高遠コヒガン桜物語

花の丘の北側から東側にかけて栽植された高遠(タカトオ)コヒガン桜(高遠小彼岸桜)は、全国で多くみられるソメイヨシノ(染井吉野)と比べてやや小ぶりで赤みが強く少し早く開花します。この開花時期には、広大な花壇に植えられた色とりどりの花と織りなす風景が美しく、花の丘がひときわ輝いてみえます。

 

この桜は高遠城址公園(長野県伊那市高遠町)では「天下第一の桜」と称され、公園一帯に1500本以上が咲き乱れ、全国でも有数のお花見処として多くの花見客が訪れます。

その見事な樹林は長野県の天然記念物に指定されており、高遠コヒガン桜は高遠固有種として一般には販売されていません。

 

門外不出の桜がなぜこの地に植樹されたのか、それはこの花の丘が整備される前の平成3年(1991年)頃に話は遡ります。

当時、花の丘にあたる場所には80軒ほどの住宅がありましたが、都立公園である蘆花恒春園を拡張するにあたり「樹林公園」が計画されていました。住宅がなくなり「樹林公園」となると、緑深く暗くなり人通りも少ない場所で防犯上も良くないため、桜の木を50本ほど植えて桜の名所にしてはどうかと地元住民で話し合いました。都職員の方が弘前やその他の桜の名所を調査したところほとんどの桜がソメイヨシノでしたが、長野県高遠町(現・伊那市)の桜は「高遠コヒガン桜」という品種で色も鮮やかで花の密度も多く素晴らしいということがわかりました。高遠町に苗をお分けいただけないかと都職員の方がお伺いしたところ、この桜は高遠固有種で貴重なもの、門外不出ということで一旦はお断りされてしまいました。

その後、東京都の「生活都市東京構想」が検討される中で、これまで緑豊かにと樹木を増やしていた公園の整備を見直し、明るい花の名所を創設するよう指針が出されました 。そこで都知事(当時青島知事)からの寄贈申請書を携えて高遠町を再訪したところ、花の丘のシンボルツリーとして平成7年(1995年)5年生の苗木15本をご厚意により寄贈していただけることとなりました。
翌年には地元住民の意見をまとめた要望書を東京都へ提出し、「樹林公園」から「花の公園」へ計画が変更され、花の丘が誕生することとなりました。


花の丘に苗木を植樹してから数年後、台風による竜巻が発生して6本の桜が倒れましたが、根を起こして再生させ、今では12本の桜が当時の何倍にも成長して元気に美しい薄紅色の花を咲かせています。

 

花の丘の高遠コヒガン桜に魅せられた方、ぜひその発祥の地である長野県伊那市高遠町の桜を観に足を延ばしてみませんか。

高遠城址公園:伊那市公式ホームページ

平成15年3月 寄贈されて8年目の高遠コヒガン桜

高遠コヒガン桜まれお祭が開催

今では花壇のお花とのコラボレーションも魅力