はじめに ユダヤ系アメリカ文学のイメージをつかむ――(鈴木元子)
第Ⅰ部 論文編――ユダヤ系アメリカ文学の主要作家の真髄
◎エイブラハム・カーハン
社会進化論的視点からみた『デイヴィッド・レヴィンスキーの出世』――(大工原ちなみ)
◎ポール・ボウルズ
ユダヤ系アメリカ人ポール・ボウルズとその周辺――(外山健二)
◎アーウィン・ショー
『夏の日の声』と反ユダヤ主義――「ユダヤ系アメリカ人作家」としてのアーウィン・ショーの現在――(伊達雅彦)
◎バーナード・マラマッド
マラマッドとユダヤ系文学の帰還型主人公(ヒーロー)――(大工原ちなみ)
◎アルフレッド・ケイジン
『ニューヨークのユダヤ人たち』――ケイジンの描くニューヨークとユダヤ人作家たち――(山内圭)
◎ソール・ベロー
〝言語、ユーモア、アメリカ〟――『ユダヤ短篇名作集』と『ラヴェルスタイン』から――(鈴木元子)
◎グレイス・ペイリー
グレイス・ペイリーのナラティヴ――「死語で夢見る者」の間テクスト性をめぐって――(大場昌子)
◎ハイム・ポトク
『選ばれしもの』にみる文化衝突と《目》の象徴性――(鈴木元子)
◎フィリップ・ロス
理想が裏切られて〈苦悩〉に沈む主人公――(岩橋浩幸)
◎ポール・オースター
ポール・オースター、または「書くこと」への執着――(林日佳理)
◎ポーラ・ヴォーゲル
劇作『ミネオラ・ツインズ』の隠れたメッセージとは――(村田希巳子)
◎ジェームズ・マクブライド
ユダヤ人とカラー・ラインの問題――『水の色』に描かれるユダヤ人とアメリカの人種関係――(本田安都子)
◎マイケル・シェイボン
曖昧さという戦略――(坂野明子)
◎ネイサン・イングランダー
困難な倫理――『地中のディナー』における閾の詩学――(篠直樹)
◎アイザック・アシモフ/エドゥアルド・ハルフォン
アイザック・アシモフとエドゥアルド・ハルフォンの〈エスニック〉なユダヤ的遺産――(ジャック・ライアン/外山健二訳)
◎ジョナサン・サフラン・フォア
『エブリシング・イズ・イルミネイテッド』における「神話世界」の詩学――(篠直樹)
第Ⅱ部 解説編――ユダヤ系アメリカ文学の広がり
◎エマ・ラザラス
ユダヤ系アメリカ文学のパイオニア――(大工原ちなみ)
◎アンジア・イージアスカ
「贅沢な暮らし」と『パンを与える人』――(本田安都子)
◎アーサー・ミラー
『荒馬と女』と『セールスマンの死』に見る〈はぐれ者たち〉――(伊達雅彦)
◎シンシア・オジック
『ショールの女』――ホロコーストとその余波――(鈴木元子)
◎イェジー・コジンスキー
『異端の鳥』と『ビーイング・ゼア』――(伊達雅彦)
◎ニコール・クラウス
『ヒストリー・オブ・ラブ』――彼らが「愛」について語るとき――(篠直樹)
コラム
永遠のアンネ・フランク――世代・国境を越えて愛され続ける理由―― (上田雅美)
ソール・ベローの思い出――(半田拓也)
おわりに 各章の要約―― (鈴木元子)
第一部 ニューヨーク
第1章 ソール・ベローとニューヨーク――『犠牲者』をめぐって――(大工原 ちなみ)
第2章 重ね書きされる〈アメリカの風景〉――「未来の父親」と『この日をつかめ』のニューヨーク――(井上 亜紗)
第3章 『盗み』にみるニューヨーク――セグリゲーションと女性の社会進出の観点から――(上田 雅美)
第二部 シカゴ
第4章 消費する都市、消費される自己――『宙ぶらりんの男』における物語形式と自意識の臨界――(篠 直樹)
第5章 〈劇場〉としての都市――『ハーツォグ』におけるシカゴとニューヨーク――(岩橋 浩幸)
第6章 シカゴと移民――「銀の皿」にみる多文化共生の地理的状況――(大場 昌子)
第7章 二都物語――『学生部長の十二月』における二つの都市についての一考察――(坂口 佳世子)
第三部 外国の都市
第8章 メキシコ諸都市とソール・ベロー文学――「メキシコの将軍」『オーギー・マーチの冒険』「モズビーの思い出」――(山内 圭)
第9章 スペインを舞台にした「ゴンザーガの原稿」にみる〝核への警鐘〟――ワシントン・アーヴィング、ヘミングウェイ、ダン・ブラウンとの比較から――(鈴木 元子)
第10章 生命の〈内奥〉とアフリカの〈奥地〉――ソール・ベローの『雨の王ヘンダソン』を読む――(外山 健二)
第11章 ソール・ベローが見たパレスチナと六日戦争――アメリカ人として、ユダヤ人として――(堤 亮輔)
第12章 精神の共同体と存続――ソール・ベローの『エルサレム紀行』――(佐川 和茂)
第1章 ソール・ベローとダニエル・デフォー――『雨の王ヘンダソン』と『ロビンソン・クルーソー』――(ジャック・ライアン/鈴木元子訳)
第2章 ソール・ベローとスティーヴン・クレインの海――『オーギー・マーチの冒険』第25章を読む――(岡﨑 浩)
第3章 ソール・ベローとジョン・スタインベック――二人のノーベル賞作家の比較研究事始め――(山内 圭)
第4章 ソール・ベローとアイザック・ローゼンフェルド――「ゼットランド」と「ソロモン王」――(大工原 ちなみ)
第5章 ソール・ベローとラルフ・エリスンの五〇年代――〈見えない人間〉を探して――(伊達 雅彦)
第6章 ソール・ベローとジョナサン・フランゼン――『ピューリティ』における反知性主義と共同体――(川村 亜樹)
第7章 ソール・ベローとアルフレッド・アドラー――アドラー心理学から考察する『この日をつかめ』――(朴 育美)
第8章 ソール・ベローの〝修復〟とジョン・アップダイクの〝受容〟――『サムラー氏の惑星』と『帰ってきたウサギ』を中心に――(柏原 和子)
第9章 ソール・ベローと遠藤周作のホロコーストへの応答――『サムラー氏の惑星』と『沈黙』を中心に――(鈴木 元子)
第10章 ソール・ベローとトニ・モリスンの男性像――『この日をつかめ』と『ソロモンの歌』の〈恰好悪い男〉比較――(永瀬 美智子)
第11章 ソール・ベローとグレイス・ペイリー――〝家〟を問う女性たち――(相原 優子)
第12章 父と息子のニューヨーク物語――ベロー、オースター、フォア――(坂野 明子)
第13章 ソール・ベローとジョナサン・サフラン・フォア――〝書く〟行為がもたらすアイデンティティ――(山本 玲奈)
第14章 ソール・ベローと村上春樹――流浪・修復・自己の掘り下げ――(佐川 和茂)
第1章 ソール・ベローの人生展開――場所の移動と文学形成――(橋本 賢二)
第2章 鉛とシクラメン――『学生部長の十二月』における弱さの考察――(相原 優子)
第3章 自制できなかった男――「失言魔の彼」――(ジャック・ライアン/鈴木元子訳)
第4章 言葉の捕囚を超えて――「失言魔の彼」――(三杉 圭子)
第5章 時の試練――「遠い親類」における物語行為の原動力――(岩橋 浩幸)
第6章 再生を希求する魂たちの神話――『こころの痛みで死ぬ人たち』――(町田 哲司)
第7章 ベローと女性主人公――『盗み』の企て――(大場 昌子)
第8章 ホロコースト以後の持続と変容――『ベラローザ・コネクション』――(佐川 和茂)
第9章 記憶、回想、語り――「覚えていてほしいこと」の物語意識――(片渕 悦久)
第10章 出生地再訪から振り返るベローの人生と文学形成――「セント・ローレンス川のほとりで」――(橋本 賢二)
第11章 初恋と小児麻痺――恋愛小説として読む『アクチュアル』――(伊達 雅彦)
第12章 二十世紀末に再考する「アメリカン・マインド」――『ラヴェルスタイン』におけるアメリカ、ギリシア、ユダヤ――(杉澤 伶維子)
第13章 執着する対話の変容――『ラヴェルスタイン』――(鈴木 元子)
第14章 作家と伝記――ソール・ベローの場合――(池田 肇子)
特別寄稿 CRISES OF THE SPIRIT: DANTE AND BELLOWーーGregory Bellow, Ph.D.
第Ⅰ章 ベローが生きた時代、ベローがなしたこと――中・後期の展開を軸に――(橋本賢 二)
長篇編
第Ⅱ章 反ユダヤ主義とソール・ベローの40年代――『宙ぶらりんの男』と『犠牲者』を中心に――(大工原 ちなみ)
第Ⅲ章 『犠牲者』における他者への責任――レヴィナスを手がかりに――(杉澤 伶維子)
第Ⅳ章 逸脱する思索――『オーギー・マーチの冒険』――(片渕 悦久)
第Ⅴ章 アフリカはどこに存するのか――『雨の王ヘンダソン』試論――(鈴木 元子)
第Ⅵ章 複合体としての主体――『ハーツォグ』におけるソール・ベローの知識人観――(大場 昌子)
第Ⅶ章 記憶と希望――『サムラー氏の惑星』と『エルサレム紀行』――(佐川 和茂)
第Ⅷ章 レヴィナスから読み解く『フンボルトの贈り物』――(坂野 明子)
中・短篇編
第Ⅸ章 初期3短篇における超越思想をめぐって――(町田 哲司)
第Ⅹ章 「頭」と「身体」――短篇「未来の父親」を中心に――(伊達 雅彦)
第Ⅺ章 ベロー作品におけるユーモアの質の変遷――『この日をつかめ』と「銀の皿」を中心に――(村田 希巳子)
第Ⅻ章 ソール・ベローと短編――短編集『モズビーの回想録』の中の人々――(半田 拓也)
第XIII章 二つの親子関係――「銀の皿」と「どんな日だった?」――(池田 肇子)
特別寄稿
第XIV章 SAUL BELLOW: Leaving Behind the "Irritated Self"――(Keith Botsford)