店主の経歴

齋藤商店の店主「齋藤和輝」の経歴をまとめています。


1991年2月

母の実家がある千葉県の銚子の方の病院に生まれる。実家は神奈川県の川崎市。めちゃくちゃ寒い日だったらしい。

ちょうどアメリカのブッシュ大統領(父)が湾岸戦争を始めた頃に生まれた。


幼少期

神奈川県川崎市の公立小中学校に通う。クラスで2人だけデジモンカードを遊んでいたが周囲に流されポケモン・遊戯王と手を出す。

地元の古本屋でお兄さんに雑魚カードをレアだと騙されて買ったのが想い出。


青年期

LABO Partyという塾に通い、ハマる。英語と日本語を使った身体表現のみの演劇を幼児から大学生までで行う、というなかなか似てるものがない習い事。

いちおう50年以上の歴史(1966年に始まる)があり、著名人では宇宙飛行士の若田光一さんや劇作家の平田オリザさんが通っていたことがある。


大学生

國學院大學経済学部経営学科に通う。学校の授業がつまらなすぎて図書館や本屋で興味の湧いた本を読み漁り、書いてある内容を上記のLABO Partyの中で実践するという日々を過ごす。当人は"大学生時代は遊びまくっていた"と思っていたが、周囲の"遊び"とは少々異なっていたことに後々気づく。

大学4年の頃にうっかり森林整備の活動に巻き込まれ興味を持ち林業ボランティアを始める。


新卒

就職活動に苦戦し(今にして思えば多々反省点はある)興味本位で流れ着いたのが築地市場だった。青果市場の大卸会社にセリ人見習い(営業職)として正社員就職。

人生で一番筋肉質な期間。フォークリフトの免許を取得したりターレーにのったり、腐ったナスの悪臭に悲鳴を上げる日々を過ごす。13ヶ月で退職。

この頃、年末年始のバイトで茨城県にある里山ホテルときわ路で働いたりしていた。この時に学んだことは後々も活きることに。


新人期間

運動を全然していなかったのに築地市場の肉体労働によって体を壊し休養、紆余曲折あって渋谷のスタートアップに就職。

当時、流行り始めたオウンドメディアというウェブマーケティングの一種を請け負う企業でウェブ編集者としてのキャリアを歩みはじめる。

社内で最多納品本数やら最多PV記事を作るやらしていたが、月50本納品を言い渡された翌月にさらに納品本数が増えると聞いて退職。

ストックオプションを逃し人生で最初のお金持ちになるチャンスがこぼれ落ちた。


地域活動

東京都文京区にある我楽田工房というコミュニティスペースを運営する会社に編集者として転職。編集者…というかなんでも屋化していく。

この頃にカメラにはまり奮発してフルサイズ一眼レフカメラを買いそれをきっかけにカメラマンをしたりしていた。

「まち冒険プロジェクト」や「コミュニティナース育成プロジェクト」「神田川アートブロッサム weアートマルシェ」など様々なプロジェクトを経験。

たぶん人生で一番多くを学んだ期間。


サラリーマン擬態

多種多様なプロジェクトの経験を持ち多少の自信を得た一方で"普通"に興味が湧く。おもしろいこと、社会で大切なことをしている人はたくさんいるのに、社会全体が変わる感覚は全然ない。

なぜなら社会の大多数は"ふつう"の人々で締められており、彼らは"おもしろいこと"とも"社会で大切なこと"とも無縁な生活をしているのではないか。

そう考えて、選択肢の中で一番"ふつう"っぽく感じた飯田橋のシステム開発会社に転職。

転職直後に親会社が買収され役員全員入れ替わり、など(入社直後に役員の退任挨拶を聞いた)面白い経験をさせてもらう。当時の上司によって"社会人の常識"を(いまさら)教わる。足を向けて寝られない。


独立

「令和元年八月一日創業」という人生で最初で最後のエモい感じがするタイミングで起業したい、という理由で退職して個人事業の届け出を出す。これが齋藤商店の始まりであった。

名前の由来は、当時なにをするか決めていなかったので「なんでもできそう」でかつ「誰でも覚えられる」名前をつけたくて命名した。


ー新型コロナウイルス感染症が広がるー

ー千葉県松戸市に引っ越すー


路上博物館の創業

サラリーマン擬態〜独立の頃に出会った森さんと一緒に一般社団法人路上博物館を創業。

全国の博物館を相手に、博物館はもっと面白い、を実現するためにいろいろな企画をしている。

詳しくは「路上博物館」で調べてみてください。


一般社団法人オンラインミーティング推進協会の創業

友人に誘われてオンラインミーティングに特化した法人を作る。勢いさえあれば一般社団法人くらい作れるんだなぁと思った。

企業やフリーランス向けにマニアックな範囲までカバーしたオンラインミーティングの技術を学べる講座を企画運営した。


NPO法人まつどNPO協議会に参画

コロナの影響で無収入の月が発生する、路上博物館は創業したて、などなんだかんだで経済的にピンチな時期に誘ってもらって参加。

ここ経由で松戸市役所のいろいろな部署から仕事を受けたりもしている。

相当端折りましたがおおむねこのような人生を生きてきました。

2023年1月には第一子も生まれたのでこれからも健康で元気にがんばります。