13:00 開会
13:10 第一部
第1報告|古山 詞穂/R. マリー・シェーファーの言語観とテクスト――合唱作品における「サウンドスケープのこだま」に着目して(一般報告)
第2報告|鈴木 聖子/レコード上のサウンドスケープ――『日本の放浪芸』における音の記憶の再現とその意義(一般報告)
第3報告|吉田 瞳/中世後期ドイツ都市における管楽器の社会的機能――ニュルンベルクの事例を中心に(一般報告)
第4報告|堀 壮太/『万葉集』から読み取る奈良県奈良市の歴史的サウンドスケープ(ショートトーク)
15:00 全体討論
15:30 休憩
15:40 第二部
第5報告|田主 望/歩行シークエンス体験における音環境の時空間的記述法に関する研究(一般報告)
第6報告|鳥越 けい子、鷲野 宏、山内 悟/コロナ禍のパフォーマンス・ワークショップの可能性の模索――「池の畔の遊歩音楽会2020・トランスメディアウォーク」を事例として(一般報告)
第7報告|今田 匡彦/はじめてのオンガク――サウンド・エデュケーションとユニヴァーサル・デザイン(一般報告)
第8報告|船場 ひさお/大学生の音楽聴取環境の変化(ショートトーク)
17:30 全体討論
18:00 閉会
※一般報告:発表20分+質疑15分、ショートトークセッション:発表5分。
R. マリー・シェーファーの言語観とテクスト――合唱作品における「サウンドスケープのこだま」に着目して(一般報告)
古山 詞穂(東京藝術大学)
シェーファーはその主著『世界の調律』において、原初的な言語活動は「サウンドスケープにこだまを返す」行為、つまり、環境の音を音声によって模倣する行為であった可能性を示唆している。一方、「言語の起源をもっぱら自然のサウンドスケープの模倣にのみ求めるのはかなり性急なことであろう」としつつも、現代人の用いる言葉の中にも、その痕跡として「音」の側面が「意味内容」の側面をオノマトペ的に表現しているものがあると考察している。例えば “Sunshine” という語について「最初の音の “s” は高い音域で、眩しい印象がある。続く “sh” はすべての周波数の音を含んでおり、光のスペクトルの広さを示唆している。……」とし、この語の「音」の側面に対する彼の印象を、音素ごとに詳細に示している。また、彼がアルファベットの各音に持つイメージに対する具体的な記述もある(「J:金属がセメントを叩く音。荒んだ鐘のような音。持続的に “jjjjj” と発音すれば、油の不足したモーターをイメージさせる」等)。
本発表では、シェーファーの著作 “When Words Sing” (1970)、“Language, Music, Noise, Silence” (1989) 等にある言語に関する言説を手掛かりに「サウンドスケープのこだま」という考えにあらわれる彼の言語観について示しながら、それが作曲活動において反映された《Epitaph for Moonlight》(1968)、《Miniwanka》(1971)、《A Garden of Bells》(1983) 等の合唱作品を例に、理論的側面と実践的側面の照応によって彼の言語観にひとつの釈義を与えることを試みる。「サウンドスケープのこだま」の言説の背景として、現代人の言語活動において、言葉の「意味内容」の側面が優先されたことで「音」の側面の表出性が弱化したことに対するシェーファーの問題意識がある。こうした問題意識をはじめ、彼の言語観はその母体であるサウンドスケープ理論に還元される要素を多分に含んでいるといえ、サウンドスケープ理論研究の一方法を提示することができると考える。
キーワード:R. マリー・シェーファー (Raymond Murray Schafer)、サウンドスケープのこだま (echo of the soundscape)、合唱
レコード上のサウンドスケープ――『日本の放浪芸』における音の記憶の再現とその意義(一般報告)
鈴木 聖子(大阪大学)
"1971年に発売されたLPレコード集『ドキュメント 日本の放浪芸: 小沢昭一が訪ねた道の芸・街の芸』(日本ビクター、7枚組)には、俳優・小沢昭一(1929-2012)が選んだ、門付けの芸、見世物小屋の口上、露店のタンカ、流しの音曲、猿回し、箱回しなど、いわゆる路上の芸能が録音されている。このレコード集は発売直後から非常な売り上げを見せたことで続編が企画され、1977年までに計4作が出版された。1980年代-1990年代にはカセットとCDで出版され、2015年のCD再復刻に際してはハイレゾ音源も配信されるなど、もはや「古典」といっても差し支えない作品である。
『日本の放浪芸』は、一見したところ、高度経済成長期に失われつつあった音の記憶を残そうとする録音アーカイブのようである。実際、同時期の国鉄のキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」を背景として、販売数が伸びたことも確かである。だが小沢自身はそうした流行や保存の思想に批判的であった。『日本の放浪芸』において彼が実現したかったことは、彼個人の幼少期の音の記憶をレコード上に再現することであった。換言すれば、個の記憶に基づいたサウンドスケープをレコード上に創造することであって、日本の音の記憶を保存することではなかった。
現在のサウンドスケープをめぐる言説において、物売りの声や大道芸の音は、近代化によって失われたものとされ、「残したい」とする傾向があるように思われる。だが、シェーファーのサウンドスケープ論は、確かに自動車の普及によってそれらが失われたことを示唆してはいるが、それらが知識人にとっては「騒音」と捉えられてきた歴史に筆を費やしている点で興味深い。本発表の目的は、こうした発表者の関心を元に、小沢の『日本の放浪芸』の意義を、同時代に生まれたサウンドスケープの思想から検討することで、日本の音の記憶をめぐる思想の一つに光を当てることである。"
キーワード:放浪芸、レコード、録音アーカイブ、文化資源、音の記憶
中世後期ドイツ都市における管楽器の社会的機能――ニュルンベルクの事例を中心に(一般報告)
吉田 瞳(京都大学)
本報告では、中世後期の神聖ローマ帝国・帝国自由都市ニュルンベルクを事例に、ヨーロッパ中世都市におけるサウンドスケープを、管楽器を中心に考察する。中世都市に特徴的な「音」と言われた時、連想されるのは多くの場合、教会の鐘だと思われる。事実、鐘についてはサウンドスケープ論の提唱者M.シェーファーが俎上に載せたほか、歴史学でも感性史研究(A.コルバン)や、共同体論(A.ハーファーカンプ)のなかで検討されてきた。
しかし、ヨーロッパ世界で共有されていたのは鐘の音だけではない。フランドル地方から現在のポーランドの一部までという広範な地域で、トランペットなどの管楽器とその演奏家が、都市参事会によって雇用・保護されていたのである。報告者は、ドイツ語圏で「シュタットファイファー(Stadtpfeifer)」と呼ばれる、かかる管楽器奏者に注目し、彼らの活動から、中世都市において管楽器が持っていた象徴性や機能について考察したい。
そのためにまず、中世都市に管楽器が導入された背景を検討する。具体的には、中世後期における管楽器の物質的側面を古楽器研究に基づいて確認し、さらに、当時の演奏実践における楽器の使い分けや、歴代の神聖ローマ皇帝による管楽器保護を概観する。
ついで、都市年代記などから、ニュルンベルクのシュタットファイファーの活動を検討する。中世後期のニュルンベルクには、帝国最大規模の都市楽隊が設置され、都市参事会の保護のもとシュタットファイファーたちが、ニュルンベルク内外で活躍していた。彼らの活動を追うことで、管楽器が用いられる局面や、管楽器を重視する文化の広がりが見えるだろう。
最後に、都市条例や参事会議事録にもとづき、中世後期ニュルンベルクのサウンドスケープを考察する。宮廷の音楽文化を背景に導入されたシュタットファイファーが、都市空間においていかなるサウンドスケープを構成していたか、ニュルンベルクの祝祭空間における管楽器を頂点とした音のヒエラルヒーを析出したい。
キーワード:サウンドスケープ、ドイツ、中世都市、管楽器、楽師
『万葉集』から読み取る奈良県奈良市の歴史的サウンドスケープ(ショートトーク)
堀 壮太(立命館大学)
和歌や俳句というのは環境の詳細情報が含まれていると同時に人の感情・気分も盛り込まれており、サウンドスケープの考え方である”人と音との関係”が表されている。そこで、本報告では初期段階として『万葉集』の和歌を用い、自然・文化・歴史など様々な要素において特有性を持っている奈良県奈良市の歴史的サウンドスケープを示していき、音という切り口から魅力を引き出していく。また本報告の今後の課題と展開を報告する。
キーワード:万葉集、奈良市、歴史的サウンドスケープ
歩行シークエンス体験における音環境の時空間的記述法に関する研究(一般報告)
田主 望(東京大学)
昨今都市における生活空間の質的向上に向けて、環境省による「感覚環境のまちづくり」や国土交通省による「まちなかウォーカブル推進事業」など様々な取り組みが行われている。こうした環境デザインにおいては、建築や都市環境における人々の実際の空間体験に基づいて空間を評価・分析することが重要である。しかしながら、人間の認知的な立場から音環境を記述・評価する方法論に関する研究は少ない。
梶原(2002)による静的な定点観測による音環境の記述研究では、音の意味を重要視し、時間構造と空間構造の2つの側面から音環境の記述法が提案されている。
また堤(2018)による動的なサウンドウォークによる音環境の記述研究においては、人間が認知する音環境の主観的記述を通して物理的なうるささだけでは測れない複雑な音環境の記述法が提案された。
本研究では、堤による動的な音環境の主観的記述法の発展として、サウンドウォークによる動的な歩行シークエンスにおける音環境の記述を行う。歩行シークエンスによって認知される音環境を主観評価するとともに、計測による物理評価を同時に記録することで、主観評価と客観評価の両方を併せ持った音環境の記述法を提案することを目的とする。
また本研究では、一般住民をユーザーとして想定した再現性の高い記録法を構築することで、住民の音環境に対する意識の啓発や、感覚環境の価値の再発見、街路空間の再構築・利活用等のまちづくりの一助となることを目指す。
記録したデータを用いて、複数記録による主観評価のマッピングや主観評価と客観評価を合わせた記述、同一シークエンスにおける音環境変化の記述を通して音環境体験の時空間的記述・可視化を行う。
キーワード:都市、音環境体験、シークエンス、スマートフォン
コロナ禍のパフォーマンス・ワークショップの可能性の模索――「池の畔の遊歩音楽会2020・トランスメディアウォーク」を事例として(一般報告)
鳥越 けい子(青山学院大学)、鷲野 宏(都市楽師プロジェクト) 、山内 悟(フリー)
<池の畔の遊歩音楽会>は、「トロールの森」(2002年に始まった都立善福寺公園を会場とする野外アート展)における「身体部門」への参加プロジェクトとして、2010年の初演以降、2019年までの10年間にわたり、毎年一回「トロールの森」開催期間中の特定の日に、善福寺池(上池)を約1時間かけて歩きながら継続実施してきたプロジェクトである。
本プロジェクトの特徴は、演者と鑑賞者が池の周囲に点在する約10カ所の地点を、集団で同時に移動して訪れ、それぞれの地点で見えるもの・聞こえるもの等を体験し、同時にその土地が伝える物語や来歴や等に思いを馳せるためのパフォーマンス等を展開するという形で、その全体がプログラムされていることである。
したがって、そのプログラムは、屋外パフォーマンスであることから「高い通気性」が確保されるものの、まさに「人が密に集まって過ごす」「不特定多数の人が接触する恐れが高い」活動そのものであり、今年度はその実施を見送ることも検討した。そうしたなか、コロナ禍のなかで実施するための方策として、過去10年間の記録を、リアルとヴァーチャル(現実と架空/過去と現在)の世界を行き来しながら展開する「池巡り」として再編集したのが、本プロジェクトである。
鑑賞者は「音導(おとしるべ)」として池の周囲10カ所に設置された垂幕を辿り、そこに表示されているQRコードを各自のスマートホンで読み込み、過去に各地点で行なったパフォーマンスの音源と土地にまつわるテキスト等を呼び出す。それによって、鑑賞者は「現実の環境」と共に「場所の記憶と物語」に耳を傾けることになる。
今回は「事例報告」として、発表者等がこれまで<池の畔の遊歩音楽会>を企画・実践・継続してきた問題意識等を確認した後、コロナ禍におけるサウンドスケープに関するワークショップやインスタレーションに、本プロジェクトを通じてどのような展望や課題を認識したかを解説する。
キーワード:コロナ禍、サウンドエデュケーション、サウンドインスタレーション、遊歩音楽会、トランスメディア
はじめてのオンガク――サウンド・エデュケーションとユニヴァーサル・デザイン(一般報告)
今田 匡彦(弘前大学)
政治・経済的オーソリティ,共同体の柵,神話性や多文化からの影響等によって「音楽」とは既に制度化されたモノである,と嘗て矢野暢(1988)は指摘した。「音楽」がある程度制度によって固定されれば,その普遍項を突き止めることも夢ではない,と考えたのは民族音楽学者や音楽心理学者たちで,即ち,異なる音響文化から記述的に採取したデータに内在する主音,中心の有無(McAllester, 1971),主題と変奏,繰り返し,拍子等の構造原理の有無(Blacking, 1973),聴取,理解,学習等の知覚行動等(Harwood, 1976)の規則性を探ったが(Nettle, 1983),異文化間での音楽があまりに複雑に違いすぎ(Blacking, 1973),結局,彼らの野望は潰えた。既に制度化された「音楽」を腑分けしようとした彼らは,当然,新しい音楽の創生,といった意志を持たい。R.マリー・シェーファーは,サウンドスケープ思想の提唱により,「音楽」が制度化される以前の混沌に着目する。彼は,Acoustic Communityという切り口により共同体や公共性(音の制度化)も視野に入れつつ,過去,現在,未来が直線では結ばれず,実は分断し存在する(e.g., Derrida, 1989),音楽はそれらの点を即興的に横断する,故に制度の外側にある,という哲学的実際を,サウンドスケープ・デザイン(今目の前にないものを創り出す)という概念により具現しようとした。本発表では,トロント王立音楽院でグレン・グールドと同門のピアニストで,1945年以降のヨーロッパの前衛的な作曲技法,音楽語法を身につけた作曲家としてのシェーファーの,その音楽的背景を踏まえつつ,〈サウンド・エデュケーション〉を基盤とした子どもたちによるオルタナティヴなオンガクの創生を,学校の音楽,Social Inclusion, Universal Designをキーワードに探求する。
キーワード:学校の音楽、R. Murray Schafer; Sound Education; Universal Design; Social Inclusion
大学生の音楽聴取環境の変化(ショートトーク)
船場 ひさお(こどものための音環境デザイン)
大学生の音楽聴取環境について実施したアンケート結果について、2015年と2020年の結果を比較する。特に音楽の入手方法が、コロナ禍を経てサブスクが主流になったことについて紹介する。
キーワード:大学生、音楽聴取、聴取時間、サブスクリプション