7.1 大陸の移動
地球表面では地震や火山活動により様々な変動が起きています。この変動は複数の説を経て1960年代後期にプレートテクトニクスという学説になりました。ここでは、その歴史を辿っていきす。
19世紀に大西洋を挟んだ両大陸が元々は一つの大陸だったのではないかと考える人が現れ始めます。そんな中、ドイツの気象学者ウェーゲナーが大陸移動説を1912年に提唱しました。
大陸移動説は①海岸線の一致、②地質の共通性、③化石の共通性、④過去の気候分布の一致を根拠にしており、パンゲア大陸という一つの超大陸があったと発表しました。このパンゲア大陸は中世紀末に各大陸に分列したと考えられています。大陸移動説は動植物や氷河の分布、地層の連続性を明快に説明しており、非常にユニークなものでした。
ウェーゲナーはシマという盤の上に各大陸が浮かんでおり、各大陸は遠心力と潮汐力によって地球表面を移動すると考えました。そして、ぶつかり合う大陸によって大山脈が形成され、日本などのアジアの諸島はその小片であるとしました。
この遠心力や潮汐力は大陸が動かすほどの大きさがなく、原動力の部分に理論的な無理がありました。そこで、ウェーゲナーの支持者であったイギリスの地質学者ホームズはマントル対流説を1929年に提唱しました。
マントル対流説は大陸移動のメカニズムを解明しており、深度2,900 [m] に存在するマントルが放射性物質によって熱せられ、マントル内で自ら対流を生じているという説でした。また、このマントルの対流によって大陸が分断されたと説明したのですが、大陸がマントルによって動いているという考えは当時の人には理解できず、異端な説として葬られました。
大陸移動説やマントル対流説は第二次世界大戦中の潜水艦の安全な航行のために開発された海底探査機と敵の潜水艦の探知するために開発された磁気探査機によって復活することになります。当時、磁鉄鉱を含む溶岩は冷え固まるときにその時代の磁北を記録・固化し、磁北は数万年から数十万年の間に南北が逆転していることが知られていました。そのため、大陸の磁北を調べればある程度の年代を特定することができました。ヴァインとマシューズは大西洋の中央海嶺の磁北を調査すれば大陸移動説およびマントル対流説が証明できるのではないかと考えました。これをヴァイン・マシューズ仮説といいます。
ヴァイン・マシューズ仮説は正帯磁期(磁北と真北が一致している時期)と逆帯磁期(磁北と真北が逆方向にある時期)が縞状かつ対象に存在していることを発見し、中央海嶺に近いほど岩石の生成年代は新しく、遠ざかるにつれて年代が古くなることを明らかにしました。
また、同時期にヘスとディーツが海洋底拡大説を提唱しました。中央海嶺は高温のマントル物質が上昇してくる場所であり、噴出した溶岩は磁北を固化し、海底としてマントル対流にのって東西に運ばれていきます。古い海底は海溝でマントルの中に沈み込み、海底はつねに更新されています。これを海洋底拡大説といいます。
ヴァイン・マシューズ仮説と海洋底拡大説は大陸移動説とマントル対流説のメカニズムを解明し、プレートテクトニクスという一つの学問に発展していきました。また、中央海嶺からアメリカまたはアフリカまでの距離が4,000 [km]、海底の移動距離が約2 [cm/year] であることから、大西洋が開けるまでに約2億年かかっている計算になります。大西洋の海底からは中世代ジュラ紀(約1億8000万年前)より古いものは見つかっていないため、上の算定計算ほぼ正しいといえます。
まとめとして、プレートテクトニクスは大陸移動説、マントル対流説、ヴァイン・マシューズ仮説、海洋底拡大説などを経てできた学問です。1960年代後期にできた学問であり、比較的新しい理論といえます。