本研究室では、「時空とは何か?」という素朴だけれど根源的な問いの答えを追い求め、時空の量子論(量子重力)を研究しています。現在、量子重力における基本原理が一体何なのか未だに明らかではありません。そこで本研究室では、特定の理論(弦理論やループ量子重力など)を専門に研究するのではなく、物理学の3つの法則(量子論、一般相対論、熱統計力学)の幅広い視点から、量子重力の原理そのものを探求しています。特に、3つの法則の有機的関係に興味があります。例えば、もし仮に時空が量子的に振る舞う“時空原子”の集まりであるならば、それは一種の量子多体系であり、その“物性”はその統計・熱力学的挙動で決まります。このように、プランクスケール近傍では量子論・重力・熱統計力学の3つが互いに関与し合い、混ざり合い、その結果、新しい法則・振る舞いが現れ得ます。本研究室では、理論物理学の幅広い分野に興味を持ちつつ、世界中の研究者達と共に、このような原理の融合を通して、量子重力及び物理の基礎原理を研究しています。例えば、以下のような研究があります。
私たちが「ブラックホール」と呼んでいる“物体”の正体は未だにわかりません。古典的には、それはホライズンを持つ重力の強い真空領域として定義されます。しかし、現在の観測結果(重力波や撮像など)はその物体の周囲に由来するものであり、ホライズンの存在は未だに未確定です。さらに3つの理論的問題があります:特異点の発生、エントロピー面積則の微視的起源、情報喪失問題。既存の多くの手法は各問題に特化したものですが、自然界は3つの問題を同時に解決できる描像だけを許すはずです。
そこで、古典的描像を一度わきに置き、最初から量子的物体としてブラックホールを考え直してみます。その場合、ブラックホールの量子的定義とは一体何でしょうか?これに対し2つの可能性を提案しました:
定義1「ブラックホール=量子的ダイナミクスに従う重力崩壊によって形成される最もコンパクトな物体」
定義2「ブラックホール=与えられた表面積に対してエントロピー最大の配位」
定義1を調べる第一歩として、量子重力の低エネルギー有効理論である半古典的Einstein方程式(=重力は古典的に、物質は量子的に扱う平均場近似)を用いて球対称崩壊物質の時間発展をself-consistentに解析したところ、ホライズンは形成されずに、高密度物体になることがわかりました(論文[2, 4, 5, 7, 11, 15])。それは、多数の励起した量子が自己重力で集まった配位(重力凝縮体, Gravity Condensate)であり、プランク定数に関する非摂動解で表されます。その結果、内部では真空揺らぎにより量子的圧力が生じ、それが自己重力を支え、古典的特異点が解消されます。また内部に分布する物質場のエントロピーを自己重力効果を含めて評価すると、エントロピー面積則が厳密に再現されます(論文[16])。さらに、これは古典的ブラックホールとほぼ同じ撮像を与え、特徴的な小さなズレも予言されました(論文[17])。興味深いことに、定義2を調べたところ、エントロピー最大の配位は重力凝縮体となり、Bousso boundが導かれました(論文[19])。従って、定義1と定義2両方に従うこの重力凝縮体は、量子ブラックホールの候補に成り得ます。
現在、このモデルを発展させ、半古典近似を超えた量子多体系としてのブラックホールの記述を研究しています。その1つの可能性として、特異点を完全に除去するダイナミクスに相当する有効ハミルトニアンを構築しました(論文[20])。
熱力学と量子論をつなぐ基礎研究も行っています。熱力学エントロピーは断熱準静過程で保存するダイナミカルな量です(断熱不変性、断熱定理)。ネーターの定理は保存量と対称性を結びつけます。では、エントロピーの断熱不変性に対応する対称性は何でしょうか?ゆっくり時間変化する外部パラメータをもつ古典粒子系を考え、作用の定義域を熱力学の準静過程と整合的な軌道のクラスに制限すると、時間の特別な変換が対称性として創発し、ネーター保存量としてエントロピーが導かれました(論文[6])。また、量子多体系の熱力学的有効波動関数を熱力学的状態空間における経路積分として構成すると、同じ対称性が量子論レベルでも出現しました(論文[9])。この対称性はエントロピーの新しい特徴づけを与えます。実は、この対称性はブラックホールエントロピーを導く対称性(Wald entropy)と同じ形です。よって、これは重力と物質のエントロピーを統一的に記述し、“時空原子”の統計的振る舞いを考える基礎に成り得るでしょう。
現在、covariant phase space formalismの枠組みにおいて、この対称性と熱力学エントロピーの唯一性定理(Lieb-Yngvason)を組み合わせて、重力系の断熱不変量として“時空のエントロピー”を探っています。その一歩として、球対称時空のダイナミクスを流体力学として定式化しました(論文[22])。