会の歩み

都立蘆花恒春園について

蘆花恒春園は、昭和13年(1938年)2月27日に開園された、総面積78,583.60平方メートルの都立公園です。

「不如帰」「自然と人生」「みみずのたはこと」などの名作で知られる明治・大正期の文豪、徳富蘆花(健次郎)と愛子夫人が、後半生を過ごした住まいと庭、それに蘆花夫妻の墓地を中心とした旧邸地部分とその周辺を買収してつくられました。

蘆花は明治40年2月まで、東京の青山高樹町に借家住まいをしていましたが、土に親しむ生活を営むため、当時まだ草深かった千歳村粕谷の地に土地と家屋を求め、「恒春園」と称し、昭和2年9月18日に逝去するまでの約20年間、晴耕雨読の生活を送りました。

昭和11年の蘆花没後10周年忌に際し、愛子夫人から当時の家屋、耕地など旧邸地の一切が東京市に寄贈され、市では昭和13年、夫人の意向に沿って、武蔵野の風景を保存し、公園として公開を開始しました。これらの建物は老朽化により昭和58年〜60年度にかけて改修を行い、「徳富蘆花旧宅」として、昭和61年3月10日東京都の史跡に指定されました。

(参考)蘆花恒春園マネジメントプラン(令和4年3月 東京都建設局)

活動のきっかけ

平成7年(1995年)頃、東京都は、蘆花恒春園を拡張するために、民家が80軒ほどあった場所に「樹林公園」を計画していました。それを知った地元商店街、町会、住民から、「樹木よりも、『花いっぱいの明るい公園を、憩いの場を』」という意見が出て、そこから有志が集い話し合いを重ねました。

その後、平成8年(1996年)1月に東京都に要望書を提出、同年7月には「芦花公園花の丘友の会」を結成。平成11年(1999年)にはこの組織を法人化し、「NPO法人 芦花公園花の丘友の会」が設立されました。

平成3年(1991年)現在の花の丘地区には80軒ほどの住宅がありました

平成12年(2000年)花の丘として整備されました

平成14年(2002年)3月 植え付け前の花の丘

平成14年(2002年)4月 花であふれた花の丘

年表

History

芦花公園花の丘友の会の歴史

 (2024年4月記)

NPO法人 芦花公園花の丘友の会が発足してから今年で25年になります。

蘆花恒春園の「花の丘」が正式オープンしてから24年です。

花の丘を誕生させてから共に歩んだ私たちの四半世紀にわたる歴史をご紹介します。

設立前【平成3年(1991年)~】

平成3年(1991年)頃、花の丘にあたる場所には80軒ほどの住宅がありましたが、その住宅が移転を始めていました。何が起きているのかと都に赴きお聞きすると都立公園である蘆花恒春園を拡張して「樹林公園」を計画しているとのことでした。

高い樹木に覆われてしまうと暗くなり、ただでさえ人通りの少ない場所であるので、防犯上の心配もあり地域住民で話し合い、徳冨蘆花と縁の深い土地なので、「蘆花が好きだった花いっぱいの公園をつくったらどうか」という話になりました。平成7年(1995年)9月、商店会(粕谷商誠会)の役員会に提案したところ、皆この案に賛同し、絵の得意な商店会のメンバーが草花が豊かで明るく遊園地のようなイラストで公園未来図を仕上げました。「花の丘の歌」も作って皆で歌い、大いに盛り上がりました。

 

その後、遊園地にするには少し広さが足りないので、桜の木を50本ほど植えて桜の名所にしてはどうかという意見が出ました。都の職員の方が桜の名所を調べ、平成7年(1995年)高遠コヒガン桜を長野県高遠町(現・伊那市)から15本寄贈していただけることになりました。(高遠コヒガン桜物語参照)

アイディアいっぱいの公園未来図

皆で口ずさんだ花の丘の歌

 花の丘友の会の誕生【平成8年(1996年)~】

平成8年(1996年)1月、これまでの皆のアイディアをまとめ、イラスト入りの図面とともに「花木や草花の豊かな公園にしてほしい」という趣旨の要望書「芦花公園花の丘計画」を東京都東部公園緑地事務所に提出しました。

その頃、都では「生活都市東京構想」を検討する中で、既設公園の中に積極的に花木や草花を取り入れて、地域の公園に「花の名所」を創出する政策に取り組んでおり、これが要望書と合致したため「樹林公園」から「花の公園」に計画が変更され、花の丘計画が実現することになりました。

この花の丘を地域住民で自主管理しようということになり、同年10月に「芦花公園花の丘友の会」が結成されました。会の名前が「芦花公園」とあるのは、現在の都立蘆花恒春園は「芦花公園」という呼称で広く知られていたためです。

地域巻き込みからNPO法人認証、花の丘オープンへ【平成9年(1997年)~】

平成9年(1997年)3月、住宅の立ち退きの終わったエリアが整備され、公園の隅に仮植えされていた高遠コヒガン桜を花の丘の北から東側にかけて並べて植樹しました。また西側にはしだれ桜、山桜、八重桜、次郎桜、そのほかいろいろな桜が配置されました。

平成10年(1998年)5月、花の丘の一部に初めてコスモスの種をまき、8月にはコスモス花見の宴を開催しました。

翌年平成11年(1999年)5月、地元住民・小学校児童とともに、ひまわり・コスモスの種まきをし、8月にはひまわり・コスモスまつりを開催しました。

そして平成11年(1999年)10月、公園は最終整備のため、一旦閉鎖されます。

 

この間にも活動は続けます。最寄り駅の京王線千歳烏山駅から花の丘までの「水際の散歩道」(水無川を暗渠(あんきょ)にした遊歩道)には、粕谷の自然を描いた文豪徳冨蘆花が好きだった花を植えて「花のロード」を作る計画を立て、世田谷区にお願いして80数個のプランターを置いていただき、「街中をお花で飾る花いっぱい運動」と銘打って、着実に進行させました。定期的にプランターの除草、整備も行いました。

花のロードのルート、商店や世田谷文学館や粕谷延命地蔵などの「名所」の位置を書き込んだ「粕谷散策マップ」を作成して駅や区民センターなどに配布しました。

平成13年(2001年)5月には世田谷トラスト協会の助成金により花の苗千個を民家の道路沿いに植えました。

 

また粕谷のみならず周りの町会にも呼びかけ、地域全体を巻き込んだまちづくりに発展させていきたいと考えました。そのような事業を推し進めるためは地方公共団体補助金、民間助成金、寄付金などに頼らなくてはならず、そのためにも法に定められた法人運営や情報公開を行うことにより社会に認められる団体、すなわち社会的信用を得るために法人組織にする必要があります。そこで平成11年(1999年)11月22日、芦花公園花の丘友の会をNPO法人として国に認証していただきました。

そして翌年の平成12年(2000年)3月、ついに「花の丘」が拡張されて蘆花恒春園が新たにオープンします。

花の丘のお祭り【平成12年(2000年)~】

平成12年(2000年)8月、拡張された蘆花恒春園のオープンを祝ってひまわり祭りを開催します。東京消防庁音楽隊を招聘し模擬店も多数出店、来園者数は約5千人にもなりました。同年9月にはコスモス祭りを開催して約7千人、平成13年(2001年)4月のさくら祭りでは来園者は約1万2千人にも上りました。同年8月はひまわりの茎焼却処分のため、焼き芋大会を開催、1500個の焼き芋を無料配布しました。

 

平成17年(2005年)7月にこれらのイベントを定期的に開催することを決定します。

2月餅つき大会、3月菜の花まつり、4月高遠コヒガン桜まつり、5月子供まつり、6月ポピーまつり、7月七夕まつり、9月ひまわりまつりと盆踊り、10月焼き芋大会、11月ハロウィン仮装コンテスト、12月クリスマスツリーイルミネーションまつり。1月と8月を除く毎月開催し今でも「芦花公園花の丘フェスタ」としてイベントは継続しています。

平成12年(2000年)8月 初めてひまわり祭りを開催

平成12年(2000年)8月 東京消防庁の音楽隊による演奏

平成15年(2003年)10月 焼き芋大会

平成25年(2013年)11月 ハロウィン仮装コンテスト

小学校の総合学習の場に【平成13年(2001年)~】

平成13年(2001年)4月より世田谷区立千歳台小学校が総合学習の一環として400㎡の花壇2面で耕運、種まき、刈り入れ等の作業を実習し、これに協力します。10月には菜の花の種をまき、会員はポピーの種をまきます。平成14年5月にはひまわりの種、6月にはコスモスの種を一緒にまき、その後も毎年同様の活動を続けます。

平成16年(2004年)4月には世田谷区立芦花小学校も参加し、A~Eまでの5つの花壇のうち、A,B花壇(800㎡)は芦花小学校、C花壇は芦花公園花の丘友の会メンバー、D,E花壇は千歳台小学校担当とし年間を通じての維持管理体制を整えました。友の会のメンバーは小学校での事前説明、畝作り、一人分の球根の配置・種の小分けなども行っています。

この花壇の担当は今でも変わっておらず、毎年200名以上の児童が参加しています。

平成15年(2003年)5月 千歳小学校コスモスの種まき

平成16年(2004年)6月 千歳小学校ポピーの抜き取り

平成18年(2006年)10月 芦花小学校 チューリップ球根植え

平成19年(2007年)6月 芦花小学校 コスモス種まき前の説明

トンボ池と自然観察資料館「やごの楽校」の建設【平成17年(2005年)~】

秋になると数多くの赤トンボが飛来するのを子供たちが見て花壇に池を掘ろうよと言い出しました。東部公園緑地事務所に相談したところ、花壇は上に木が無く夏水温が上がるので、花の丘の北西100mほどの木陰を指定いただき、平成17年11月に工事着手、翌年(2006年)8月に完成しました。「トンボ池」と命名し、トンボ、メダカ、カエルなど生き物の観察ができる場所になりました。ザリガニ釣りをすることもあります。

 

更に昆虫図鑑などで勉強したいので小さい小屋が欲しいと子供たちにせがまれ、都と相談の結果、場所を無料でお借りできることになり、世田谷まちづくりファンドの助成金が決定されたのを機に平成19年(2007年)9月からログハウスを建設することになりました。みんなの力を合わせて平成20年(2008年)3月に完成、「ヤゴの楽校」と命名しました。心地よい風が吹き抜ける建物は今でも公園内の散策の休憩スポットとして、園内で開催するイベントのスペースとして、また地域で活動するNPOの活動スペースとしても利用されています。芦花公園花の丘友の会では池の清掃、ログハウスの運営管理を行っています。

平成18年(2006年)1月 桜丘すみれば自然庭園のとんぼ池を見学

平成18年(2006年)3月 公園内をみんなで歩き、池の候補地を検討 

平成18年(2006年)6月 トンボ池をみんなで掘ります

平成18年(2006年)7月 池の側面完成!泥だらけでも平気

平成18年(2006年)8月 多摩川でメダカ、クチボソなどを採集

平成18年(2006年)8月 池へ水を入れ始めます

平成18年(2006年)8月 「とんぼ池」オープニングセレモニー

平成18年(2006年)8月 採集した魚を放流

平成19年(2007年)9月 ログハウス建設開始

平成19年(2007年)9月 建設中のログハウスを横目にトンボ池では生き物観察

平成19年(2007年)9月 子供たちもしっかり働きます

平成19年(2007年)9月 棟上げ成功!の記念撮影

平成20年(2008年)3月 「やごの楽校」オープニングセレモニー

平成20年(2008年)3月 素敵なログハウスができあがりました

数々の受賞歴

これまでの会の活動により数々の賞をいただきました。

平成14年(2002年度)世田谷区 第1回地域風景資産に「花の丘」が選定されました。また平成19年度(2007年度)世田谷区 第2回地域風景資産に「みんなのとんぼ池」「やごの楽校」が選定されました。(受賞歴参照)

「やごの楽校」に飾られている数々の表彰状と楯

いくつかの困難を乗り越えて、新しい一歩へ

平成28年(2016年)10月、花の丘南側の保育園建設に際し、土壌調査で有害物質が出土したため花の丘地域が閉鎖され、花壇グループの活動が中断します。令和元年(2019年)3月、活動を再開するも会員数は激減、また新型コロナウイルスの影響で令和2年(2020年)2月の餅つき大会の後はイベント活動は中止、3月以降はトンボ池の活動も休止となります。花壇活動は、集合での活動は中止、水の散布、雑草取りなどの自主的な活動はマスク着用の上、会話を避けて継続しました。

 

令和5年(2023年)4月、東京都の新型コロナウイルス感染者数が落ち着いてきたのを見計らい、「高遠コヒガン桜まつり」からイベントを再開しました。かつてのイベントを知らない子供たち、お父さん、お母さんもたくさん遊びに来てくれました。地域のみんなのコミュニケーションが再び生まれ、「地域を活性化させるため」の花の丘という友の会設立時の目的は絶えることなく脈々と受け継がれています。時を経てメンバーは変わってきていますが、みんなの知恵とアイディアで活動を継続しています。今後の私たち友の会の活動にご期待ください。また応援よろしくお願いします。尚、新規メンバーも大歓迎です。