挑戦。それは私たちのサークルを語る上で欠かせない核心的な価値観だ。 しかし私たちの本当の挑戦は輝かしい勝利から始まったわけではない。それはむしろ一つの「惨敗」から始まったのだ。
サークル設立初期、私たちはロボット相撲の九州沖縄大会に出場した。結果は一回戦敗退。全国のレベルは私たちが想像していたよりも遥かに高く、自分たちの未熟さを痛感させられるあまりにも苦い経験だった。
正直に告白すると私はロボットがやりたくてこの大学に来た人間だ。だから相撲という特定の競技にそこまで強い情熱があったわけではなかった。この敗北は私に一つの問いを突きつけた。「私たちは一体何と戦うべきなのか?」と。
その答えのヒントは全く別の場所からやってきた。 相撲での挑戦を終えた頃、一人の女子メンバーが私にこう打ち明けてくれた。
「ロケット開発が夢でした」
その言葉を聞いた時、私はハッとした。私自身が大学で感じていたあのどうしようもない閉塞感を彼女の瞳の中に見出したからだ。「自分のやりたいことがこの場所ではできないかもしれない」というあの辛さ。その痛みを私は誰よりも知っていた。
彼女の夢はもはや他人事ではなかった。 たとえ私がロケットの専門家でなくても、彼女やまだ見ぬ後輩たちの「やりたい」という熱狂の受け皿をこのサークルに創ること。それがあの敗北を経て私が見つけた自分の本当の使命だった。
だがどうすればロボットサークルでロケットを開発できるのか。 その問いへの答えこそが第2話で語った「プロジェクト体制」という発明だった。この仕組みは実は彼女の夢を実現させるためにこそ生み出されたものなのだ。
私たちはまず仲間集めから始めた。しかしそれは「ロケット部員募集!」といった直接的な呼びかけではなかった。私が学園祭の掲示板に貼り出したのは「私たちが作りたいロケット」の夢と希望が詰まった一枚のポスターだった。
そのポスターはまるで狼煙のように、同じ夢を抱いていた仲間たちを一人、また一人と私たちの元へ導いてくれた。
こうして始まった私たちのロケットプロジェクトは、ロボット相撲の時とは全く違う景色を見せてくれた。自分たちで専門書を元に勉強会を開き、SNSで他大学の先輩に教えを請い、自分たちの頭で考え抜いたアイデアを機体に詰め込んでいった。
そして学生ロケットの聖地、「種子島ロケットコンテスト」へ。 私たちは審査員から「特別賞」をいただくことができた。それは私たちの機体に搭載した、他大学では見られなかった「セミモノコック構造」と独創的な「パラシュート展開機構」という、私たちの技術的な挑戦が高く評価された結果だった。
この受賞は私たちにとって何よりの「証明」となった。 既存の土俵で勝つことだけが挑戦ではない。自分たちが本当にやりたいことを見つけ、そのために学び、自分たちの頭で考え抜いたアイデアで挑むこと。そのプロセスそのものが価値になるのだと。
ロボット相撲での惨敗は私たちに「勝つことの難しさ」ではなく、「自分たちの戦う場所を自分たちで創り出すことの重要さ」を教えてくれた。
この成功体験こそが私たちのサークル全体のDNAに深く刻み込まれた本当の「挑戦」の始まりだった。
▼私たちの次なる挑戦へ、点火剤となる一票を。
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