世の中がめちゃくちゃ変わってもそこだけは変わらないのがすごいと思ったので。
世の中がめちゃくちゃ変わってもそこだけは変わらないのがすごいと思ったので。
単に歳をとっただけで、大人に「なった」という実感はなかったけど…そんな僕でも、なぜか、もう大人になってるんだったら、この先ずっと、大手を振って「大人です」と言っても良いのかな?という疑問から。
いつの間にか30代も後半に足を突っ込みました。世間一般では、若いと若くないのちょうど間くらい?「《まだ》若い」とか言われるくらいの年齢です。単に「若いね!」じゃなくて、《まだ》が付く感じです。なんか実感がないんですよ。歳を取った実感?「いい大人」なはずなんですけどね…。
もし、働かなくてもお金がもらえるとしたら。もし、ロボットがすべての生産やサービスを担ってくれるようになり、人類が働かなくてもよくなったら。みなさんはそれでも働きますか?それとも働きませんか?「働く」ということについて、ぜひ一緒に考えてください!
司書の集まりの場で、このテーマの本質観取を行ったことがあり、個人的にも長く考えているテーマのため。司書の集まりではない場所では、どういう考えが生まれるか、興味があります。
写真でみる景色も、絵画で見る景色もきれいだと私は感じます。でも実際に見に行ってみると、写真や絵画よりもきれいな場合もあれば、そうでない場合もあります。もちろん天候とかの要因もありますが、それだけじゃないような気もします…。みなさんは同じような体験ありませんか?
疑問はだれしも抱えているものだが、だれもが哲学者ではない。その境界線はいったいどこにあるのだろうか。
他の人の意見を聞きたいです
みなさんは、何か新しいことに挑戦するとき、どうやって始めますか?誰かに教わったり、入門書を読んでみたり、ネットで調べたり、生成AIに聞いたり、いきなりやってみる人もいるかもしれません。でも、それらって同じことが学べているのでしょうか?
免許を持ってはいるが、車を運転するのが怖くなるから。例えばものすごく嫌なことがあった後に運転する時、自分が絶対に故意に事故を起こすことはないと約束できないし、他の人間が故意に事故を起こさないとも思えない。
人はほとんどの場合、総合的には許してしまっている生き物だと思うが、言葉使いや心情実感としてはいつまでも「許さない」「許していない」ことがある。「許す」場合と「許さない」場合で、具体的にどう違いがあるのかをしばしば考えるので。
選択を迫られる様々な場面において、その都度この問いが浮かぶから。