アーツ・アンド・クラフツ運動は国を飛び越えて職人、建築家、工芸家など、様々な人々に影響を与えました。そして19世紀末から20世紀にかけて、欧米の主要都市でしなやかな曲線と曲面を持った装飾、つまりアール・ヌーヴォーが大流行しました。アール・ヌーヴォーとはフランス語で「新しいアート」という意味です。当時の人からすると、アール・ヌーヴォーは成長を感じられるような新鮮なスタイルだったため、このような名前で呼ばれるようになりました。
20世紀になり、工業製品が馴染みのあるものに変化していった時代の中で、デザインは生産者にとっても消費者にとっても重要なものになりました。
第一次世界大戦の敗北と11月革命により、社会民主主義政府の元、ドイツではワイマール共和国が建国されました。敗戦まもない生活の中で、新しいものを創造しようという熱狂が渦巻いていました。そこで1919年の春、創造的精神に溢れる若い人々たちがドイツ・ワイマールに集まり、全く新しい総合造形学校、バウハウスが誕生したのです。当時のバウハウスの活動は現代デザインの基礎を築いた、先進的な「総合芸術運動」と言われています。
創立者である『ヴァルター・アードルフ・ゲオルク・グローピウス(Walter Adolph Georg Gropius, 1883年5月18日 – 1969年7月5日)』の理念は「建築」は生活の受け皿であると考え、グラフィックデザイン、インテリアデザイン、プロダクトデザインなどの一切のデザインは建築がベースになって生み出されるというものです。
1923年になり、バウハウスでは「芸術と技術-新しい統一」というテーマが掲げられました。今まで実験的だった教育プログラムもより一層わかりやすく再構成され、バウハウスは軌道にのっていましたが、ワイマール共和国の経済状況が悪化し、閉鎖を免れなくなりました。そこからデッサウ市に招かれ拠点を移動することとなります。1932年にはナチスの弾圧を受け、再びベルリンへ移動しますが、33年には完全に閉鎖されてしまいました。
バウハウスは14年間という短い間ではありましたが、多くの優秀なデザイナーを輩出しました。その後学生たちはバウハウスの精神を受け継ぎ、世界各地で活躍しています。