サハリン・樺太は、前近代においては先住民を担い手とした、大陸側から千島列島にいたる海を介した交易ルートの一環であり、近代には日本とロシアの接触地域をなし、両国間で何度も国境線の引き直しと大規模な人口移動が繰り返された特異な歴史を有する島です。
この島の呼称も、幕末までは「北蝦夷地」とよばれ、明治初年から「樺太」とよばれるようになり、全島ロシア領有に変わると「薩哈嗹」の3文字が当てられました。日露戦争後の北緯50度以南日本領有により、ふたたび「樺太」となり、第二次世界大戦後はサハリンと呼ぶことが一般的となりました。
近年、この島に改めて歴史研究の光を当て、この島の住民が幾世代にも亘って関わった歴史的経験を捉え直そうとする機運が日本、ロシア双方で高まりつつあります。また、日本とロシアとの研究交流は、今世紀に入り、活発に行われるようになりました。たとえば、北海道大学スラブ研究センターとサハリン大学を拠点として、「ロシアの中のアジア/アジアの中のロシア」第5回研究会「サハリン・樺太の歴史」(2004年7月29日~30日)、同第11回研究会「サハリン・樺太史セミナー(Ⅰ)」(2005年9月21日)、同第13回研究会「サハリン・樺太史セミナー(Ⅱ)」(2005年12月3日)、「日本とロシアの研究者の目から見るサハリン・樺太の歴史」(2005年11月1日~2日、2006年2月16日~17日)、「国際シンポジウム:サハリンの植民の歴史的経験」(2008年5月6日~7日)と幾度も研究会が開催されてきました。そして2008年の「国際シンポジウム:サハリンの植民の歴史的経験」開催後に、シンポジウム参加者を中心に2008年7月、サハリン・樺太史研究会が発足しました(初代会長:原暉之北海道大学名誉教授)。
サハリン・樺太史研究会は、これまでの樺太史・サハリン史研究が日本、ロシアにおいて、それぞれ別個に行われてきたことを踏まえ、双方の研究成果を学ぶとともに双方の研究成果の交流、資料保存情報の交流などの研究交流を進め、「一国史」にとらわれないサハリン・樺太史を描くことを目標としています。
本会は札幌を拠点として研究会、シンポジウムを定期的に(年間5回程度)開催しております。これら研究会、シンポジウムは参加自由で、どなたでも参加できます。サハリン・樺太史の研究に関心をお持ちの方は、本会事務局にお知らせいただけましたら、案内メールを差し上げます。
2013年12月17日 サハリン樺太史研究会 2代会長 白木沢旭児
(北海道大学大学院文学研究科教授、肩書は当時)