化学部の思い出

これは高校2年生の終わりがけの話である. 化学の授業を担当されていた O 先生に PC のメモリ増設の依頼を受けた. 放課後に化学室に行ってせっせとメモリを交換して雑談をしていたのだが, 最後に何故か化学部の入部届を渡された. 詳細は忘れてしまったが, 3年生になるタイミングで化学部の部長になってほしいという依頼だった. 僕は中学時代はパソコン部だったが, 高校になってから勉学に励むため帰宅部を貫いていたので, 受験シーズンになってからの入部をなぜ決行したのか今でも謎である. また当時すでに数学科への進学を希望しており, 加えて化学よりはどちらかといえば物理のほうが得意だったので, これまた謎である.

ただ実際やってみると, 化学部の活動は大変楽しいものであった. 大きなイベントは大きく分けて3つあり「文化祭」「全国化学研究発表大会」「国際化学オリンピック予選への参加」の3つである. このうち最後の化学オリンピックについては, 予選当日にインフルエンザに罹患してしまったため参加できずに終わったが, ロゴの入った関数電卓をもらえたのでいい記念になった(化学オリンピックの問題を解く際には関数電卓が必須となるため, 委員会指定の関数電卓がプレゼントされる). なのでここでは残り2つのイベントの思い出を書く.

文化祭では, 毎年いくつかの出し物をすることになっていた. 僕の代では「ミニ火山」「ルミノール反応」「リモネンの抽出」「サリチル酸メチルの合成」をやった記憶がある. ミニ火山は酢と重曹を用いた簡易なものだが, 実際に見るとかなりの迫力で, 今では家庭で楽しめるキットも販売されているそうである. ルミノール反応はいわゆる鑑識における血液付着判定の実験であり, 赤血球の含まれる液体にブラックライトが反応するものである(当たり前だが自分でわざと怪我をして血液を採取するのではなく, 牛の血液を粉末化した試料を用いる). 当日は懐かしの「火曜サスペンス劇場」風に, 演劇部よろしくショーをやったのを覚えている(そしてそこそこ評判だった). リモネンは柑橘類の皮に含まれる成分で, 発泡スチロールを溶かすほどの酸性をもつ液体を合成する実験である. 地味な実験な上に, ひたすらレモンをむき続けるという単純作業に心が折れそうになったのは内緒である. 最後のサリチル酸メチルは, 市販の湿布に含まれる成分で, 炎症を抑えるなどの効果があるものである. 固有名詞では「サロンパス」に含まれる成分であるが, 完全に反応していないと劇薬が含まれたままのため, 完成した(と思われる)合成試料を自分の肌に塗って実験しようという猛者は一人もいなかった. お昼ご飯も食べず通しでやりきり, 夕方に友人が出店で買ってくれたちゃんぽんのカップ麺が髄に沁みる美味さだったことをはっきり覚えている.

研究発表大会は年に1度開催されているもので, これは福岡県の高校生が集い, 研究発表を行うものである. 文化祭でやった出し物を土台として, いろいろ前日の深夜まで試行錯誤を重ねた. 配布資料やスライドなどもすべて生徒だけでやるので大変だったが刺激になった. 当日の発表はどれも皆素晴らしかった. 印象的なものとして, ある女子校のチームが化学実験を用いてお菓子を作ってきていてそれを配布するというイベントがあったが, 今思えばよく運営も顧問も GO サインを出したなと思う. もちろん配布資料を見る限りは塩酸などは使用されていなかったが, 我々の少し後の世代からは小学校のカルメ焼の実験でも実食禁止になっていたはずである. なお配布されたお菓子はクッキーで, 大変に上品な甘さで美味しかった(つまり結局食べた).

もう時効だと思うので書くが, 液化窒素のタンクが破裂するという大事故が起きたことがある. これは取り扱いに問題はなく, タンクの視認できないサビから偏った圧力がかかったためとされたが, タンク外周の一片が猛烈な速度で破裂して飛び出した. 残量も少なかったことが幸いしたが, 冗談抜きに90度タンクが時計回りに傾いていたら僕の片足の下半分は無くなっていたと思う. この出来事の3日後, 僕は部長を辞任したいという届を顧問の O 先生に提出した. やっぱり僕には数学しかないんだということを再確認した11月の出来事であった.


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