アナログとデジタル

僕の専門は計算機を使った数学である. そのため, よく多くの人から「デジタル人間」と思われることが多い. 実際, これまでに(研究費・私費を合わせて)購入した PC は20台以上, 数式処理システムも10種類以上使ってきたし, 本務校でもアルゴリズム(C言語やデータ構造など)の講義を担当している. しかし, 僕個人としては生粋のアナログ人間だと思っている.

数学者の仕事に「他の研究者の論文を読む」「学生さんの論文を添削する」という作業がある. 最近では, アブストラクト(数ページの論文要旨)くらいであれば iPad で直接書き込むこともあるが, 基本的に僕は紙に印刷して赤ペンで書き込みながらでないと(ほぼ全く)読むことができない. 実際にやってみると分かるが, 例えば20ページを読んでいるときに「あの定義は何だったっけ?確か4,5ページにあったような」と思ったとき, 紙だと一瞬でそこを参照できるのだが, 電子媒体だとそこまでスクロールしないといけないのが非常に手間なのである. さらに紙に印刷した論文であれば, 4,5ページの箇所と20ページの箇所を(うまく紙をずらすことで)一緒に見比べることができるのである. 論文を読んだり添削をしているときは猛烈に集中しているので, 余計な手間で効率をスポイルしたくないというのが本音である. 同じような媒体でデジタルペーパーがあるが, あれはもっと苦手である. iPad に比べて目に優しいのはいいのだが, いかんせんレイテンシ(latency:ペン入力が反映されるまでの時間差・ギャップ)が気になりすぎて仕事にならなかった. もちろん電子媒体にもいいところがあり, pdf などにすぐ書き出して共有できるなどメリットもあることは理解している.

書籍などはなおさら紙派である. これも先ほどと同様, ページの行ったり来たりの面倒くささが理由である. とくに紙の書籍であれば付箋を貼っておけば, 欲しい情報の場所を記録できる(電子書籍でも可能ではあるが, 紙のそれには遠く及ばない). また本棚の背表紙たちを眺めて悦に入る楽しみもある. こういう思考こそがアナログな気もするが.

飛行機で出張する際, eチケットは必ず印刷して持参する. 今ではスマートフォンさえあれば印刷不要なのだが, もしもバッテリーが切れたらどうしよう, 突然故障したらどうしようと思うと紙一択である. 紙のeチケットなら QR コード部以外折り曲げても問題ないので, ポケットに忍ばせておけることも大きい.

スマートフォンも長らく持っていなかった. 持っていたガラパゴス携帯は10年近く使ってきたがバッテリーの持ちは十分だったし, iPad があれば事は足りると思っていたので, スマートフォンには全く食指が向かなかったのだが, ついに2020年の秋に iPhone SE(第2世代)に乗り換えた. 僕は Mac 信者なので, デバイス間連携の誘惑に負けたのである. だが, 僕は携帯電話をあまり見ないので, 今でも iPhone を触るのは家族との電話のときと写真を撮るときくらいである. おかげでさんざん「バッテリーがもたない」と揶揄されている SE でも放って3日以上もつ.

そんな僕でも, さすがに仕事は計算機を使うのだからデジタル派だろうと思われるかもしれないが, 実はプログラムを書くときもアナログ人間の性を発揮する. 僕は一度組んだプログラムを必ずすべて印刷し, 赤ペンで改善点やバグの探索を手作業で行うことを自らに課している. キーボードを打つときとペンで書くときではどうやら脳への影響がやや違うのか, コンピュータを通してでは気づかないトラップを見抜けたりすることが多い. 科学的に何か根拠があるのかと言われると不明だが, これまでの研究者人生でこの作業に助けられたことは数知れないので, あながち間違いではないのかもしれない. ちなみにペンを多用することから, 僕は文房具へのこだわりが割と強い. 愛用のペンは Parker Ingenuity で, いわば「勝負ペン」である. 使う人によってペン先の形が変わる, 育てるタイプのペンでありながら, 万年筆のような煩雑な手入れも必要ない理想的なペンである. 難点はリフィル(替え芯)が高いわりにすぐ無くなることである.

デジタル技術の進歩は目覚ましく, 我々の生活を豊かにしてくれる. そのおかげで僕も計算機数学者として仕事ができている. だが要所要所での「アナログ的思考」も残していきたいなと思う. そこには何となく「人間らしさ」があるような気がするからである. 数学者が今でも黒板を愛することと通じるものがあると思う.

この話にはオチがない. 申し訳ない.


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