1957.9.8
原水爆禁止宣言
1957年9月8日。横浜・三ツ沢の競技場で創価学会⻘年部の東日本体育大会「若人の祭典」が開催されました。これに出席した創価学会第2代会長・戸田城聖先⽣が、後継の⻘年たちへの遺訓として発表したのが「原水爆禁止宣言」です。
当時、米ソを中心とする核実験・核開発が激化の⼀途をたどっていました。この背景には、核の保有を正当化する〝核抑⽌論〟が横たわっていました。すなわち、核兵器を使用すれば、相⼿国も核兵器によって報復し、壊滅的な被害をもたらすので、使用を思い留まるという、恐怖によって平和が維持される理論です。
戸田先⽣は、こうした考え方を根本から打ち破り、〝世界の民衆の生存の権利をおびやかすものは悪魔である〟と叫んだのです。そして、この思想を全世界に広めてもらいたいと、青年たちに託しました。戸田先生のこの宣言が、創価学会の平和運動の原点となりました。
1979.5.5
世界広布の新たな流れを開く
第3代会長に就任した池田大作先生は、師匠の後を継いで、世界の指導者や識者らと直接会い、対話を深めながら、「平和の心」を全世界へと広めていきました。
国内外の広宣流布が大きく進展する中、学会と池田先生を妬んだ僧侶たちは、激しい学会批判を繰り広げました。池田先生は、各地で苦しむ学会員を守り、新たな広宣流布の流れを開くため、1979年4月に第3代会長を辞任します。
実質的な〝会長辞任式〟となった会合の後、池田先生は、完成したばかりの神奈川文化会館へ向かいます。同年5月5日、世界に広がる海を見渡すその場所で、 池田先生は筆を執り、「正義」と揮毫されたのです。
それは、いかなる権力の強圧にも屈しない、一人立つ決意の表明でした。先生は、この神奈川から全民衆の幸福と平和のため、新たな闘争を開始されたのです。
1984.9.9
師匠と共に!
⻘年が創り上げた音楽祭
SGI(創価学会インタナショナル)会長として、世界の指揮を執る池田先生のもと、神奈川の同志は立ち上がり、「第一回神奈川青年平和音楽祭」を開催しました。
1984年9月、横浜スタジアムで行われたこの祭典のテーマは、「平和の心を 世界へ 世紀へ」。降りしきる雨の中、合唱、演舞など、さまざまな演目が披露されました。
当時の池田先生は、スタジアムに入るや、グラウンドを回りながら、出演者や参加者、役員に次々と励ましを送り、その熱演を最大に讃えました。
1988.6.10
長編詩
「正義の旗 平和の心」
「第一回神奈川青年平和音楽祭」の開催から4年後の1988年6月。池田先生は、長編詩「正義の旗 平和の心」を発表してくださいました。神奈川に脈打つ、「正義」と「平和」の魂を、日蓮大聖人の立正安国の戦いや、戸田先生の原水爆禁止宣言を通して、また、池田先生ご自身の闘争・⼼情も振り返りながら、 同志への励ましの言葉を綴られています。
先の〝雨の音楽祭〟にも触れられたこの詩は、師匠の期待に応えようと立ち上がった弟子に対する、池田先生からの返歌とも呼べるものであり、その言々句々には、限りない青年への慈愛と、平和な世界への展望・希望が満ちています。