女子中高生夏の学校でのこと

標題の取り組みは, 毎年夏に埼玉県比企郡にある 国立女性教育会館 にて2泊3日で開催されている, 全国の女子中学生・高校生に向けたイベントである. 通称「夏学」とよばれるこのイベントに, 僕は2013年度の講師として参加した. 日本数学会のメンバーとしての参加だったが, それ以外にも複数の学会が話題提供・協賛をしている. どちらかといえば文系よりも理系寄りのイベントである. ちなみに2021年度はオンライン開催で, 僕は日本数式処理学会の広報委員長として2回目の参加を予定している. 2013年度の参加レポートは ここ(日本数学会・数学通信の記事)に書いたが, ここではその後日談を書く.

参加レポートの3章に述べた通り, 2日目夜の自由懇談会のとき, 僕は高校1年生のある学生さんから相談を受けた. その子を仮にAさんとする. 彼女は文系志望だが, 趣味で自宅で育てているアサガオの観察を続けているうちに生物学にも興味をもつようになったという. 数学者である僕になぜ相談したのかというと, 僕が九州大学理学部の所属だったからである. 僕は当時知らなかったのだが, 九大にはアサガオ研究の有名人がいるとのことで, 同じ理学部なら何とかつながりを持てるのではないかと考えたのだと思う. 詳しく話を聞くと, 当時育てていたアサガオが花を咲かせているときに1株だけ茎が伸び続けているものあり, もしかするとこれは変異種ではないか?と気になって仕方がないとのことだった. 熱心に話をする彼女を見て, 何とかしてあげたいと思うようになった. このときちょうど, 九大理学部の若手が集まって交流をする試みとして Quricon というものがあり, 僕も一度講演をしたことがあった. そのお陰で生物系の友人も何人かいたので, お願いできるかもしれないと考えたのである. Aさんとは適切な手順を経て連絡先を交換した(相手は未成年かつ女子なので, きちんと主催者等に許可を取る必要がある).

福岡に戻り, すぐに生物学系にいた深野祐也君(現・東京大学助教)に相談をしたところ, 快く協力してくれることになった. 彼は生態学における若手のスーパースターであるが, 気さくで温和な人物である. 彼の仲介で, 今はなき箱崎キャンパスを久しぶりに訪れた(当時数学系は伊都キャンパスに移転済であった).

お会いしたのは仁田坂英二先生(現・九州大学准教授)である. 仁田坂先生の研究室=といってもオフィスのようなものではなく, 一面のアサガオ畑と隣接する事務所のような環境を見て思わず息をのんだ. それくらいの迫力だったのである. ゆうに数千株のアサガオたちの中には, 極めて珍しい変異種もそこかしこに咲いており, これはアサガオ好きにはたまらないだろうなと思った. しかしAさんは東京在住のため福岡に来てもらうことは難しかったので, 仁田坂先生に写真を撮ってよいかと尋ねると快諾していただいた. それどころか, 貴重な研究資料もすべて自由に見て撮ってよいと仰った. まさしく研究者の鑑である. このとき撮った写真は600枚以上だったと思う.

ところで少し本筋から逸れるが, なぜここまでやろうかと思ったのか, それは過去の経験が理由である. まだ僕が20歳くらいのときに, 学生主催の某イベントで専門家の研究者をお招きしたいと思い(もちろん講演料などは用意した), その先生に手紙で講演の依頼をお送りした. 同時に電子メイルでも連絡をしたと思う. ところがその先生からは, 手紙もメイルも全て無視された. 単にジャンクメイルだと思われたかもしれないし, 多忙を極めておられて相手している余裕はなかったのかもしれないが, それでも無反応というのはショックだった. なので同じような経験をしてほしくないという思いが強かったのかもしれない. 僕自身もこういう経験(問い合わせられる側)をしたことはまだあまりないが, 同じようなことは絶対にやらないと決めているし, なるべくこういった仕事はアウトリーチ活動として引き受けるようにしている.

さて, 写真を撮り終えたあと, 僕はAさんから預かっていた変異株疑いのアサガオの写真を仁田坂先生にお見せした. 仁田坂先生はじっくり写真を観察された後「変異株ではなくよく起こりうる現象だと思うが, 継続して育て続けると変異株に化けることもあるので, ぜひ引き続き観察を続けてみてください」とコメントされた. その際に注意すべきアドバイスもたくさん教えて下さったのだが, 高校生に対しても研究者として真摯に向き合っていらっしゃる姿勢に感銘を受けた.

最後にサプライズとして, 仁田坂先生からAさんに手紙を書いていただき, 撮りためた写真をまとめたものと一緒にAさんの自宅に郵送した. 自分自身も大変に勉強になったし, 貴重な体験ができたのでむしろAさんにはお礼を言う立場である. このときの達成感は言葉では言い表せない.

郵送して1ヶ月後のことである. 僕は当時東北大学で集中講義をやるために仙台に出張していたのだが, お昼休みの合間に九大数理の事務から電話がかかってきた. トラブルでもあったのかと聞いてみると, なんと僕宛に要冷蔵の高級菓子折が2箱も届いているがどうしたらよいかという問い合わせだった. 当時僕は PD で, 基本的に自宅で研究をしていたのでオフィスがなかったため, 1箱は談話室の冷蔵庫に入れてもらい, もう1箱は事務の皆さんで食べてくださいと伝えた. 後にも先にもこれだけ大量の生菓子が職場に届けられたことはないと思う. 出張後食べた高級菓子はもちろん絶品であり, 後でこっそりネットで価格を調べたら腰が抜けた. Aさん一家は都内の一等地在住であったからお金持ちだったのだろうと思うが, それでも多すぎるお礼に恐縮してしまった.

お菓子には, 一緒にAさんからの手紙に加えてAさんのお母様からの手紙も添えられていた. そこには「こんな一学生に対してここまでして頂き感謝いたします. これを機にAは自分で積極的に考えることが増え, その大切さに気づけたと思います」とあり思わず涙がでた. Aさんからの手紙には「厳しい気候にもかかわらずあのアサガオはまだまだ力強く成長しています. 私もこのアサガオのように一生懸命頑張りたいです」という言葉とともに, なんと文系志望を理系志望に変えたという衝撃のカミングアウトがあった. 今回のアサガオ事件が直接のきっかけになったのかは不明だが, ちょっとした出来事が人生を大きく変えてしまうということと, 我々教育者はそのきっかけとなる可能性が極めて高い職業であることを実感し, 身の引き締まる思いである.

このとき以来, Aさんとは毎年年賀状の交換が続いているのだが, Aさんはその後東京大学に合格し, 生物系の道で大学院に進んだ. これは当然Aさんの努力が実を結んだ結果である. また色々なイベントなどにも参加されているようで, ネットニュースなどでも度々見かける才女である. 僕も現状に胡座をかくことなく, アサガオのように向上心を持ち続けていきたいと思っている.

Contact:  s-yokoyama [at] tmu.ac.jp