令和6年度 第8回さばえ狂歌選評
今年も、数多くの応募作品をいただきました。作品を投稿いただいた県内外の皆さまに厚く感謝いたします。今回も高校生の若い感性あふれる作品が多数ありました。
さて「さばえ狂歌」は、どんな狂歌なのでしょうか、また今後、どのように展開していけばよいのでしょうか。このような課題に答える形で、講評したいと思います。特に、さばえ狂歌では、3つの観点「本質をうがつ」「批評とユーモア」「韻律とリズム」の視点から、審査をさせていただきました。具体的に、これらの観点と今後のさばえ狂歌の方向性をさぐりながら、入選した作品をもとに講評させていただきます。
1 鯖江市長賞
「JK課か 物議ぶつぎ醸かもして はや10年ねん すくすく育ちそだ 若者わかものパワー」
JK課の誕生を10年物語として捉えた歌です。その誕生は「物議」を醸し賛否両論があり、話題となりました。それも「はや」10年、この「はや」が時代の変化を表し、年輪を感じさせます。そして、それは「若者パワー」そのものだったと結んでいます。10年立たなければ、本当の意味はわからないのです。まず「やってみる」。10年立って、その本質が明らかになったと歌っています。若者を育てる環境づくり、それはやってみなければならないということなのでしょう。最後に「すくすく育ち」「若者パワー」と、どんどんせりあがり、体言止めで余韻を残しています。
2 鯖江市議会 議長賞
「流行りゅうこうに ついていけない? いや違うちが 流れながが私わたしに ついてこないの」
「流行についていけない」ではなく「流行がついてこない」。逆転の発想です。作者は高校生。「流行」は「私が作る」という宣言でもあります。強い個性的な生き方と感性が、流行をつくります。そう言っているのです。その流行の賛同者は、二人、十人、やがて百人と増えていきます。もちろん、作者には「では、あなたは何ができるの」と問われるでしょう。すでに作者は、その批判を返す覚悟ができています。そして自分の感性に基づいて動いていきます。流行は、こう歌いこんだ時点で、もう始まっているのです。
3 鯖江商工会議所 会頭賞
「診断しんだんは 老齢ろうれいですと 言いながらい しっかり薬くすり 出すだクリニック」
「老齢」とは、自然に年を取っていくということ、しかし、実際には薬は「しっかり出」されました。この矛盾がおもしろいのです。「老齢ですと 言いながら しっかり 薬」の「しっかり」の一語が生きています。「老齢」を、人の自然の衰えを見立てたのに、しっかり薬は出します。それは、患者が薬に頼りすぎなのか、医療システムの問題なのか、はっきりはわかりません。だが、生活感覚から疑問を感じ、狂歌にしています。狂歌の視点から、「高齢社会」そして「老齢」という問題に迫った、鋭い狂歌です。
4 鯖江市教育委員会 教育長賞
「鯖江さばえより 体操たいそう王国おうこく とどろきて 着ちゃく地点ちてんは パリで観みたり」
「体操の着地点」とオリンピックでの「体操王国としての着地点」が重なり、おもしろい歌になっています。
福井県の杉野選手は、最後まで「着地練習」に重点を置いた練習を重ねたと聞いています。「鯖江」の「体操王国」の選手の姿が、世界に羽ばたきました。そして、オリンピックで「パリ」にその姿を完結させています。「着地点」という言葉が光ります。作者は、その着地点を、着地点の視点から「観たり」としています。新しい観点から体操王国を表現した歌であります。
5 鯖江観光協会 会長賞
「最近さいきんの インバウンドの 外国人がいこくじん 俺おれより知ってるし 日本にほん文化ぶんか」
インバウントとして海外からの観光客が増えてきました。ところが、そのインバウンドの観光客が、福井や日本の文化のよさを、俺よりよく知っていたという歌です。外国人の見る日本や福井を見る目は、新鮮です。SNSで外国人が紹介した観光地は、瞬くうちに世界に広がっていきます。新たな、福井、そして日本の発見です。外国に出たとき、日本のよさを知ると聞いたことはありますが、外国人観光客の視点から、日本文化のよさを知ることになるという「発見」も、またおもしろいのです。
6 鯖江市繊維協会 理事長賞
「ナビ役やくの 妻つまが居たいから 来れたこ道みち 迷うまよことなく 逸それることなく」
自分が歩んできた道を「迷うことなく 逸それることなく」と言い切っています。人生、迷いも多く、逸れてしまうことさえあります。それをなんとか生きてきたのは「ナビ役」の「妻」であったという発見です。言葉のリズムも生きています。狂歌は、人生を見つめ、社会を見つめ、日常生活を見つます。その中で、シンプルに本質をつかんでいくとき、新たな発見が生まれます。「ナビ役 妻が居たから」という「気づき」が、ある日作者を揺さぶったのです。日常生活で気づいていったことが、歌になります。狂歌の魅力や幅広さを表しています。
7 福井県眼鏡協会 会長賞
「福井県ふくいけん 田舎いなか・田舎いなかと言われるいが めがねのことは 負けてまない」
「めがねのことは 負けてない」の「負けてない」の一語に、惹きつけられます。「田舎・田舎」の表現は「田舎・ここも田舎、この点でも田舎」というように、田舎が続く感じの表現です。しかし、田舎は地方です。そこで、地方創成です。その地方をつくり上げるものは、実は「何については 負けない」ということではないでしょうか。地域の自負がなければ、地域創生はありません。地域の志、つまり「負けない」がなければ、地域の個性も育たないのです。「負けない」に地域の心意気を感じます。狂歌は、地域・人生・環境幅広く歌います。地域をどう活性化するかという議論をするとき、狂歌の視点は生きるのではないでしょうか。地域の個性、地域の深さを、新たな視点で捉え、地域のエネルギーを引き出すヒントを与えてくれるものになるでしょう。
8 越前漆器協同組合 理事長賞
「お前まえそれ あなたこそあれ 認知症にんちしょう 笑いわらにかえて 老いたるお二人ふたり」
「お前それ」「あなたこそあれ」、高齢になるほど「あれ」が増えてくるようです。そして「認知症」、重い言葉です。一人だけで背負っていこうとすれば、担いきれないほどです。重い言葉です。それを後半、「笑いにかえて」の発想で転換を図ります。そして「老いたる二人」と結びます。認知症という重い言葉を「笑いにかえる」ことで、乗り越えられるというメッセージでもあります。「笑い」が深刻な人間関係を変えていきます。認知症対応への生きたヒントを授けてくれています。今、介護者に贈りたい歌の一つです。狂歌は、介護や認知症の問題も、歌いあげていきます。幅広い領域をもち、日常を観察し、発見していきます。人間観察、生きるヒント、そして新しい視点を与えてくれます。それが狂歌であると思います。
9 福井新聞社 社長賞
「虫むしの音ねと ペンの音ね響くひび 夏なつの夜よは 望月もちづきすらも 見るみ暇ひまもなし」
「虫の音」と「ペンの音」だけが響く勉強部屋。作者は、集中しています。そのイメージが広がります。後半「見る暇もなし」と、覆します。勉強に集中していますが、夏の夜の望月でさえ、作者には目に入りません。「見る暇もなし」の「なし」が効果をあげています。勉強している一瞬を切り取り、見て取っています。作者は、自分自身を「夏の夜は 望月すらも」と追い込みます。高校生活の中で、何か感覚的に失っているものがあるのではないかという感覚と、現実には学習に集中しなければならない自分、この矛盾の中で、自己を表見している歌だといえます。
10 FBC株式会社 社長賞
「平穏へいおんに 暮らしてくいければ それでいい それさえできぬ ガザの人びとひと」
平穏で、普通の生活のすばらしさを語る人は多いものです。しかし、頭ではわかっていますが、本当に平穏で普通の生活の本質がわかっているのでしょうか。後半、「それさえできぬ ガザの人びと」とひっくり返されます。外のすさまじい現実、紛争、子どもでさえ「腕や足」を失い、視力を失い、命も落としていきます。そのすさまじい現場を見たとき、また想像したとき、「平穏」の意味も、別の意味をもつことになるのではないでしょうか。
11 福井テレビジョン放送株式会社 社長賞
「現代人げんだいじん スマホに生活せいかつ 支配しはいされ いつかはスマホに 洗脳せんのうされるか」
高校生の歌です。高校生は現代に生きる人であり、スマホ社会に生きています。ところが、高校生の作者はスマホに「支配されるか」とまで危惧しています。危惧している人たちだからこそ、生活を一歩下がって見られるのです。狂歌は、日常生活をみつめ、気づいたことを言語化するものです。歌という形で言語化します。表現することを通して現実を見つめ、問題に対する認識を深め、新たな「モノ」や「人間」との関係をつなげていこうとするのです。狂歌の題材の懐の深さ、狂歌のすばらしいところです。
12 こしの都ネットワーク株式会社 社長賞
「年齢ねんれいは うまく鯖さば読むよむ 君きみなのに なぜに読めないよ この場ばの空気くうき」
「鯖読む」と「この場の空気」を「読む」を重ねていて、歌の響きがおもしろい歌です。「年齢はうまく 鯖読み」できる君なのに、今、この現実の、この場の固くなりつつある雰囲気をどうして読めないのか、と言う「いらだち」を感じます。
しかし、作者はストレートに「この場の雰囲気がわからないの」とは言いません。おだやかに斜めの表現として「うまく鯖読む 君なのに」と表現しています。斜めの表現をすることで、笑わせながら、人間関係に気づかせ、話が展開していきます。「場の空気」が読めないこのリアリティの場で、あらたな話の展開が感じられます。狂歌は、日常の一瞬も見逃さない幅広い歌です。ときにストレートな表現を、狂歌としての「笑い・ユーモア」をもとに、新しい関係につなげていくことになると思います。狂歌の可能性といってもよいでしょう。
最後に、狂歌は、日常を見つめ、それを歌にしていくときに生まれるものだと思います。狂歌を歌い続けながら生活を見つめる、さらに生活を見つめながら狂歌を歌いこんでいきます。そういう中で、さばえ狂歌の題材に幅ができ、我々の日常生活への認識が深まる、そして自己をみつめる狂歌になればと願っています。
来年度も、多くの作品が応募されることを願い、講評に代えさせていただきます。
令和6年11月吉日
文責:さばえ狂歌コンクール審査員長