平坂先生のこと

僕はこれまでに韓国に5回, うち釜山に3回出張した. 釜山に最後に行ったのは2016年1月で, このときは妻も連れて行った. 妻にとってはこれが初の海外渡航である. 妻のお母さんが韓流ドラマの大ファンだったこともあり, お土産を買うためチャガルチ市場で韓国式のステンレス食器を探し求めた楽しい時間が懐かしい. このとき釜山大にいた友人 Eom 君には一日中同行してもらって本当に助かった. 彼は日本語が大変堪能で, 我々もびっくりするほどの日本通である. 夕食にダッカルビを堪能し, Cass(韓国のビール)の栓を盛大に吹き飛ばすミスをして笑い合ったのを覚えている. ちなみに韓国のビールはアルコール度数がせいぜい3〜4%くらいしかないので, 僕は全く酔うことができない. 確かに周りを見るとチャミスル(韓国の焼酎?)ばかり飲んでいる. 僕は焼酎が全く飲めないので, ビールかマッコリしか飲まない.

さて, ここまで釜山滞在ができたのは, このタイトルにある平坂貢先生のおかげである. Eom 君の元指導教員でもある. 平坂先生は九大数理の先輩にあたるが, 平坂先生を一言で表すならば「真面目と破天荒が無矛盾に成立している数学者」である. 実際, イスラエルで PD をされるなどその経歴はまさに「破天荒」でありながら, これまで何度もお世話になってきた中で感じるのは超がつくほどの「真面目」さである. 僕が尊敬する数学者を今すぐ5人挙げろと言われたら, 必ず平坂先生の名前を入れると思う.

最初に平坂先生にお会いしたのは確か2011年1月の仙台である. ご存知の通り, 3月にあの東日本大震災が発生した年である. 東北大学での組み合わせ論ワークショップに呼んでもらったときにお会いしたのだが, 当時の組み合わせ論関係者は揃いも揃って酒豪というか, 何となく体育会系の雰囲気があった. ただ上下関係やハラスメントなどとは無縁で, 皆本当に仲が良いという印象であり, これは今でも変わっていない. その日の懇親会で東北名物の「ほや」が出てきて, 罰ゲーム的に僕が食べさせられる流れになったのだが, これが滅法美味く気に入ってしまい罰ゲームにならなかった. 正確には「ほやの塩辛」ではなく, このわたを和えた珍味「ばくらい」が大好物である. いろいろ食べ尽くしたが, 十字屋のばくらいがトップである. あまり広くすすめると品薄になるのでここでこっそり紹介する.

仙台での研究集会のとき, 平坂先生は釜山大の准教授だったのだが「釜山に遊びにおいで」と誘われた. 大抵こういうものは9割社交辞令で終わるものなのだが, 福岡に戻ってさっそく日程の調整メイルが届いてびっくりしたことを覚えている。博士課程の学生にここまでしていただけるのかと半信半疑の状態で出張が決まった. 仙台出張のわずか4ヶ月後, 2011年5月のことである.

僕は釜山に3回出張したと言ったが, 飛行機で行ったのは妻と一緒に行った1回だけである. 残り2回は福岡-釜山を結ぶ高速船 Beetle で行った. 約3時間で快適に移動できるので僕は船が好きなのだが, 妻は乗り物酔いしやすい体質なのでこのときだけは飛行機にしたのである. 高速船は対馬のそばを通るコースなのだが, よくクジラが出没する海域らしく迂回することも珍しくない(その場合到着が15分ほど遅れるがそれは大したことではない). 乗船し出発した途端キリン一番搾りの缶ビール 350ml が 150 円になるので毎回テンションが上がった(免税されるからである). また船内では3時間とちょうどいい時間のせいか映画が1本上映されるのだが, 韓国への行きは韓国映画, 日本に帰国するときは日本映画と決まっていた. 1回目のときは行きが「猟奇的な彼女」で帰りが「おくりびと」だった. どういうセレクトだと思ったが「猟奇的な彼女」も「おくりびと」も大変素晴らしい映画だった. 2回目は行きも帰りも寝ていたのであまり覚えていない.

平坂先生のことを全く書いてないことに気づいたのでそろそろ本題に入る. 平坂先生は3回の滞在で毎回講演の機会を下さった. セミナー講演でも研究集会でも, 平坂先生の organize する集会では本当に多くの著名な研究者がいらっしゃったのだが, それ以上に印象的だったのが学生さんの参加率である. 学部生だろうが大学院生だろうが皆関係なく, 事前準備や後片付けなどに積極的に入り, 講演中は皆真剣に聴講している姿に衝撃を受けた. 僕の韓国の友人ネットワークは, ほぼ平坂先生によるものである. 本当によい友人に出会えて嬉しく思う.

研究会・セミナー終了後は毎回必ず飲み会になる. この飲み会は日本の比ではなく, 徹底的に酒宴が続く. 講演者はさながら「接待」の扱いを受けるので, 毎回恐縮していた. 平坂先生は酒席であっても, 研究会・セミナーのときとあまり変わらない様子なのだが, その持久力には脱帽した. 2回目の滞在では確か6次会まで行き, 最後の6軒目は朝の3時に屋台のおばちゃんと友人の K&T(念の為伏せておく)が熱い抱擁を交わしていたのを横目にカルグクス(韓国風うどん)を堪能した記憶がある. ちなみに僕は研究集会2日目のトップバッターだったので, その5時間後に講演した. よく寝坊しなかったと思う.

平坂さんからは釜山の魅力をいろいろと教わった. 一度ご自宅にもお招きいただいたのだが, 子だくさんのあたたかいご家庭で, 僕もこういう家庭を目指したいと思っている. 平坂さんは国際結婚で, 奥様は韓国の方なのだが, よく平坂さんが韓国出身, 奥様が日本出身と間違えられるそうである.

平坂さんはセミナーの講演や研究のディスカッションが終わると, 決まって学生さんを連れて数理の建物内にある紙コップ飲料の自販機に誘ってくださった. ここのコーヒーを飲む, というのがルーティーンなのだが, 最初飲んだ時にその甘さに驚愕した. 30〜40円くらいなのでお財布には優しいが, 数学者は「コーヒーを定理に変える」生き物というくらいなのだから, こんな甘いコーヒーを何杯も飲んでいたら身体がおかしくなるのではと思っていた. ところが滞在3日目くらいになると, この甘いコーヒーを飲まないと研究のスイッチが入らなくなる病に毎回侵された. 釜山大数理七不思議の一つである(他にも「動かないエスカレーター」などいろいろな topics がある).

このとき知り合った Eom 君, Oh 君, Jo 君, Kim 君とは今でも特に仲が良い. 全員九大に籍を置いていたこともあるが, 大切な友人である. 滞在中にいろいろ気にかけてくれたり, 深夜の飲み屋探しをしてくれたり, とてもここには書ききれないくらいの恩がある. そんな彼らが口を揃えて言うのが「平坂先生は本当にすごい人だ」「平坂先生を尊敬している」「平坂先生のような数学者になりたい」というフレーズだった. 4次会のカラオケの後で, このうちの1人が泣きながら「平坂先生がいなければ, 今の僕はない」と感謝の雄叫びをあげていて, 農心ホテルの前で僕も泣いたことをよく覚えている. 別れる時になぜか2人で機動戦士ガンダムの名ゼリフを10回くらい叫んだ記憶もある.

これは確かな情報ではないが, 平坂さんが釜山大の教授に昇任されたとき, 新聞に載ったと聞いた. 日本人初の(数学者としての?)教授であったという話である. このニュースはもちろん嬉しかったのだが, これは平坂先生の数学者としての素晴らしさはもちろんのこと, 上述の想い出からもわかると思うが「人徳」によるものも大きいのではないかと思う. 外国でここまで現地の学生の信頼を得て, 数学者としても邁進するということは, 並の人間には到底できないことである.

平坂先生にお会いしたのは3回目の妻との滞在が最後で, その後九大に集中講義の講師としていらっしゃったことがあるが仕事で都合がつかずお会いできなかった. その後, 平坂先生が ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症されたと聞いた. 九大数理内部でもまだ数人しか知らない時だったので, あわててメイルをお送りしたのだが, そのときのメイルの一部に先生のお人柄が表れていると思う. 実は平坂さんには許可をとっていない(し, SNS ではつながっていてすぐ気づかれると思う)ので, 問題があれば消すかもしれないが, 個人的には紹介したい一言である.


他の方々には余計な心配をかけるかもと思い連絡してませんでした。
しかし、噂になっているのであれば、
「元気にしてますし、どんな環境でも楽しく生きていける性格なのでご安心ください」と
お伝えいただければ幸いに思います。


ご自身のことよりも, 同僚の先生への気遣いを優先されていた. 釜山での学生さんの雄叫びの理由がようやくわかった気がした.

平坂先生は現在, ブログでこれまでのことや, これからのことなどを発信されている. 少しでも多くの方に読んでほしいと思うのでリンクを最後に置く. 基本的にはいつもの「平坂節」全開なのだが, 時折見える先生の「弱音」に毎回胸が締め付けられる思いである. これまではネガティブなことなどすべて蹴散らす先生だと思っていたのだが, よく考えれば学生さんから信頼される先生なのだから「弱い部分」にも敏感でないといけないということに気づいてはっとした.

これまで平坂先生には10年以上お世話になっているが, おそらく来年か再来年あたりに「さぁセミナーを始めよう」と黒板の前で活き活きと宣言される未来しか見えない. きっとこのブログを読まれた方は皆そう思うに違いない. あとここまで書いて気づいている方もいると思うが, 何ヶ所か「平坂先生」ではなく「平坂さん」になっている箇所がある. それくらい親しみやすい(失礼な意味ではない)先生である.

平坂先生, これからもどうぞよろしくお願いします. 時勢が落ち着いたら一献しましょう.

https://www.hirasakajuku.com/


Contact: s-yokoyama [at] tmu.ac.jp