「意訳」
人間は、辛(つら)く苦しいことを何度も経験して初めて志が堅固になるものである。立派な男というものは、たとえ玉となって砕け散るようなことになっても、瓦となって生きながらえるのを恥とするものである。
我が家には先祖から伝わった子孫の守るべき家訓があるが、世間の人は知っているであろうか。それは、子孫のために田地など財産を買い残すことはしないということである。
(漢詞の読み方)
偶 感 <西郷 南洲>
幾たびか辛酸を歴て 志始めて堅し
丈夫は玉砕するも 甎全を愧ず
吾が家の遺法 人知るや否や
児孫の為に 美田を買わず
「意訳」
雪は常盤の編笠のひさしを押しつぶすかのように降り積もり、風は袂を巻き上げる。その中を胸に抱かれている乳飲み子の牛若丸が乳を求めて泣き叫んでいるが、どんな気持ちであったろうか。
ところが後年、この乳飲み子が成人し、源義経となって、あの一の谷の合戦で険しい鐵拐峰頭に立ち、大軍を叱咤して平家の軍勢を一挙に破ったその声こそ、この乳を求めて泣きつづけているこの声にほかならないのである。
(漢詞の読み方)
常盤雪行<梁川星巖>
雪は笠檐を壓して 風は袂を巻く
呱呱乳を索むる 若爲の情ぞ
他年鐵拐 峰頭の險
三軍を叱咤せしは 是此の聲
「意訳」
あまりに勇気を頼み、腕力のみにたよる男は、かえって自分の力で自分が倒れるものである。また、あまりに文明かぶれして自分の才能に溺れる者は、世の中の華美に酔うて、事を誤ることが多い。
だから皆さんにお勧めしたいことは、右にも左にも偏らず、常に中道を選んで進んで行かれることである。そして世の中のことは何事にも誠心誠意でやれば、間違いはないのである。
(漢詞の読み方)
中 庸 <元田 永孚>
勇力の男児は 勇力に斃れ
文明の才子は 文明に酔う
君に勧む 須く 中庸を択び 去るべし
天下の万機は 一誠に帰す
「意訳」
豹は死して皮を留め、人は死して名を留めるというが、人が名声を後世に残すのは決して偶然ではなく、忠節を全うすれば、永く人々の心に残り、忘れられることがない。南朝の忠臣大楠公が戦死を遂げた湊川の遺跡に来てみれば、川の流れが天に連なって、今も昔も変わりがない。
人の一生には限りがあるが、立派な人物の名声は永遠に尽きることがない。大楠公のような純粋な忠義の精神は、いついつまでも伝わって、忘れ去られることがない。
(漢詞の読み方)
大楠公 <徳川 斉昭>
豹は死して皮を留む 豈偶然ならんや
湊川の遺跡 水天に連なる
人生限り有り 名は尽くる無し
楠氏の精忠 万古に伝う
「意訳」
還暦を迎える頃には頭には白髪がちらほら交(まじ)ってきたが、いつの間にか70歳まで生きられて、本当に嬉しい限りである。
喜寿米寿に達するのは天の恵みであって、さらに百歳を迎えることができるならばほんとうに喜ばしいことである。
(漢詞の読み方)
長壽之詩<宮崎東明>
白髪漸く交ゆ 還暦の壽
古稀獲得して 更に欣然
齢喜米に昇るは 天惠に依る
遂に是歡び迎う 百歳の年
「意訳」
美しい庭に樹々に秋風が立ち、枕や竹の筵も冷ややかに感じられるころとなって、昔、蘇山の雲や湘江の水のほとりでともに遊んだ人たちのことを思い起こして懐旧の念に堪えない。
そこで愁いを忘れようとして声高らかに一曲歌い、歌い終わって鏡を取って自分の姿を見たが、すぐ蓋を覆ってしまった。それは昨日までの紅顔の美少年が、はや今は白髪の老人となってしまったことに驚いたからである。
(漢詞の読み方)愁思<許渾>
琪樹の西風 枕簟の秋
楚雲湘水 同游を憶う
高歌一曲 明鏡を掩う
昨日は少年 今は白頭
「意訳」
源義家は始めて髪を結い大人になったばかりのころから軍に従って、弓矢を巧みに操り勇猛に戦った。関八州の人たちはその威風を知って、草木がなびくがごとくごとく、義家の武勇は恐れられていた。
(さて、後三年の役で奥州に遠征したときは)源氏軍の白い旗は動くことなく陣営は静かであった。敵陣の前に馬を立てていた八幡公義家は、、乱れ飛ぶ雁を見て、敵兵が潜んでいることを見破ったのであった。
(漢詞の読み方)
八幡公<頼山陽>
結髪軍に従うて 弓箭雄なり
八州の草木 威風を知る
八旗動かず 兵営静かなり
馬を辺城に立てて 乱鴻を看る
「意訳」
東山三十六峰は一面の雲に掩(おお)われてさびしく京都の町中も郊外も雨が降りしきっている。
この雨の中を破れ笠をかぶり裾の短い着物をきて、国難に殉じた志士達の墓前に涙を流してぬかずけば、秋気はことのほか冷々(ひえびえ)と肌に感ずるのである。
(漢詞の読み方)
京都東山<徳富蘇峰>
三十六峰 雲漠漠
洛中洛外 雨紛紛
破簦短褐 來って涙を揮う
秋は冷ややかなり殉難 烈士の墳
「意訳」
芳しい草が勢いよく伸び一日一日と成長してゆく様子は、人の心を動かし家に帰りたい気持ちが起こって、春の物思いにたえられず、いてもたってもおられない。
郷里は遥かに遠く帰ることも出来ない。昨夜夢で年老いた両親に会って元気な姿を見ることが出来、嬉しいことだった。
(漢詞の読み方)
親を夢む<細井平洲>
芳草萋萋として 日日新たなり
人を動かして歸思 春に勝えず
郷關此を去る 三千里
昨夢高堂 老親に謁す
「意訳」
豊かな漢江の水はさかんに波立ち流れて、その上を白い鷗が飛んでいる。春景色もようやく深まり、美しい緑色の流れは衣を染めたいくらいである。
(しかし世の人はこの好景にも心を留める様子もなく)南へ北へと忙しく往来して、心のゆとりもなく老いてゆくようであり、人生の哀歓を感じる。ふと見ると西に傾いた太陽の光の影は長く、釣りから帰る船を送っている。
(漢詞の読み方)
漢江<杜牧>
溶溶漾漾として 白鷗飛び
綠浄く春深くして 好く衣を染む
南去北来 人自ずから老い
夕陽長く送る 釣船の帰るを
「意訳」
洛陽の町中で秋風のたつのが見られるようになって、にわかに故郷のことが懐かしくなり、家に手紙を書こうと思いたったが、あれもこれもと思いが重なってしまう。
どうにかまとめてみたものの、あわてて書いたので言いたいことが尽くせたかどうか心配になってきて、使いの人が出発する間際になって、また封を開いて読みなおしてみるほどであった。
(漢詞の読み方)
秋思<張籍>
洛陽城裏 秋風を見る
家書を作らんと欲して 意萬重
復恐る匆匆 説きて盡くさざるを
行人發するに臨んで 又封を開く
「意訳」
誰かが私に、君はどういうわけでこんなみどり深い山に棲んでいるのかと尋ねる。そんな質問に私は笑っているだけだ。そんな俗人の問いかけにはおかまいなくのどかな気持ちである。
桃の花びらが水に浮かんで、はるかに奥深いところに流れてゆく。ここには人間世界とはちがった別天地があるのだ。
(漢詞の読み方)
山中問答<李白>
余に問う何の意ぞ 碧山に栖むと
笑って答えず 心自ずから閑なり
桃花流水 杳然として去り
別に天地の 人閒に非ざる有り
「意訳」
皇軍百万、強虜ロシアをうち懲(こ)らすため満州に出征した。さすがに敵の備えは堅く、原野の戦いや、要塞(ようさい)の攻略に戦死者の屍骸(しがい)は累々(るいるい)と山を成したのである。
幸いに勝利をおさめて凱旋することになったものの、このような多数の将兵を死なせた自分は、故国に持つ兵士の父老に対して、どの顔さげて会うことが出来るだろうか。また勝ちいくさの歌をうたい乍ら今日故郷に帰るのは百万人中何人いるだろうか。
(漢詞の読み方)
凱旋<乃木希典>
王師百萬 強虜を征す
野戰攻城 屍山を作す
愧ず我何の顏あって 父老に看えん
凱歌今日 幾人か還る
「意訳」
呉王の姑蘇臺は古びた庭園や荒れた高台になってしまったが、そのなかで楊柳だけが今年も新しい芽をふいた。水面(みずも)をわたる菱採(ひしと)りの乙女らの清らかな声を聞けば、やるせない春愁(しゅんしゅう)にたえられない。
春を謳歌した呉王の宮殿(蘇台)には、只今は西に流れる川を月が照らしているばかりである。曽(かつ)ては呉王の宮殿の美女(西施)の姿を照らしていたものだが・・・。
漢詞の読み方)
蘇臺覽古<李白>
舊苑荒臺 楊柳新たなり
菱歌清唱 春に勝えず
唯今惟 西江の月のみ有りて
曽て照らす 呉王 宮裏の人
「意訳」
百尺もあるかのような松が天高く枝をひろげて聳(そび)えたち、根は丁度(ちょうど)龍の眠ってわだかまっているようである。
時として笛や琴の音のように吹いてくる清らかな風のうちに、春夏秋冬青々として、いつまでも変わらず節操のかたいことを思わせている。
(漢詞の読み方)
松<宮崎東明>
百尺亭亭 高く天に聳え
盤根恰も是 龍の眠るに似たり
時に聞こゆ簫瑟 清風の裏
千歳蒼蒼として 節操堅し
「意訳」
春の暁は気候も暖かく、心地よい眠りに夜が明けたのも知らず寝すごしてしまったが、ふと眼をさませばあちこちで小鳥の啼く声がきこえる。
そういえば、昨夜は風雨の音がはげしかった。あの嵐で庭の花はさぞたくさん散ったことだろう。
(漢詞の読み方)
春暁<孟浩然>
春眠 暁を覚えず
処処 啼鳥を聞く
夜来 風雨の声
花落つること 知んぬ多少ぞ
「意訳」
仙人が来て遊ぶといわれる神聖な富士山の頂きは、雲を突き抜けて高くそびえている。山頂にある洞窟の中の淵には、神龍が年久しく栖んでいると伝えられている。
山頂あたりは純白の雪に覆われ、ちょうど白絹(しらぎぬ)を張ったようで、立ち昇る噴煙は、その扇の柄のように見える。まるで東海の大空に白扇が逆さまにかかっているようだ 。
(漢詞の読み方)
富士山<石川丈山>
仙客来り遊ぶ 雲外の巓
神龍栖み老ゆ 洞中の淵
雪は紈素の如く 煙は柄の如し
白扇倒に懸かる 東海の天