親友 Nils の話

上の写真は Nils がヨーロッパに異動する際に, 福岡空港までお見送りをしたときのものと, 銘店「うどん大学」で日本酒の研究をしている様子である(ダイエットする前なので, 現在よりも20kg以上太っているときなのはご愛嬌). 送別の際には金子昌信先生(現・九州大学教授)とそのご家族も来られていた. 同じ職場にいたのは1年にも満たない期間だったが, 僕の数学者人生において最も親しくしている友人の一人である.

彼の名前は Nils Matthes という. 正確な発音かどうか怪しいが, 僕はいつも「ニルツ」とよんでいる. 彼と最初に出会ったのは2017年秋に開催されたドイツ・マックスプランク研究所でのカンファレンスである. 当時すでに Nils は九大に PD として赴任していたのだが, 直接話をしたのはこのときが初めてである. Nils は多重ゼータ値(MZV)に関する素晴らしい業績をすでに多くあげており, 2018年の秋にイギリスの名門オックスフォードに異動した. 字面だけで見ると常識破りの秀才なのだが, 最も驚いたのは彼の性格だった. 決して威張ることなく, 誰にでも分け隔てなく優しい. 聖人君主のような人だと(誇張なしに)思ったものである. 彼はドイツ・ハンブルグ出身であり, もちろんビール好きということもあって急速に仲が深まった. 正直なところ, 同じ代数・数論系ではあったが専門はずれていたので, 彼とは数学者としてではなくかなり personal な付き合いだと思っている. それからもちろん, 彼が非常にハンサムであることは写真を見れば一目瞭然である.

ドイツから戻った後, ほぼ毎月のように彼と飲みに行った. 2018年7月に東京電機大学での談話会に招待いただいた際も Nils とのダブルヘッダだった. 講演の翌日にお互い自由な時間があったので, 2人で上野のアメ横で飲み歩きをしたのがとても楽しかった. 2018年4月に娘が生まれたときは, 研究室に大量のビールを持ってきてくれて盛大にお祝いしてくれたのが忘れられない. ちなみに僕は人と比べてだいぶ酒が強い方だと思うのだが, Nils が酔って先に寝てしまったことはこれまでに1度しかない. それから僕の娘の名前は「さやか」というのだが, 同じく大切な友人である Jennifer Balakrishnan(現・ボストン大学准教授)のミドルネームと同じであることに Nils から指摘されて初めて気がついた. 彼女はお祖母様が日本人であり, これまたとんでもない秀才であるが素晴らしい性格の持ち主である. 本場の長浜ラーメンが食べたいというので元祖に連れていったら引くほど感動してくれたのを覚えている.

同じく2018年に Nils が30歳の誕生日を迎えたとき, Nils がパーティーに招待してくれた. ドイツでは30歳の誕生日を迎える際, 祝われる側がすべてのビール代をもつのだと言っていて, 冗談だと思ったが本当に全額払っていた(それ以外の食事やプレゼント等はもちろん我々でもった). Nils と同じドイツ出身の Henrik Bachmann(現・名古屋大学准教授)がサプライズゲストで九大まで来たのだが, パーティー後に2次会と称して僕の研究室で3人で飲んだのが懐かしい. ちょうどこの日は泊まりがけのサーバ保守作業があったので(前職では支線 LAN 管理者をしていた), 22時頃にそろそろお開きにするかとなったのだが, Nils と Henrik が「今から天神に飲みに行ってくる」と言い出した.「終電で帰ってこれないよ」と言ったら「行きだけいければいいんだ, 少なくとも始発までは飲んでる」と言っていてドン引きしたのを覚えている. ただ2人ともそれなりに酔っていたのか, 僕の研究室のホワイトボードに謎のワードを書き残して去っていった. 何のワードかについてはとてもここには書けない.

Nils と Henrik の思い出としてもう一つ忘れられないのは, ドイツのパブでの出来事である. 先にも書いた通り, 初めて Nils に会った2017年のドイツ滞在中にビールを飲みに行ったのだが, その2次会で3人一緒にあるパブに行った. すると店のマスターが「これはサービスだ」といってスピリタスを出してきた. ギリシャのウーゾ(Ouzo)という酒で, 加水すると白濁する特徴をもつが, アルコール度数が40度もあることとビールをたらふく飲んでいたために, それ以降の記憶を無くした(飲んでいて記憶を無くしたのは人生でその1度きりである). しかしきちんとホテルに戻って寝ており, 二日酔いも盗難もなかった. 翌日そのことを2人に話すと, そんなに酔っ払っていたとは全く気づかなかったと言われた.

Nils がオックスフォードに異動することが決まったときは寂しかったが, Nils の人徳と才能を考えれば当然の栄転であったから, 最後まで楽しく飲みに行き, また近いうちに会おうと約束して別れた. 素敵なパートナーがヨーロッパ在住であったから, 仕事でもプライベートでもいい異動だったはずである. それ以降, 毎年クリスマスのシーズンになるとメッセージカードを送ってくれる. Nils は性格もイケメンである.

2023年の春に国際研究集会をやることが決まったので, Nils に講演をぜひともお願いしたいと思ってメイルをしたのだが, 残念なことに彼は2022年の春に数学業界を退き, システムエンジニアとして就職をしたと連絡があった. ヨーロッパ(とくにドイツ)でアカデミックポストを得る難しさは日本の比ではないことは知っていたが, Nils ほどの秀才でも難しいという事実に打ちのめされた. もちろん数学の業界にいることと友人であることは独立なので, プライベート(か僕の出張)でお互いの国に行ったときはぜひとも飲もうという約束をした. 流行病のこともありもう4年近く会っていないが, 再会してゆっくり飲みたい貴重な友人の一人である.


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