海外出張の思い出:後編

2011年の7月にカナダ・バンクーバーに滞在した. これまで行った都市の中でもベスト3に入る大好きな都市である. 大都会の象徴である超高層オフィス街と大自然の調和がとれた理想的な都市で, 治安も比較的よかった気がする. 毎朝買い物に寄るセブンイレブンの入り口には必ず陽気なホームレスのおじさんがいて, 帰国直前には世間話をするくらいになった. このとき泊まったホテルはコンドミニアム(別荘)の造りになっていて, 確か20階くらいの5部屋くらいある豪邸にもかかわらず1泊1万強くらいで泊まれた. YouTuber として成功した人はみんなこんな感じなのかと今になって思う. またハウスキーパーの人もとても親切で, タイ出身の人だった. チェックアウトのときにお礼のお菓子を渡したら, 母国のお守りとして象の置物を譲ってくれた. これは今でも実家に大切に保管してある. ただ唯一, カナダは入国審査が本当に厳しく, 1人あたり2分くらいかかるのも珍しくなかったので, 審査の列に1時間半くらい並んで待たされたのが難儀だった. しかも自分の番ではやたらと質問攻めに合い, しまいには「数学を勉強しているというが, 専門は何だ?」とまで聞かれた. Number Theory(数論)と言ってもよかったがあえて Modular forms and attached Galois representations(保型形式と付随する Galois 表現)と言ったらすぐ入国スタンプを押してくれた.

2012年9月に滞在したイギリスでは, 到着早々野宿の危機に陥ったことがある. バーミンガム国際空港についたのはすでに夜の8時で, そこから電車で30分くらいのコヴェントリー駅からタクシーを使った. 実はコヴェントリー駅よりも1つ手前のタイル・ヒル駅が最寄りだったので, 最初はそこまでの切符を買って下車したのだが, なんとそこは無人駅. タクシー乗り場どころか周りには住宅以外何もなく, 街灯も乏しかった. 自力で歩くのは危険と判断した僕は, 15分後の電車を気温1℃のホームで待つことにした. 他にホームには誰もおらず, あと5分くらいで電車が来るという頃, 向かいのホームから明らかにヤンチャな若者5人が棒を持って線路に降りてきた. 財布でも盗られるか殴られるかと覚悟したが, 彼らは Hey! とこちらに声をかけただけで去っていった. 死ぬかと思った. そんなこんなで無事に電車に乗ったが, イギリスでは改札がない駅が多い代わりに乗り越し自体が罰金である(日本のように乗り越し運賃を払えばいいというわけではない). もう時効だと思うので白状する.

タクシーで事前に秘書さんから聞いていたゲストハウスの鍵をもらいに行ったところ, 警備員から「そんなのは預かってないけど?」と言われて愕然とした. すでに夜の9時半, 大きなキャンパス内での野宿を覚悟した. 何とかしないとと食いついていたら, 別の警備員が「Rootes Building という学生センターに行ってみたらどうだ?」というので, 藁をもつかむ思いで移動した. ちょうど10時前, 窓口を閉める準備をしていた職員さんに全力で説明した結果「なら学生寮にとりあえず泊まりなさい. 来週から新入生が入るから土日だけしか泊まれないけどちょうど空いてるよ. ラッキーだったね」と言われて全身の力が抜けた. 人間追い込まれると, イギリス訛りの英語でも難なく聞き取れたりやりとり出来るんだという教訓を得た. ちなみにそのとき泊まった臨時の学生寮 Arthur Vick は, 月曜日から泊まった予定通りのゲストハウスよりもずいぶん綺麗で豪華だったので, ちょっと損した気分になったのは内緒である.

もうちょっとイギリスのことを書くが, 2度滞在した Warwick 大学では, 避難訓練でもないのに2回とも非常火災ベルが鳴った. 1度は誤報だとわかって何もなかったが, もう1度のときはメンバー全員屋外退避の指示が出て現場は騒然となった. カンファレンスに参加していた Warwick 大学のポスドクの人に聞いたら「あぁよくあることだよ, 半年1回はあるかな」とのんきに答えていた.

オーストラリアには3度滞在した(前編でも書いたがそれ以外のことを書く). 日本との時差が2時間くらいしかないため, 時差ボケが起きないのは素晴らしいのだが, とにかくやたらと金がかかる国という印象である. 正確にはスーパーマーケットなどは普通なのだが, 人件費が発生するサービスは高額になりがちである. 例えばシドニー・キングスフォードスミス国際空港からシドニー中心駅のセントラル駅まで移動するには, ほぼ電車しか選択肢がないのだが, たった10分の乗車でなんと1800円くらい運賃をとられる. 裏技として空港エリアの境界線あたりでうまくバスを乗り継ぐ方法もあるらしいが, 極めて難易度が高い上にこれでも1000円くらいかかるという. 日本ではさすがにここまで高額なシャトルはないだろう. ちなみにシドニーの空港では, 日本人の入国審査はすべて電子化されており, パスポートとカメラの認証で通過できるようになっているのだが, パスポートの写真がずいぶん古かったせいか毎回エラーが出てしまい, いつものスタンプゲートに通された. そのおかげで, 人の少ないレーンでかつ入国スタンプがもらえて一石二鳥だった. ところが3回目の滞在ではなぜか OK されてしまい, 驚いて「えっ」と言ってしまったら隣にいた空港職員に「What!?」と言われた. 幸い不審者扱いはされなかった. ちなみにこの3回目の入国のとき baggage claim の先で「テレビ撮影中」のカードがあり, やたらとテレビクルーが警備員と荷物を開けたり閉めたりしていたのだが, そのときの様子が帰国して「世界まる見えテレビ特捜部」で放映されていてびっくりした. なぜ僕が出くわした場面と分かったかというと, そのとき揉めていたドレッドヘアーの男性がモザイク越しでもはっきり分かったからである. ちなみにその男性は人形の中にコカインを隠し入れていたらしい. もし僕が不審な荷物を持ってきていたらここに映ってたのかと思うとちょっと胸が騒ぐ.

オーストラリアに限らないが, 海外でバスに乗るとよく「もうここで終わるから手前のバスに乗り換えろ」と突然降ろされることが少なくない. これは日本人にとってはかなりのカルチャーショックである(日本ではバスのエンジン故障で1度だけ遭遇したきりである). あと総じて運転が極めて雑というか, 荒すぎてヒヤヒヤする. 韓国のバスはその最上級に位置するもので, 釜山の険しい山道をフルスロットルで駆け上がるバスでつり革を持たず立てる人がいたら教えて欲しい.

オーストラリアで口にしておくべきものは何か?と聞かれたら, ふつうはオージービーフやワインを想像すると思う. 確かにこれらも大変美味なのだが, 実はコーヒーの激戦地としても知られている. 知り合いの先生から「シドニーでスタバに行くのは素人」と言われたくらいである. 確かにシドニーにはコーヒー店がたくさんあり, たいていハズレを引くことがない. 僕も大学に行くときは毎日アイスコーヒーの一番大きいサイズをテイクアウトしていた. ちなみに大抵の店ではスタバのようにカップに名前を書いてもらえるのだが, 何回 Shun といっても Tyun とか Jue とかおかしな名前になってしまい, ようやく Shun と書いてもらえるようになるのは帰国前日だったりする.

20回の海外滞在で最も印象に残っているのはどこか?と言われたら, それは即答でハワイである. 「仕事でハワイに出張した」というと毎回驚かれる. 別に遊びに行ったわけではなくちゃんと仕事をしに行った・・・は行ったが, 同行した友人の多くはしっかり海パンを持ってきていたのでそうでもないかもしれない. とにかく2011年10月のいい思い出である. これは九大数理・IMI のイベント Forum Math-for-Industry で, ハワイ大学マノア校に連携研究者の Monique Chyba さんがいたことが大きいだろう. 僕を含め十数名の大学院生と教員での団体旅行だった. しかもいつの間にか僕は院生の取りまとめ役になっていて, ホテルの部屋割りも全て決めた. まるで修学旅行の引率の先生である. 到着は土曜日でカンファレンスは月曜からなので, 当然皆はワイハモード全開だったのだが, 僕は足裏潔癖なこともあってワイキキビーチを前に泳ぎたいとは1ミリも思えず, 僕と斎藤新悟さん(現・九州大学准教授)で皆の荷物番をビーチでしていた. 斎藤さんと仲良くなれたのはこれがきっかけである. ちなみに斎藤さんはイギリスで学位をとり, アクチュアリー準会員かつ TOEIC 990点(満点)という天才である. そのせいで「TOEIC 950点超えました!」と言われても何ら驚かない.

何人かは本物の銃を試し撃ちできる店に行ったらしいが, いま思えばやっておけばよかったと思うイベントの一つである(韓国でもできるが, ちょっとシステムが異なる). 昼食はいつも学食のロコモコを食べていた. 当時は苦学生だったので毎晩レストランだと破産すると思い, 宿の近くにあった丸亀製麺ハワイ店に足繁く通った. 前後の外人が毎回目を疑うような量の天ぷらをトッピングするので見ているだけで楽しかった. その後知ったのだが, 丸亀製麺全店舗のうち売り上げベスト1はこのハワイ店らしい. おそらくそれはうどんではなく天ぷらのおかげである. 妙に納得した.

ホノルルのダニエル・K・イノウエ国際空港から宿まではバスが出ているが, 当時(今もそうかは知らないのでこう書いている)は路線バスのキャリーバッグ持ち込みでの乗車が禁止されていたため, 4人ずつ分乗してタクシー移動するほかなかった. 片道40ドルくらいである. 帰国日は人数分帰れる台数のタクシーをチャーターしなければならなかったので, なぜか僕が確保する任務についた. 1人10ドルが限度だと交渉していたら「リムジンを手配すれば1人9ドルでいける」というので, 相手と電話で直接交渉して8ドルに値切った. 帰国当日, さすがにこれは騙されたかもしれないと反省していたら, 黒塗りの長いリムジンが2台やってきて同行者からの称賛を欲しいままにした. 空港までの車中, 延々と写真撮影会をしていたのは言うまでもない.

まだまだいろいろ書きたいことがあるのだが, あまり冗長になるのも見苦しいのでこのあたりで締めとする. もし気が向いたらまた別の記事に書くかもしれない.

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