Pt(II)と芳香族ジアミン配位子からなるジラジカル白金錯体は,一重項基底状態において配位子にラジカルを有する特異な電子構造を示し,波長700–800 nmの近赤外領域に配位子間電荷遷移に基づくモル吸光係数10万程度の強大な吸収帯を有します.さらに蛍光を発しないため,理論上吸収した近赤外光のエネルギーをすべて熱に変換できると考えられ,近赤外吸収を示す治療薬の発熱によってがん細胞を殺傷する光熱療法への応用が期待できます.
配位子にブロモ基を有する疎水性錯体をモデルとして,溶液中ならびに細胞内におけるジラジカル白金錯体の光熱変換特性を調査したところ,ほぼ100%の光熱変換効率,高い光安定性を示し,錯体の光熱変換によって細胞を殺傷することに成功しました.これはジラジカル白金錯体が光熱療法薬として利用できる可能性を提示するものといえます.(R. Sawamura et al., RSC Adv., 10(11), 6460, 2020. Article)
ジラジカル白金錯体に,がん細胞表面に過剰発現している受容体と特異的に結合する物質(標的物質)を修飾できれば,錯体の効率的ながん細胞への内在化が可能になると期待されます.そこで,標的物質のモデルとして葉酸を用いて,スペーサーを介して葉酸を修飾した錯体を開発しました.非修飾錯体では,水溶液中でpHの変化に応じて近赤外吸収の様子が変化する特徴があり,葉酸修飾後もその性質を保持することが確かめられました.さらに,がん細胞への錯体の導入効率は非修飾錯体の約11倍にまで増加し,葉酸修飾が細胞への内在化に大きく影響することが示唆されました.これにより,共有結合的戦略によるジラジカル白金錯体の高機能化の実現可能性を初めて提示しました.(R. Sawamura et al., Chem. Lett., 51(12), 1157, 2022. Article)
がん細胞内でジラジカル白金錯体が光熱変換特性を発揮するにあたって,生体内成分との配位子置換反応,すなわち錯体の解離が障壁となり得ます.具体的には,Pt(II)との親和性が高いチオール(SH)基をもつ化合物の存在下で,錯体が解離する様子が確かめられています.当研究室では解決策として,配位子同士をリンカーで連結した錯体を設計・開発しました.従来の非連結錯体に比べて,SH基をもつグルタチオン存在下での半減期が約1300倍に増加し,すぐれた速度論的安定性を達成しました.(R. Sawamura et al., Dalton Trans., 54(36), 13598-13608, 2025. Article)
上述の共有結合的戦略は腫瘍を構成するがん細胞に対する高選択的な分子設計ですが,前提としてジラジカル白金錯体が腫瘍に効率よく送達されなければなりません.そこで現在,錯体を内包あるいは錯体を基盤とした薬物送達システム(DDS)の開発に挑んでいます.
DDSの基本設計はナノ製剤化であり,これは粒径が10–200 nmのナノサイズの高分子が固形腫瘍に集積しやすくなるEnhanced Permeability and Retention (EPR)効果に基づいています.EPR効果によって腫瘍へ届けられたナノ製剤自体あるいはナノ製剤から放出された薬剤が効果を発揮することで,治療の時空間的制御が実現すると考えられます.
錯体を内包する戦略の1つとして,両親媒性ブロックコポリマーPEG-b-PMNTを用いた,錯体封入抗酸化ナノ粒子(Pt@RNP)の開発と性能評価を進めています.PEG-b-PMNTは筑波大学数理物質系 長崎幸夫教授(現・国立成功大)のグループで合成された機能性高分子であり,抗酸化作用をもつPMNT鎖が腫瘍内の活性酸素種を消去し,腫瘍の酸化ストレスに伴う活性化・成長を抑制する働きを示すと期待されます(詳細は甲田研究室HP).PEG-b-PMNTの化学療法効果と錯体の光熱変換特性を融合すれば,より効果的な併用療法が実現すると考えます.
Pt@RNPは粒径20–30 nmとEPR効果に適したサイズのナノ粒子であり,光熱変換効率が99.9%と,数多く報告されている光熱変換体の中でトップクラスの値を示しました.正常/がん細胞ペアの樹立に成功した筑波大学医学医療系 松井裕史講師のグループ(松井研究室HP)と共同で,正常細胞とがん細胞のそれぞれに対するPt@RNPの毒性・治療効果を検討したところ,がん細胞選択的な薬剤設計を施していないにもかかわらず,がん細胞へ特異的に光熱効果に伴う殺細胞作用を示しました.今後,in vivoでの性能を評価する予定です.(R. Sawamura et al., Nanomaterials, 15(11), 796, 2025. Article)