#GivingCampaign 連載企画
この物語は、一つの証明の記録である。
本日10月10日、Giving Campaign 2025が開幕した。
これは私たちの未来、そして私自身の存在意義を懸けた10日間の戦いの始まりだ。
私はこの挑戦を通して一つのことを証明したい。日本の南端、ここ沖縄の地でものづくりに挑む私たちのような草の根活動が、日本の未来を明るく照らせるのだということを。
これは壮大な夢物語だろうか。あるいは、社会を知らない学生の、無謀な挑戦だろうか。
その答えは、この物語の終わりに読者である君自身に判断してほしい。
鍵のかかった扉
私が入学した頃の琉球大学は静かな場所だった。
もちろん工学部はあった。素晴らしい教授陣と、未来の技術者を夢見る学生たちがいた。だがそこに満ちていたのは「学問」としての工学であり、学生の初期衝動、すなわち「創りたい」という純粋な熱狂を受け止める場所はどこにも存在しなかったのだ。
インターネットを開けば、他大学の学生たちが作ったロボットやロケットが輝かしく見えた。その光景は憧れであると同時に、私たちの胸に深い影を落とした。「なぜ、私たちの大学にはあの熱狂がないのだろうか」と。
それは巨大な建造物の中にありながら、全ての部屋に鍵がかかっているような感覚であった。目の前に広がる工学の世界への扉が固く閉ざされている。そんな無力感と焦燥感を私は今でも鮮明に覚えている。
「無いなら、創るしかない」
それは決意というよりほとんど叫びに近い衝動であった。 たった一人で仲間を探し始めた。知識も経験も潤沢な資金も場所もなかった。あったのは「ものづくりがしたい」という純粋な初期衝動だけである。
それが私たちの始まりだった。
「需要」という名の鍵
私たちは手探りで進み始めた。仲間を集め知識をかき集め、いくつもの失敗を繰り返した。仲間が一人増えるたびに、私たちの工房の熱気は高まっていった。設計図を囲む輪が大きくなり、夜通しの作業で交わされる言葉が増えていく。その全てが、この場所に「需要」があることの何よりの証拠であった。
設立から3年半、私たちの仲間は40人になったのだ。静かだったキャンパスに確かに聞こえるほどの槌音が響き始めた。
だが私たちの力だけではまだ扉に鍵をかけることはできない。
この活動を一過性の「お祭り」で終わらせず、未来の後輩たちへと繋がる確かな「文化」として根付かせるためには巨大な力が必要となる。
この巨大な壁を打ち破る力の正体、それは圧倒的な「需要」である。
「沖縄にも、これほどまでに学生による本格的なものづくりへの需要があるのだ」
この事実を社会にそして大学に、圧倒的な熱量で可視化して示すこと。それこそが全ての扉を開ける唯一の鍵なのだと私は確信している。
このGiving Campaignは、私たちが資金を獲得できるとともに、皆さんが沖縄の技術の未来に対する「需要」を社会に示すことができる年に一度の唯一の機会なのである。これは単なる学生の活動ではない。沖縄の未来を占う、一つの社会実験なのだ。
あなたの力を貸してほしい
この一見無謀な挑戦を可能にするのは、これを読んでいるあなたの支援に他ならない。 私たちはこの挑戦の先に何があるのかをまだ知らない。凡人である私たちには想像もつかない世界が待っているのかもしれない。
しかし私たちは、自分たちの手で扉を開ける体験を、そしてその先にある景色を、未来を担う後輩たちにこそ見せてやりたいと心の底から願っている。私たちが夢見るのは、ただ大会で勝つことだけではない。琉球大学のオープンキャンパスで、私たちが作ったロボットに目を輝かせる高校生の姿だ。このサークルから育った技術者が、沖縄の、日本の産業を支える未来だ。
お願いばかりで申し訳ない。 だがどうかこの10日間、私たちの戦いを見届けてほしい。
そしてあなたの力を私たちに貸してほしい。 貸してもらったその力は、私たちが全国の舞台で活躍し「沖縄に、学生が主導する確かなものづくりの文化が生まれた」という誰の目にも明らかな形で、必ず返却することをここに約束する。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。
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