば、延性破壊や低サイクルでの疲労破壊の場合には、大規模な塑性変形が生じるために有限変形理論や塑性論を扱う必要があります。ここでは詳しい理論については割愛しますが、固体力学には真ひずみや真応力のように基準となる物体の形状変化まで考慮した有限変形理論と、公称ひずみや公称応力のように物体の形状変化を無視した微小変形理論があります。たとえば、座屈の問題について学習していれば有限変形理論にも触れている可能性はありますが、学部や学類で習う材料力学のほとんどが微小変形理論に相当します。また、材料学などで多少触れていますが、塑性変形は加わった荷重の履歴に応じて変化する非常に複雑な物理現象であるため、その変形を表現する弾塑性モデルの研究だけでも1つの分野が形成されるほどの難問になります。一方、脆性破壊や高サイクルでの疲労破壊では小さな変形しか生じないため、微小変形理論や古典的な弾性論が適用できます(いわゆる、学部や学類で習う材料力学の範疇となります)。しかしながら、脆性破壊や高サイクルでの疲労破壊の実験結果にはバラつきが発生するため、確率論を用いて評価する必要があります。その他にも、水素脆化のような化学作用を伴う破壊現象であれば、水素など化学種の濃度についても知る必要があるため、化学種の拡散と材料の変形といった異なる物理現象が複合したマルチフィジックスの問題となります。
以上のように、破壊現象に対する根本的な力学理論や数値シミュレーション技術的課題や、破壊現象ごとの固有の課題に対して研究テーマ をそれぞれ設定して、本研究室では研究を進めています。
前述のような破壊現象における研究課題を解決するためには、数値シミュレーションだけでなく、理論や実験に関する研究の3つの側面から総合的に研究を進めていく必要があると考えています。なぜならば、3つの側面を総合的に俯瞰することで、1つの側面からだけでは見えなかった事象がわかってくることもありますし、1つの側面では重要だと認識していたことが実際には現実的でない場合やより簡単に解ける場合もあるからです。例えば、理論的に解くことが困難であった微分方程式も数値シミュレーションで簡単に解ける場合、数値シミュレーションの高精度化を追求していても実験してみると実際の現象はバラつきが大きい場合、実験的には理解できなかった事象も理論的に考えるとわかる場合もあります。また、数値シミュレーションや理論的な研究を行っているからと言って実験を一切やらないと、実際の物理現象を把握していない訳ですから、工学者としてのセンスは養われないと思います。逆に、理論や実験だけというのもコンピュータやインターネットワークがこれだけ身近な現代社会に即してるとは言えない気がします。同様に、数値シミュレーションと実験だけで、それらの基盤となる力学や数学の理論を知らないと、1つの問題だけは解決できても、その他の問題にも応用できるような普遍的な本質を見出すことは難しいでしょう。そのため、当研究室では数値シミュレーションに軸足を置いていますが、理論や実験的な研究も必要に応じて総合的に取り組むように心掛けています。
本研究室では、破壊現象のメカニズム解明のためにミクロスケールの数値シミュレーションを解析し、さらに実験と比較可能なメゾスケールの基礎研究として積み上げることで、最終的にはそれらの成果を原子炉や橋梁などの実構造物に適用する応用研究までを視野に入れて研究を進めています。具体的には、金属材料の場合には数百マイクロの結晶粒によって構成され、「結晶粒の内部では原子のすべりなどの塑性変形や、原子間の分離によって生じる破壊挙動」および「結晶粒界における化学種などの拡散」が発生します。しかし、これらの数百マイクロメートルレベルにおけるミクロスケールの現象を実験で測定することは困難なため、数値シミュレーションを用いて破壊現象のメカニズムを探求するしかありません。一方、数値シミュレーションの妥当性の検証のために、試験片のサイズである数百ミリメートルレベルにおけるメゾスケール解析を実施し、実験との比較も行っています。また、如何に優れた研究成果であっても実際に社会で役に立たなければ意味がない訳ですから、実際の原子炉構造物や橋梁である数百メートルレベルでのマクロスケールの数値シミュレーションを実施することで、その有用性について検討しています。さらに、ミクロスケール・メゾスケール・マクロスケールにおける数値シミュレーションは均質化法などのマルチスケール解析を用いて一連の力学現象として、各空間スケールを関連付ける研究も行っています。
本研究室では、前述したように数値シミュレーションに軸足を置いて理論や実験的な研究なども行っていますが、理論や実験的な研究を必ずやらなければいけないという訳ではなく、研究テーマによって異なります。この点については、テーマを決める際に個別に相談しながら研究の方向性を決めています。実際に、実験をやりたくない者は数値シミュレーションとその基盤となる理論の開発に集中して研究を行っていますし、実験をやりたい者は数値シミュレーションの結果と比較しながら研究を進めています。
また、各学生の研究テーマは個々に別々に設定していますので、関連する部分も多少はありますが、学生によってまったく異なる研究をやっています。おそらく、共通している部分は、対象としている物理現象が大別すれば破壊である点と、数値シミュレーションの基礎に有限要素法を用いている点ぐらいだと思います。これは、意図的に各学生にまったく異なる研究テーマを設定することで、各個人の責任のもとで研究を進め、最終的には自立した人間になって社会に出てほしいと考えているためです。そのため、本研究室では研究室全体対して個人の研究の進捗を発表するような全体でのゼミは行っていません。一方、連続体力学や数値シミュレーションのプログラムなどの全体で共通する部分については、配属決定後から8月ぐらいを目途にゼミを行っていますので、4年生の最初の段階から自力ですべての問題に取り組めという訳ではありません。また、8月以降は4年生の場合には私との個人面談で研究を進め、大学院に進学する頃にはおおよそ自分で研究を進められようになります。大学院へ進学後は学会発表を目標に設定して、研究に取り組むといった形式をとっており、学生には積極的に学会へ参加するように指導しています(もちろん、旅費等は研究費からすべて支払っています)。
加えて、修士課程を卒業するまでには可能な限り論文を執筆することを奨励しています。というのも、皆さんが自分の名前をインターネットで調べると、何が出てくるでしょうか。おそらく、皆さんのSNSが出てくるだけではないでしょうか。しかし、論文を書いていれば、それが検索に引っかかるはずです。すなわち、論文を執筆するということは、極端な言い方をすれば、大なり小なり歴史に名前が残るということです。そういった意味でも、論文執筆には価値があると私は考えています。また将来、皆さんの子供が親の名前を調べた時にも検索に引っかかるはずですし、皆さんが大学でしっかり勉強していたことも客観的に子供もわかるはずです。そのため、重箱の隅をつつくような研究テーマでなく、世界的に見ても歴とした新規性のあるような研究テーマを設定し、論文執筆を目指して研究に取り組んで貰います。
学術界における研究とは「だれが新規性のある研究テーマを見つけて、如何に早く成果を出せるかといった世界との競争」であるため、学生には国際論文を必ず読んで貰っています。これにより、世界的な研究の動向を正確に把握することで、自身の研究テーマの新規性をしっかりと理解できるはずです。これは研究をやる上では避けては通れない道です。なぜなら、学会発表や論文執筆においては研究の新規性を第三者に伝えるためには、既存の研究について知ったうえで自身の研究の立ち位置を俯瞰的に説明する必要があるためです。ここで言う第三者とはある意味で競争相手ですので、必ずしも我々の研究に好意的とは限りません。そのため、研究の立ち位置を明確に説明したうえで、研究の新規性や研究成果の妥当性を第三者に認めさせることができなければ、折角の研究成果も公のものとはなりません。このことは学術業界に限ったことでなく、産業界でも同様で、新規製品の開発とは世界との競争のはずですし、顧客に製品の価値を認めさせることができなければ、購入して貰えません。しかし、大半の学類生は国際論文を読んだ経験もなく、実際に読んでみても専門知識が不足していて、理解できないと思います。そのため、4年生の最初から一人で読むというのではなく、ゼミで専門知識を勉強したうえで個人面談の際などに一緒に論文を読み進めながら、一人で国際論文を読めるように指導しています。実際、ほとんどの学生が2本目以降の論文は各自で自主的に読んでいます。