J231240384
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一切衆生の 救われる道でなければ
自分は救われない
金子大栄
If there is not a way to save all life ,then there is no way for me to be saved.
私の住んでいる九州では、熊みたいな男性に遭遇することはあっても、熊はいないと言われている。やはり海流の激しい関門海峡を渡るのは、熊にとっても至難の業なのだろう。
現在は、橋やトンネルが造られたことによって、電車や車で容易に行き来ができるようになった。海上交通が盛んな頃は、船での
往来が主流だったようだ。しかし、陸路や海路も整備されていない時代の往来は、人間にとっても困難を極めていたに違いない。
そういう意味では、なんらかの力がなくては、海を渡ることは難中の難である。
ある幼稚園での出来事。
「ここに集まれ」と先生に言われると、多の園児たちが猛スピードで集合する。しかし、のんびりした性格のマサ君は、みんなが集合した頃にやっと気付いて動き始める。
ある日、マサ君は友達から「ノロマサァ。カメマサァ」と馬鹿にされ号泣してしまう。そ
の日からマサ君は元気がない。どうすればマサ君が遅れずに集合できるか、職員全体で話し合いをした。
「マサ君には少し早めに集合時間を伝える」「できるまで特訓する」
などいろいろな意見が飛び交った。その時、担任のアイ先生が声を発した。
「マサ君の隣に立って、集合の合図をだすのはどうですか?」マサ君の性格を否定することなく、問題を解決する方法だった。
普通は当人がどう努力するかの話になるが、アイ先生は工夫して、集まるのが難しいマサ君のために、自然と集まれる方法を考えたのだ。
阿弥陀さまは、過去世より深い苦しみの海に沈んできた私を「この船に乗せてまちがいなくお浄土に渡す」とおっしゃる。石はどんなに小さくても、水に入れれば沈む性質を持っている。しかしどんな大きな石でも、それをのせて運ぶ力のある船に載せたならば、まちがいなく向こうの岸に運ぶことができる。石の沈む性質を変えることなく、沈む性質のまま船の力で運ぼれるのだ。
阿弥陀さまのお心を譬えたこの船は、
煩悩職盛(ぼんのうしじようの)衆生をたすけんがための願にまします(『歎異抄』『註釈版聖典』八三一~八三二頁)
とあるように、私たちを乗せて浄土にわたらせ、仏にすることを目的とした、私を救うために用意された船なのだ。
阿弥陀さまにすべてをおまかせする道は、一部の能力のある人間が救われるという話ではなく、救われるべき緑のないものが救わ
れていく道なのだ。
特殊な行を修めることができるという方は泳いで渡ればいいが、沈む性質しか持ちえない私が救われるということは、阿弥陀さまの
想いの詰まったこの船に乗る、いや乗せられる以外に方法はない。
心に響く言葉 (本願寺出版社) より。