令和5年度 第7回さばえ狂歌選評
今年も多くの作品応募がありました。作品を投稿いただいた県内外の皆さまに感謝いたします。「さばえ狂歌」とは、何か。短歌や川柳とどう違うのですかという問いが寄せられています。 そこで、「狂歌」の特質を、作品のよさを具体的に紹介しながら、その問いにもお答えする形でお伝えしたいと思います。さばえ狂歌の特質は「本質をつく・うがち」そして「批判精神とユーモア」「歌の韻律・リズム」にあると考えています。そして狂歌の土台は「冷静に自己を見つめる、社会をみつめること」だと考えています、具体的に、作品十三首で述べたいと思います。
1 鯖江市長賞
「言霊と 人の形代 響き合い 魂震わす 人形浄瑠璃」
作者は、浄瑠璃を直接鑑賞して「魂震わす」ものと捉えました。直に人形浄瑠璃にふれ、その感動を歌にした作品であると思います。なぜ、生身の人間とその言葉で演じられるより、人形浄瑠璃の方が惹きつけられるのか。「言霊」つまり人の情念、神秘的な言葉の霊力としての言葉と「人の形代」が、「魂震わす」のだと言います。人形浄瑠璃の本質を言い当てています。「ことだま」「かたしろ」という言葉は、聞きなれない言葉かもしれませんが、意味を考え、口ずさんでいけば、味わい深い歌になります。繰り返し声にしていく。そして韻律を楽しむ。歌のよさでもあります。自分が、生活の中で直接鑑賞した時の感動を歌いながら、人形浄瑠璃の本質を、リズミカルに歌いあげている歌だと言えます。
2 鯖江市議会議長賞
「高校生 模試に部活に 年中無休 ある意味ブラック やばくない?」
高校生の作品です。高校生活の日々の姿が描かれます。「模試に部活に 年中無休」と捉えて、それを書きあげます。この上の句を歌ったところで、作者は立ち止まります。そして、何かに似ていると気づきます。「ある意味ブラック」だと。この「ある意味」が狂歌です。高校生活を冷静に見つめ、「こんなはずでは」という思いを「ある意味」につなげていきます。最後に「やばくない?」です。聞き手の皆さんに、自分の感じた疑問をなげかけています。けっして言い切っていません。その問いがさらに歌の効果をあげています。狂歌として、高校生活の本質を捉え、批判精神をもちながら、韻律ももった狂歌でなければ表現できない作品です。
3 鯖江商工会議所会頭賞
「温もりと 人恋しくて 居酒屋の 暖簾くぐれば オーダーはデジタル」
作者は、昼の仕事を終え、「人恋しくて」 仕事の世界とは違う世界、「温もり」を求めて居酒屋に向かいます。居酒屋に向かう時間さえ「温かい」いとおしい時間となります。しかし、暖簾をくぐると、景色は一変します。なんと「オーダーはデジタル」。作者が、デジタル機器を前にして、たじろいでいる光景、昼の仕事と同じように一瞬にして緊張している姿が目に浮かびます。上の句と下の句の落差が見事です。「人恋しくて」暖簾をくぐったのにというのに「求めていた世界とは別の世界」という、作者の思いが伝わる狂歌です。
4 鯖江市教育委員会教育長賞
「ピチピチと 世界で跳ねる 宮田さん 鯖江育ちの ニューヒロイン」
宮田笙子さんは、女子体操のチームジャパンのエースとして、2024パリオリンピックの出場枠を決め、活躍が期待される選手です。宮田さんの出身高校の先輩でもある作者は、高校での活躍している姿を重ねて「ピチピチと 世界で跳ねる」とし、実際の練習や大会で活躍し「跳ねる」姿と「世界で跳ねる」を重ねて、歌いこみます。「鯖江育ちの」という言葉に、宮田選手を支えた鯖江の人たちの思い、そして世界に羽ばたく宮田選手へのあこがれと、「夢は実現するものだ」という思いも伝わってきます。
5 (一社)鯖江観光協会 会長賞
「地味福井 いえいえ鯖江は ほこらしい めがねのおかげで 日本一」
福井人自身が「地味福井」と思い込んでいます。その認識を揺さぶる歌です。「いえいえ鯖江は」といい、「ほこらしい」とし、「めがねのおかげで」「日本一」と、福井への認識をどんどん高めていきます。この表現が、愉快です。「地味福井」とは、表現が「地味」でアピール不足ということではないでしょうか。「地味福井」を「いえいえ」と明確に否定し、「日本一」と言い切ること、福井の良さを発信することこそが、この歌の本質的な魅力です。畳みかける言葉のリズムとともに、語りかける口調で、聞き手を元気にする狂歌です。和歌では表現できない領域を狂歌は踏み込めます。ユーモラスささえ感じさせるのは、この歌の表現の明るさからでしょう。
6 福井県農業協同組合 代表理事組合長賞
「コロナ禍に 見直し事の 多かりし 無駄な見栄捨て 簡素化を知る」
狂歌は、時代を見据えます。「今」をみつめ、考えます。今は、コロナ禍を乗り越え、「アフターコロナ」の時代に入りました。その中で作者は「簡素化」の意味に気づきます。「見直し事の 多かりし」に気づいたというのです。仕事であれば、出勤や県外や外国への出張をしなくても、ある場面では「オンライン在宅勤務」や「オンライン会議」に変えられることがわかってしまいました。身近な我々の生活の中で、社会をよく見つめて考えれば、「無駄な見栄捨て、簡素化を知る」ことに気づくことになるのです。身の回りをみつめ、批判的精神で考えること、そして未来の生き方を探ること、それが「狂歌」の見方でもあります。
7 協同組合 鯖江市繊維協会 理事長賞
「年金は 減りて費用は 増すばかり 善きも悪しきも 長寿の社会」
長寿社会は、すばらしい世界だというのが世の常識です。50年前は100歳以上が153人だったのに、現在は9万を越えます。かつては「おめでたい」という言葉だけでよかったのに、長寿社会、100歳社会が近づき、どうでしょうか。「善きも悪しきも」と歌ったところが、この歌の「長寿社会」の本質を言い当てています。どんなことでも「プラスもあればマイナスもある」のです。長寿社会は「善きも悪しき」もすべて抱え込み、包みこんでいるのです。だから「年金は 減りて費用は 増すばかり」なのです。しかし、悪いことばかりでもありません。長寿社会はすべてが万歳というわけでもないのです。そういう冷静な目、批判精神がこの狂歌に表れています。
8 (一社) 福井県眼鏡協会 会長賞
おしょりんで 鯖江メガネの ルーツ知る 今じゃブランド 先見の明」
「おしょりん」は、今年十一月に公開された映画で、タイムリーな映画を題材にしています。明治時代に福井で眼鏡産業の礎を築いた増永五左衛門と妻、兄弟の幸八の物語です。狂歌は、身の回りと自分たちとの繋がりを見つめ直すものともいえます。小説を書いた藤岡陽子さんに取材の話を直接聞いたとき、もっと調べたい、知らなかったことを聞きたいという気持ちで、取材を重ね、小説にしていったとお聞きしました。福井のよさを知る、つまり「鯖江メガネの ルーツ知る」です。狂歌は、現在を見つめ、未来につなげていきます。「今じゃブランド 先見の明」です。眼鏡産業のルーツを探ると「勤勉性」「仕事をつくっていく」「仕事を分け合っていく」という明治の福井人のすばらしさに突き当たります。明治の福井人に出会い、これからの福井人の生き方を示してくれる狂歌です。
9 越前漆器協同組合 理事長賞
「『えーっとあれ』 思い出せない 事が増え 夫婦の会話 見栄の張り合い 」
夫婦の何気ない会話を題材に、老いをみつめる作品です。年とともに、誰でも「思い出せない」ことが増えてきます。ところが、現実には「えーっとあれ」と思い出せないことがあっても、夫婦は相手に言いません。相手に言われたくないし、自分の老いも認めたくないのです。それを「見栄の張り合い」としたところに、この歌の面白さがあります。自分の姿を冷静にみつめ、老いてなお「見栄の張り合い」をする姿を発見しているのです。自分をユーモラスに表現しながら、やがて笑えなくなる、そして考えさせるという点で、すばらしい「狂歌」です。
10 福井新聞社 社長賞
「あいたいよ でももうあえない じぃちゃんに 空高くとべとべ ぼくのホームラン」
小学生の作品です。大好きだったじいちゃんは、もうこの世にいないようです。「あいたいよ でももうあえない」おじいちゃん。僕は、野球の試合か練習で「ホームラン」を打ちます。その快音とともに「空高くとべとべ」じいちゃんのいる天国に届くようにと言う、少年の素直な願いを感じ取れます。「とべとべ」は、ホームランボールだけではないと思います。日常生活の中で、がんばったことをじいちゃんに見て欲しいのです。その願いを「ぼくのホームラン」で象徴しています。のびのびとした少年の、まっすぐな思いが、心をうつ作品です。
11 FBC社長賞
「侍に 福井のスター ついに出た 吉田正尚 ここに見参」
WBC(ワールドベースボールクラシック)侍ジャパンの一員として活躍し、現在はアメリカのボストン・レッドソックスで世界的活躍をしている吉田正尚選手は「侍に 福井のスター」、世界に羽ばたくスター選手です。鯖江ボーイズでの活躍の話を聞いていますので、親しみがあり、福井県民として本当に応援したくなる選手です。同じく、WBCやエンゼルスで大活躍をしている大谷翔平選手とともに日本の誇りであり、その毎日の活躍を見ての感動を、歌にしている作品です。岩手の大谷選手の東北人らしさと対照的に吉田正尚選手は、職人芸的、精進を重ねていく福井人の典型を感じさせる選手だと思います。「福井のスター ついに出た」「ここに見参」声高く、力強い歌です。そして吉田選手を応援している福井県民の声を代表した歌にもなっています。
12 福井テレビジョン放送株式会社 社長賞
「これからは 個性を生かすと 言いながら 皆が同じを 目指す学校」
「個性を生かす」は、教育の目標である。一人一人が、そのよさを伸ばし、それぞれの良さを認め合い、お互いに協力しながら、社会を作っていくというのが、教育界の常識です。ところが、教育の受けてである高校生は、「個性を生かすと いいながら」 「皆が同じを 目指す学校」と歌っています。どこが間違っているのだろうかと、問いかけています。自分の生活を見つめ、「個性を生かす」という理念と、日常生活との乖離を、言葉にした作品です。狂歌ならではの批判精神に満ち、ものごとの本質を見抜く歌でもあります。
13 こしの都ネットワーク株式会社 社長賞
「努力には 辛く苦しく 乗り超える そこから近づく 理想の自分」
最後に審査会で、狂歌とはどういうものなのかという話し合いをしたときに、例としてあげられたのが、この狂歌です。狂歌とは一つに「ものの本質を捉えて歌うこと」つまり「うがち」であること。二つ目に、「物事を冷静に見つめ、批判精神とともにユーモラスであり、笑いがあること」、そして第三に「歌として、韻律の響きもあること」を挙げてきました。その上で、狂歌のもっと土台となる思想は何かといえば、自分の生活を冷静に見つめ直し、その気づいたことや自己発見したことをもとに、歌をつくりあげること、その気づきの中に、「未来」も見据えていけるものという意見が出されました。その「狂歌の原点」として、この狂歌は「努力には 辛く苦しく 乗り超える」というように、真摯に自分を見つめ直している姿、その上で「そこから近づく 理想の自分」というように、志を示し、未来に向けてひたむきに歩む姿が読み取れます。「狂歌精神」の根本を考える上で、狂歌とは何かという考えのヒントになると思い、この作品を紹介しました。
これらの狂歌作品のよさを読み味わい、参考にしていただき、来年の投稿をお待ちしています。
令和5年11月吉日
文責:さばえ狂歌コンクール審査員長