お酒について
当然ながら, この文章は数学とは全く関係ない. 揮発性の高い流体力学の微分方程式的アプローチを議論するつもりも毛頭ない.
僕はお酒が大好きである. だが親が酒好きだったかというとそういうわけでもない. せいぜい 350ml の缶ビールを母と祖母で2等分して, それでも少し余るくらいである. 未成年の飲酒が厳禁なのは当たり前だが, 僕が大学生になりたての頃はかなり「ゆるかった」時代で, 新入生歓迎イベントで普通にお酒が出てきた. その頃はビールと杏露酒くらいしか飲めなかった. 親はしつけにとても厳しかったが, 唯一お酒だけはなぜか寛容だった気がする. 何度も言うがこれは昔の話である.
ビールは好きだったが, ビール狂というわけではなかった. そもそも20代半ばまでは「ビールを2杯以上飲む人」が理解できなかった. ビールが美味しいのは1杯目だけで, 2杯目以降は消化試合だと思っていた. これを変えたのが千葉逸人さん(現・東北大学教授)との出会いである.
千葉さんは当時九大 IMI の准教授で, ウェブページなどを見て面白そうな人だなとは思っていた. 何がきっかけだったかは忘れたが, 正月明けに2人でセミナーしようという話になった. セミナーした後のほうがビールが美味いからという理由だった気がする. セミナーのルールは「相手が素人だと思って自分の研究を話す」というもので, これが滅法楽しかった. 千葉さんはご存知のように超一流の数学者だが, 講演も抜群に上手かった.
その後クラフトビールを一緒に飲みに行き, 提供されていた10種類くらいのビールを全部飲んだ. このときクラフトビールの奥深さに感銘を受けた. 同じ IPA でも全く違った風味, ビールによって温度帯を変えるなど, かなり衝撃的だった. あれから世界中のビールを手当たり次第飲むようになった. あの聖地 Faucets が今はもうなくなってしまったのは残念である. ちなみに千葉さんは酒豪のイメージがあるが, たぶんそうではない(ちなみに奥様の方が強いのはここだけの話である). なお僕は一度, 千葉さん宅での飲み会の日を1日間違えて突撃してしまい, 飲み会本番で飲むはずの貴重なドイツビールをほぼ飲み尽くすという粗相をしたことがある. 今でも僕と千葉さんが部分集合である飲み会でよく弄られる.
ドイツに出張するときは水よりビールを飲むことが多い. なぜならドイツでは水よりもビールのほうが安いからである. 水のペットボトルが1.5ユーロくらいなのに対して, ビールは 500ml 缶でも1ユーロしない. 朝10時に工事現場の作業着を着た人がビールを持って出ていくのを見て「おいおい正気か」と思ったこともある(多分夜勤明けだったのだろう).
これまで飲んだビールの中で一番思い出深いのが De Dochter van de Korenaar である. これはオランダ出張のときに飲んだ忘れ難いビールである. 当時 Tilburg 大学に滞在されていた生田卓也先生(現・神戸学院大学教授)に連れて行ってもらった. 正確には醸造所には行けなかったが, 本拠地 Baarle-Nassau のビアパブで飲んだ. ここはベルギーとの国境圏で, 面白いことに飛び地になっているため「数歩歩けばベルギー, もう数歩歩けばオランダ」という稀有な体験ができる. 国境に跨って「世界を股に掛けてます」と写真を妻に送ったのをおぼえている. このビールは家族経営のマイクロブルワリー製で, 日本にもほぼ入ってこない銘柄である. 味が突出して美味というわけではないが, 独特の温かみというか, 感慨深い味わいが忘れられない. お土産にビアグラスと瓶ビール数本を持ち帰ったが, 日本で飲むとこれに限らずどうも味が違って感じる. 気のせいだと思っていたのだが, 千葉さんをはじめ同業者も皆そうだという. 現地の空気感が何よりのスパイスなんだろうと思う.
ビールのことばかり書いてしまったので他のお酒の話をする. 僕は福岡生まれ, 生粋の九州男児だが, 焼酎が全く飲めない. 僕はほぼ二日酔いを経験したことがないのだが, 焼酎を飲んだときに決まって二日酔いする. よく「日本酒は残るが焼酎は残らない」という人がいるが, 僕は全く逆である. 泡盛は例外だが, 沖縄以外で飲むと二日酔いする. きっと沖縄の独特の高揚感のせいだと思う.
日本酒はビールに並ぶほどの大好物だが, 実は26歳になるまで日本酒が飲めなかった. お正月のお屠蘇も嫌いだった. きっかけは金沢出張で, 北陸数論セミナーで講演させていただいた後の懇親会で寿司屋に連れて行ってもらった. そのときに日本酒とのマリアージュを薦められ, 最初はお断りしたのだが「北陸の酒は格別ですよ」と言われて飲んだら衝撃を受けた. 銘柄は忘れてしまったが, ともかく猛烈に美味かったので「あぁこれで日本酒が飲めるほど大人になったんだ」と思った. 調子に乗って, 福岡に帰ってからワンカップを飲んでみたのだが, 10秒後に便所でマーライオンと化した. そのとき「日本酒にもヒエラルキーがあるのだな」と悟り, それから日本酒を巡る終わりなき旅が始まった. 我々数学者は出張が多いので, この修行がしやすいのも問題である. なおワンカップがダメだと言っているわけではない. 最近ではワンカップの燗酒を 1/4 残し, そこにおでんのツユと七味を入れる「出汁割り」にはまっている.
ワインも大好きだが, 数学者の前で「ワイン好きです」「ワインちょっと詳しいです」と言うとセミナー以上に詰められることがあるので注意である. 僕は2千円以上のワインは全く分からないので, 千円台でコスパのよいものを探すのが好きである. あまり安いと飲んでいて頭痛がするので, これくらいがちょうどいい. 僕は1人でワインを1本空けるので, ワインを保存するボトルキーパーは持っていない. 准教授着任が決まったときには Taittinger Nocturne Sleever を飲んだ(ノーベル賞授賞式でも供されたシャンパーニュである). その日のうちに飲み切るワイン1本に6,500円もかけたのは人生初である. 教授になって Dom Perignon を抜栓するのが現在の目標である.
ウィスキーはたまに嗜む程度だったのだが、2021年夏から30kg近いダイエットをした際に興味が再燃した. ブレンディッドはあまり好きではなく, シングルモルトのスモーキーフレーバーを好む. とくに Irish scotch ウィスキーの Laphroaig と, ブルックラディの Port Charlotte シリーズが大好物である. どちらも皆から「正露丸」と言われ続けているが, ともかくこれがいい. Laphroaig の Select Cask 瓶は常備してある. Laphroaig の最上級ラインナップに Legacy と Lore があるが, このうち Lore が世界一好きである. 1本1万円以上するがそれは大した問題ではない(シャンパーニュと違って1本で長期間飲めるからである). さらにこれには「日本で買える Lore」と「日本で買えない Lore」があり(しかもボトルラベルは全く同じで判別不可能), 某シガーバーで飲み比べて衝撃を受けたことがある. また僕はアイラ島のモルト畑の一角を死ぬまで所有できる権利を持っている. こう書くとすごく見えるが, 実は誰でも取得できる. この証明書(Lifetime Lease Certificate)は研究室に飾ってある.
もう少しマニアックなことを書くと, 上に書いたブルックラディ蒸溜所はいわゆる「テロワール」の精神を尊重しており, 原材料から蒸留工程にいたるまで全てを公開している. また極力人力での製造にこだわっているため, 大量生産品より値は多少張るが, 安心はお金では買えないのでちびちびと愛飲している. この最上位ブランドの1つである Octomore という銘柄は、世界でもっともピーティーなウィスキーとして知られている. 通常, 大麦を炊く際には石炭を使うのだが, 石炭がとれなかったアイラ島では泥炭(ピート:植物などが長期間かけて泥化したもので, 着火する性質を持つ)を使っており, その際に付着する独特のピート香が特徴的である(正露丸, といったのはこの香りである). この香りの強度を ppm 値とよぶのだが, Laphroaig 等の 40〜50ppm がほぼ最大値となるこの業界において, Octomore は全ブランドで 100ppm オーバーというとんでもない酒である. これまでの最高記録は 8.3 Islay Barley で, その値は驚異の 309.1ppm である. ちなみに日本では Remy Cointreau が輸入を請け負っているのだが, ここのブランド・アンバサダーである Jack Chambers 氏は数学科出身である(その後京都大学に院生として来日されているが, 専攻は数学ではなくなっている). 驚くほど日本語が堪能であり, 僕の研究室には Jack さんのサインボトルが2本ある.
お酒を飲んで記憶を飛ばした経験は生涯に一度だけある. しかも海外, ドイツである. 2017年に Max-Planck 高等数学研究所のカンファレンスに招待された際, ドイツ人とドイツビールを飲むという危険な会に出た. Henrik と Nils の2人の友人(酒豪)と2次会に行ったとき, ギリシャのスピリタス Ouzo を飲んだ. Ouzo は加水すると白濁する珍しい酒で, 通常は食前酒として飲まれるのだが, 前の店でしこたまビールを飲んでいたせいで一気に酔いが回ってしまった(アルコールも40%近い). 気がついたらきちんとホテルで寝ていたし, Henrik も Nils も僕が酔っ払っていたことに気づいていなかったらしい. これ以来, 外では知らない酒は飲まないと決めている.
たまに「この料理にはこのお酒」という蘊蓄を強要する人がいる. マリアージュはいろいろな根拠があってのことだからそれ自体は否定しない(し, 僕もよくやる). ただ「こうじゃなきゃダメ」という立場には賛成しない. はっきり言って組み合わせなどどうでもよく, 美味しいものを自分が美味しいと思うお酒でいただくのが正解なのである. 夏だからと言ってビールから始めないといけないというのはおかしいと思う.
まとまりがなくなってしまったが, 要するに「お酒は楽しく・適量で」が大事なのである. 僕は自分が飲むのは好きだが, 他人に強要するのは大嫌いなので, 人に強く薦めたことはこれまで一度もない. 妻は下戸中の下戸なので, たまに知人から「夫婦で晩酌したいと思わない?」と言われるが, 思ったことは全くない. しかし僕が飲んでいる姿を見続けているせいか, 妻も国産クラフトビールに(飲まないのに)やたらと詳しい.
以上, これまでの経験でそれなりに知識と舌には自信がついたので, 興味のある人はいつでもどうぞ.
Contact: s-yokoyama [at] tmu.ac.jp