集中講義について

2013年の秋に東北大学で担当して以来, 僕はこれまでに集中講義を13件(+今年度はさらに2件)行ってきた. おそらくこの回数は数学者の中では大分多い方ではないかと思う. 集中講義は通常の講義とは異なり, 先方からの招待がなければ担当できないことや, 一般的に専門性がかなり高い内容ゆえにマッチングがうまくいかなければお誘いが来ないこともあり, 生涯一度も集中講義を担当したことがないというケースも珍しくはない. そこで少し集中講義に関する回顧録を残しておこうと思う.

先述の通り, 僕が最初に集中講義を担当したのは2013年秋の東北大学である. ただし担当したのは数学科の科目ではなく情報科学研究科の講義であり, 5名の講師が3コマずつオムニバス形式で担当する形式のものであった. 当時は JST CREST のポスドクであり, エフォート率(プロジェクトに関わる研究時間が仕事全体のどれくらいかを表す数字)が100%という契約であったため, ノーギャラで引き受けたものである. 確か修士課程の学生さんを対象に, ハイパフォーマンス・コンピューティングの入門講義をやった. 東北大情報科学研究科には「単位先取り制度」があり, 修士課程に内部進学が決まっている学生さんは修士の単位を学部4年次に取得できるようになっている. この制度はとてもよいと思う. 現職の東京都立大学にも同様の制度がある. 最終レポートはどれも力作揃いで, 楽しく採点させてもらった. ちなみに講義初日に台風が直撃し当日朝に休講となってしまったため, ホテルに缶詰のまま3日分のスライドを2日分に成形しなおすというハードタスクをこなした. この集中講義は2014年も担当したが, こちらは限量記号消去法(QE)の入門をやったと思う.

初めての15コマ(2単位)フルの集中講義は2014年の山形大学である. 数理の脇克志先生からお声がけいただき, 計算する立場からの楕円曲線論入門を行った. 初めてということで張り切ってしまい, 数十ページの 講義ノート を事前に作成し, 講義初回に配付した. 同時に web にも公開したのだが, この8年で1万回近くダウンロードされており, いろいろな方に見ていただけたのは有難い限りである. 数年前に加藤文元さん(東京工業大学教授)がある一般向け講演で僕の講義ノートを紹介して下さったらしいのだが, その直後に数百回ダウンロードされており, さすが加藤さんの影響力はすごいなと思ったものである. 山形は本当に素晴らしいところで, 夜は美酒美食を堪能したのだが, 最終日の金曜日の夜に三枝崎剛さん(現・早稲田大学教授)と深夜にベルギービールを飲んでいたら, テレビでソフトバンクホークスが延長戦を制して日本一を決めたため, そのまま祝い酒をしていたら酔っ払ってしまい, 翌日の飛行機に乗り遅れかけたのはいい思い出である.

集中講義では, 基本的に自分の専門分野に関する入門講義を行うのが常である. 自分の大学に専門家がいないから外部から講師を呼んでレクチャーをしてもらおう, というのが集中講義の最大の目的だからである. より進んだ話題については「談話会」という1時間程度の講演で行う(これはないこともある). 通常の集中講義では, 聴衆として学部4年生〜大学院修士をメイン層に講義を作るのが基本である. ただし僕の場合は計算機を併用するため, 事前の計算機スキルがバラバラだと話をスムーズに進めるのは難しい. そのため僕は学部代数学(群・環・体の基礎)だけを仮定し, 計算機に関する予備知識は基本的に仮定しないことが多い. おそらく「ちょっと易しかったかな?」くらいの肌感覚が, 聴衆の反応を見る限りでは一番よさそうに感じる. あまりに難しいと集中「講義」の意味がないし(それは「研究発表」である), 逆に易しすぎると別に自分が講義しなくてもよいのではと感じられてしまうので, この匙加減が非常に難しい. とくに集中講義は大学によって, 学生さんだけが参加するケースと, 教員(プロの数学者)が混じっているケースがあり, 講義初回までどうなるか分からないため, 講義資料を作るのは談話会や研究発表のときよりもずっと難しい.

何をもって理想的な集中講義とするか, という問いはもっと難しい. 現に13件終えた今でも答えはまったく分からない. ただ個人的なポリシーとしては「系統だった優等生的コース」ではなく「背伸びして最先端のスポットを回遊する」ようなデザインを心がけている. もちろん筋道のしっかりした講義が優れていることに異論はないが, 限られた期間(大抵5日間)で新しい分野の魅力を分かってもらうには, 何か1つでも「刺さる」ポイントを提供できないといけないだろうし, そのためには「刺さるかもしれない」トピックをたくさん用意しておく必要がある. 例えば神社仏閣にあまり興味のない人が京都のお寺巡りをするとして, 予め図録や歴史的資料を渡されて予習しておけと言われても, あまり楽しむことはできないように思う. しかし実際にまず史跡をいろいろ訪問してみて, その中の何か1つでも興味をもつ場所があったならば, その人は進んで詳しい資料にあたろうとするはずである. これは受動的に知識が与えられるよりもずっと身につくし, そこから新しい知見を能動的に獲得するチャンスでもある. 個人的には, こういった集中講義が(少なくとも今は)理想ではないかと思うのである.


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