立教大学グリークラブは、1982年7月29日から8月20月にかけてベルギー、ドイツ、オーストリア、ハンガリーの4ヶ国6都市を巡る演奏旅行を行いました。1978年に欧州演奏旅行を行っておりますので、今回は2度目の欧州演奏旅行となります。
公演地はナミュール、デューレン、インスブルック、ウィーン、ブダペストなどの名立たる音楽都市。各公演は満員、クラシック音楽の本場ヨーロッパの耳の肥えた地元の音楽ファンに歓迎されました。
特に今回のプログラムの一つ『川よ とわに美しく』は、広島の原爆被害からの再生を願った曲で、ピアノとシンセサイザーの共演によるメンバーの熱演は、各地で賞賛されました。
立教大学グリークラブは、1982年7月29日から8月20月にかけてベルギー、ドイツ、オーストリア、ハンガリーの4ヶ国6都市を巡る演奏旅行を行いました。1978年に欧州演奏旅行を行っておりますので、今回は2度目の欧州演奏旅行となります。
公演地はナミュール、デューレン、インスブルック、ウィーン、ブダペストなどの名立たる音楽都市。各公演は満員、クラシック音楽の本場ヨーロッパの耳の肥えた地元の音楽ファンに歓迎されました。
特に今回のプログラムの一つ『川よ とわに美しく』は、広島の原爆被害からの再生を願った曲で、ピアノとシンセサイザーの共演によるメンバーの熱演は、各地で賞賛されました。
8/7、アトリエ演奏会は数千人収容可能なエクスポジシオンにて行われ、グリーメンは今まで体験したことのない聴衆の多さに大興奮。Oedipus Rexは、今回CANTATのアトリエ公演のトリ、目玉。本番も上出来で、終演後は他の合唱団とエール交歓。ブルガリア男声のBassは半端じゃなく、ビビリました。翌日からは巡業の旅が続く。
8/3、ロイヤル劇場でのマチネー公演。オペラハウスの作りで馬蹄形の客席が5階まであり、オケピットもある本格的劇場。4日前にここで演奏会を持った法政アカデミーの福永先生曰く「響きが悪くやり辛い」。しかし、開場するやすぐ満席、それから1時間程の間に会場はグリーの演奏に沸き返っていた。
日中はアトリエの練習、CANTAT以降の演奏ツアーのため北村先生の厳しい稽古に明け暮れ、観光などもってのほか。そんな中で、グリーメンの密やかな楽しみは、宿舎が同じ他国の合唱団との交流。ハンガリーの女声と仲良くなり、ブタペスト公演も聴きに来てくれました。帰国後、卒業旅行で再度欧州を訪れ、彼女達の家でホームスティした猛者も…。
8/4、アトリエで一緒の西ドイツ・ブルガリアの合唱団と共に、ブリュッセルまでバスで移動し、プロのオケ・ソリストとの合わせ練習。
8/7、アトリエ演奏会は数千人収容可能なエクスポジシオンにて行われ、グリーメンは今まで体験したことのない聴衆の多さに大興奮。Oedipus Rexは、今回CANTATのアトリエ公演のトリ、目玉。本番も上出来で、終演後は他の合唱団とエール交歓。ブルガリア男声のBassは半端じゃなく、ビビリました。翌日からは巡業の旅が続く。
A.シャルレ先生と福永陽一郎先生の2ショット。福永先生は法政大学アカデミー合唱団を率いてEUROPA CNTATAに参加。毎朝エクスポジシオンで開かれるOpen Singingでは、日本の三校合同(立教・法政・甲南女子高)で『さくら』を指揮して頂く。
8/11、インスブルック公演。IGLSのホールでは開演10分前にお客様が10名しかおらず、あと何名来るかということが当面の話題になったが、何と開演時には超満員の聴衆とチャウチャウ犬とシェパードの来場が得られた。
疲れのためか、リハではピッチが下がりっぱなし。協ちゃん先生のカミナリは半端じゃなかった。
8/12、インスでは有名な「黄金の小屋根」下の特設ステージで2回の野外公演。ステージは地上1.5mの正方形で、まるで特設リングのようであり、それにピッタリな体格の某学生指揮者の大きな尻は、北村先生をして「あの尻何とかならんか」と言わしめた。JALでもらったハッピも着て歌いました。演奏後は聴衆から「一緒に写真を撮ってくれ」と、正にスター気分(?)
8/15、ウィーン公演は、あの有名なカール教会で。教会側からの希望で、日曜朝の礼拝で『ミサ曲』を奉唱。夜8:00から演奏会。日本では期しくも終戦記念日に、カール教会で『川よ とわに美しく』を演奏できたことは大変意義深かった。
翌日は、初めての終日自由行動。自由主義圏内での最終日、目いっぱい羽を伸ばした。
当時の東欧諸国は共産圏、重苦しい雰囲気が漂う。
8/18、ブダペスト公演は、ヒルトンH.の会場。皆川先生はご都合によりハンガリーに同行されなかった為、北村先生が『ミサ曲』も振られる。今回の欧州ツアー最後の公演ともあり、アンコールも入れて3時間に及ぶ長丁場、歌い切った。ナミュールで知り合ったハンガリーの娘達も聴きに来てくれた
8/19、ロンドンを経由し帰国の途へ。
長かったようで、あっという間に過ぎ去った夢のような日々。スーツケースにはカップめんの代わりに多くの思い出が詰め込まれていた。