1929年10月24日のニューヨーク証券取引所の株価暴落(暗黒の木曜日)
当時のアメリカ合衆国の大統領(31代)は共和党のハーバート・フーバー、
フーバーは経済的な混乱は一時的なものと見なし、積極的な対応を行わなかった結果、
経済的な混乱が拡大してしまいました。
その後、1933年に民主党のフランクリン・D・ルーズベルトが大統領(32代)に就任し、
世界恐慌を克服するために「ニューディール政策」を実施しました。
ニューディール政策には、失業対策や農業、銀行・金融など、さまざまな分野の
政策が含まれていました。
ルーズベルトは、就任演説で「われわれが恐れなければならないものはただひとつ、恐れそのものだ」
と宣言し、国民を「ニューディール」政策の旗の下に結集させました。
また、ホワイトハウスから直接国民に呼び掛ける「炉辺談話」を行い、国民の信頼を得ました。
ルーズベルトはアメリカ政治史上で唯一4選された大統領です。戦時・有事を理由に1940年・1944年
の大統領選挙に立候補して当選しましたが、
憲法改正によって(修正第22条:1951年)、正式に大統領は2期までと定められました。
1929年(昭和4年)に日本で発生した出来事には、次のようなものがあります。
ニューヨーク株式市場の株価暴落による世界恐慌が日本にも波及し、空前の不況に襲われた
浜口内閣が成立し、金本位制に復帰するためのデフレ政策を実施した
大蔵省が金解禁の省令を公布した
初の本格的ターミナルデパート・阪急百貨店が大阪・梅田に開店した
小西本店が国産写真フィルム「さくらフィルム」を発売した
日比谷公会堂が開場した
我が国初のオールトーキー映画が封切りとなった
初めての天覧早慶戦(慶應義塾大学と早稲田大学の野球試合)が行われた
ドイツのツェッペリン伯号が世界一周の途中、日本に立ち寄り、霞ヶ浦海軍飛行場に着陸した。
参考url
http://kiuchi.jpn.org/nob2/s04.htm