専門分野について

今の専門分野, つまり代数系に進もうと決めたのは学部2年のときである. そのきっかけを少し書いてみよう.

九大数学科には AO 入試で入った. もちろん前期・後期も志望していたが, AO はセンター試験(現在の共通テスト)併用だしチャンスが1回増えるからという理由で締切直前に出願した. 筆記試験が3時間と口頭試問が15分くらいだったと思う. 口頭試問では, 出された問題を黒板で即興で解くというものがあり, 僕のときは「2の160乗と3の100乗はどちらが大きいか?」というものだった. 常用対数の log2 と log3 はたいてい皆暗記しているからそれで解いてもいいが, 256の20乗と243の20乗に変換する整数論的解法がおそらくベストアンサーである. 2/10 に合格が決まって, その晩はお寿司でお祝いした(祖父の命日だったからよく覚えている).

AO 入試の出願には簡単な小論文というか「志望理由書」が必要で, 僕はそこに「解析をやりたい」と書いた. サイクロイド曲線に興味があるとか何とか書いた気がする. 特段解析に傾倒していたわけではなく, この頃はまだ代数という分野を知らなかっただけである. それから2年後, 常微分方程式の講義をとり終えたあたりで「あぁ, 自分には解析の才能はないんだな」と痛感した. 試験はテクニックさえあれば解けたのでA評定をもらったが, あの天啓のひらめき力と猛烈な計算地獄への耐性は僕にはなかった. 今でも解析学が専門の同業者は全員尊敬している.

恥を晒すついでにもう一つ, 幾何は昔から本当に苦手だった. 整数論における幾何は Galois 表現とかコホモロジーのように「補助線を引かない幾何」なのでまだ何とかなるのだが, とにかく「補助線を引く幾何」が全くといってよいほど解けなかった. 中学3年のときに幾何の中間テストで100満点中10点しかとれなかったのは割とトラウマである. 唯一, 学部3年で学んだ微分幾何はわりと好きで, local な情報から global な情報を見出せたときの快感がやみつきだった. 担当の山田光太郎先生(現・東京工業大学教授)には何かとお世話になった. ちなみにこのときのクラスメイトだった本田淳史君は山田研に進み, 現在は横浜国立大の准教授である.

さて, 代数との出会い=人生のターニングポイントは学部2年の後期に訪れた. 代数学Aという講義で, 群論と環論の初歩を学ぶものである. 講義は坂内英一先生(現・上海交通大学教授), 演習は朝倉政典先生(現・北海道大学教授)であった. 坂内先生は代数的組み合わせ論の第一人者で, 朝倉先生は代数的サイクルの権威である. 今思えばとんでもなく贅沢な組み合わせである.

坂内先生の講義は衝撃的だった. 教科書どころか講義ノートもほぼ持たずに, どんどん講義が進んでゆく. まるで芸術家が彫刻を作るような美しさと自由さがあった. Sylow の定理の証明だったと思うが, 途中の証明につまずいて30分くらいした後「ありゃー, ここがダメですね, フフ, やり直しましょう(笑)」と笑顔で一気に板書を消して, 何事もなかったかのように証明をし直された. 大学の先生ってすごいなと(いろんな意味で)思った. 結局その回は90分間, Sylow の定理の証明の一部分だけで終わった. ちなみに坂内先生は乗ってくるとチョークが黄色に変わり, もっとテンションが上がると赤色に変わるので, 講義終了後の黒板は卒業式みたいに大変カラフルになった.

代数系に惹かれた最大の魅力は「極限まで抽象化された無機質な記号たちが, あるとき一斉にハーモニーを奏でる美しさ」だと思う. さながら極上のクラシック・オーケストラを聴いているような感覚である(と言いながら僕はクラシックもオーケストラもあまり聴かないし詳しくない). しかも超一流の指揮者から直接教えを乞えたことは幸運の極みとしか言いようがなかった. この学期はほぼ代数しか勉強してなかった気がする. 坂内先生の試験は中間試験2回+期末試験1回の計3回あったが, 2回目の中間試験を返されたときに「君はもうA評定あげるから期末受けなくていいよ」と言われた.

このとき学んだ教訓が「抽象的なことよりも具体的なことのほうが難しい」ということである. 学部1年の数学までは大抵具体的なものしか扱わない. ところが「行列式の計算」から「線形空間における線形写像」になった瞬間挫折する人がたくさんいる. そのためか「具体的なことよりも抽象的なことのほうが難しい」と思っている人は多いと思う. しかし代数を勉強して, あらゆることを抽象理論で一括管理できるメリットを知ってしまうと, 実は全く逆なんだということに気付くのである. だから僕は研究室のセミナーでも「それをみたす例を1つ挙げてください」とよく質問する. 自明でない例を自力で見つけられて初めて, その定義や性質を理解できたと言っていいというのが僕の持論である.


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