出張にこだわる理由

2020年から始まった流行病は, この記事を書いている2024年現在も(かなり以前のような生活スタイルに戻ってきたとはいえ)終息の兆しを見せていない. ただ不幸中の幸いと言ってよいか悩むが, オンライン環境でのコミュニケーションが極めて楽になったことは大きい. 場合によっては講義・セミナー・会議への出席をオンライン/オンデマンド形式で行うことも容易くなった(オンライン通話ツールは以前からもあったが, 快適度が段違いになったと感じる). ただ2022年頃からちらほら現地出張が解禁されており, この2年間ほどオンラインから元に戻してきた個人的感想としては, やはり現地出張に勝るものはないと感じる. その理由は大きく分けて以下の5点である.

5. についてはおまけであるが, おそらく同業者のほとんどは激しく同意していただいていると思う(のでここでは詳細は割愛する).

まず最も重要なのが 1. である. 僕が講演するときは, だいたい講演開始10分前には会場でのセットアップを終え, どのような方にお越しいただいているかチェックすることにしている. 教員と学生さんとの比率, 年代層, 専門家の割合など, 確認すべき点はたくさんある. 場合によって, 例えば学生さんが多いなと思ったときは基礎的な内容に時間を割くようスケジュールを変更したり, 場合によってはスライドを丸ごととりかえることも少なくない(実際, 僕は常に「通常用」「専門家向け用」の2種類スライドを準備している). 講演直前まで世話人の先生と談笑していることも多いが, その際でもチラチラ確認してしまうほどの, いわば職業病である. 講演中はおおよそ「前半2割」「中盤4割」「後半4割」の3つに分け, 2箇所の変化点で話すスピードや重点トピックの選定をやっているが, この判断材料は聴衆の表情【だけ】である. オンライン講演はもちろん便利なのだが, 一番の欠点はこの聴衆の表情がまったく見えないことである. Zoom 等で講演する場合, 画面共有の関係から基本的には自分の表情しか見えないし, 拡張したとしても高々5人程度しか表情を汲み取れない. それどころか, 基本的には画面や音声をミュート(消去)することが多いために, 自分の強調したい部分がきちんと伝わっているか, 間にはさむ余談が受けているかがまったく分からず心配になる. 総合して「講演しても達成感がない」というのが正直な感想である.

逆にオンラインで講演を聴講する側の場合も問題である. 何か仕事をしながら遠方の講演を視聴できるのは大変素晴らしいのだが, 片手間に講演を聞いて理解できた試しがない. さらに(これは多くの方に同意していただけると思うが)本当に研究討議をやるのは質疑応答の時間ではなく, その後の休憩時間や夜の懇親会である. ざっくばらんにお茶やお酒を片手に交わした内容が一番有益なのである. 古臭い考え方と思われるかもしれないが, 事実そうなので弁解のしようがない.

次に 2. である. これは 3. にも通じるのでまとめて書く. 研究の議論を複数人でやっているとき, 基本的には黒板やホワイトボード, もしくはコピー用紙などにメモをとりながら意見交換を行うが, これをオンラインでやるのは至難の技である. もちろんこれに対応するツールは存在するが, 基本的にスペースが足りないし, 議論が乗ってきたときに「ここがこうなって・・・」と指をさす仕草をポインタでやるのは苦痛である. 結果的に肉体的にも疲れがたまり, タイムロスにつながると思っている. またこの際, 何か発言したいときに別の人の発言を待たなければならず, 終わったかな?と思い発言すると別の人とかぶってしまい, 変な気を遣ってしまうのである.

最後に 4. だが, これは気のせいだろうと思うかもしれない. また長距離移動で体力を使ってまで現地にこだわるのは非効率という見方もあると思う. だがこれまで100回以上出張してきた身としては, これは確実に言えることである. 日常から何か別のスイッチが入り, 出張中だけ生まれ変わったような気分になるのである. その結果, いつもは思い付かないようなアイデアを見つけたり, 攻めた研究ができるようになるのである. よく「落ち込んだり煮詰まったりしたときは環境を変えよ・旅に出よ」という風潮があるが, これは正しいと思っている.

2020年に初めて研究室の学生さんをもったが(着任が2019年だったのですでに配属決定済みで, 初年度は学生さんをもてなかった). 僕にとって初めての院生さんであった K 君をはじめ, とくにせっかく他大学から僕を志望してくれたにも関わらず1年以上オンラインでの指導になってしまったことは大変心残りである(学部4年生のうち2人は卒業してしまったので, 対面での実施は最後の1回だけであった). ニューノーマルとはよく言ったものだが, ノーマルはノーマルなのであり, アナログが最適な場面は令和の今でもとっても多い.

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