2018/04/23 8:59am

タイトルは娘が生まれた日付と時刻である. 娘が生まれてから, 家族の日常は娘を中心に回っている. ようやく3歳になり, 日々の成長スピードはまさしく exponential である. 2歳のとき「オレンジジュース」が正しく発音できないのに「クラフトビール」を正しく発音できたときには(しかも教えた記憶がない), 横山家の教育方針の危機を感じた.

この日の前日から, 僕は大学に宿泊して数理サーバのメンテナンスにあたっていた. 妻は臨月だったので実家の北九州に戻っていた. 当時勤めていた九州大学伊都キャンパスはまさしく「陸の孤島」であり, 家から電車とバスを乗り継いで40〜50分はかかるので, 深夜のメンテナンスの際はたいてい泊まり込みだった. 泊まり込むのでソファーベッドを買ってくださいとお願いして買ってもらったが, ニトリの安物とは思えないしっかりとした革製ソファーで本当に助かった. さすが「お, ねだん以上」だと思った.

0:45am くらいにメンテナンスが終了した頃, 知り合いの院生 K くんと少しだけ飲み会をした. 深夜だったので細々とやったが, 彼は外部から修士に転入したのでいろいろな苦労があったと思う. 悩み相談とまではいかないが, そういう話をした記憶がある.

終わったのが 2:30am くらいで, 3:00am から仮眠をとった. ずいぶんと疲れていたせいか, 起きたのは 9:30am だったのだが, 携帯を見て眠気も疲れも一気に吹き飛んだ. 娘がもう生まれた, という妻からのメイルだった. つまり僕は娘生誕の瞬間, 大学で寝ていたということである. 全世界のお母さん達に申し訳ないことこの上ない大ポカをやらかしてしまった.

破水したのが 3:30am くらいで, そのまま産婦人科に入り, 分娩室に入ってから30分で生まれたと聞いた. 妻も言っていたが, 本当に親孝行な娘である. おそらく知り合いの中でも最も安産だったと思う. ちなみに慌てて妻に電話をかけて話をしていたが(産後落ち着くまで分娩室で休む時間がある), 隣の分娩室からの叫び声が電話越してもはっきり聞こえていて今でも耳から離れない. その妊婦さんは結局30時間の難産だったと聞いて震えた.

この日, 僕は3限に大学院の講義を控えていたので, 事務に言って休講して急行しようと思ったが(ダジャレではない), 妻は「授業やってからおいで」と言ってくれたので通常通り講義をした. たださすがに90分やれる精神状態ではなかったので, 講義の最初に「娘が今朝生まれたので今日は早く終わります」と宣言して始めた. 受講生が拍手してくれたので泣きそうになった. 心拍数が上がりっぱなしだったのか, この60分(実際は50分強くらいだったと思う)の間にチョークを20本くらい折った. 筆圧調整弁がバカになっていたのだと思う. 後日聴講している学生さんから「あのときは誰が見ても正常じゃなかったです(笑)」とからかわれた.

夕方に妻子と対面したときの感動は今でも(当たり前だが)忘れられない. 小指を差し出した時に(無意識に起こる現象らしいが)握り返してくれたときは本当に感動した. その日の夜は北九州に住む妻の実家に泊まらせていただいたのだが, ビールを5本飲んだのに興奮して全く眠れず, 夜中に無断で冷蔵庫にあった缶チューハイを2つ飲んだがやっぱり酔うことができなかった(ちゃんと翌朝謝罪と返金をしようとしたが, 全然気にしないでねと言ってくださった. 本当にお優しいご両親である). この日に役所の手続きなどをすませ, いわゆる「命名」の書をしたためたとき, あぁ親になったのだなぁと感慨深い気持ちになった.

僕は兄弟がいないし母子家庭であったから, 父親に関する知識ゼロの状態で父親になったわけである. 3年強たった今でもわからないことだらけなのだが, 不思議と心配はあまりない. 激動の令和の時代を逞しく生きる子, 人生を心から楽しめる子に育ってほしいと思う. たまに「娘も数学者目指すの?」「理系に進めたいと思う?」と聞かれるが, 全くそれはない. ただもし「数学者を目指す!」と宣言されたときは, せめて専門分野は違うところにしてくれとお願いするつもりである. 晩酌中に「お父さんが昨日上げてたプレプリント, 主定理がつまんないね」と言われたら立ち直れないと思うから.


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