滋賀県立大学へ

「在日同胞歴史資料館」構想は朴慶植氏逝去後も実現の可能性が追求されたが、困難が多い中、朴慶植氏と親交の深かった姜徳相氏(滋賀県立大学教授・当時)が、滋賀県立大学への受け入れを申し出た。結果、1998~2001年にかけて滋賀県立大学が一部を購入、残りを一括寄贈という形式で受け入れ、散逸させずに一括管理することとなった。資料は、朴慶植氏の自宅、清水市の「ミラノ文庫」、調布市布田の準備委員会事務所の三カ所から運ばれた※。

この際、朴慶植氏が生前より刊行を計画していた資料集を、その遺志を継いで発行するために必要な資料(2トントラック1台分ほどと言われる)は、文化センター・アリラン(館長:姜徳相・滋賀県立大学名誉教授)へ運ばれた。この分については文化センター・アリランに整理を委託し、目録作成の後、滋賀県立大学へ移管された。

朴慶植文庫の総量は段ボール箱1300箱と言われ、とにかく膨大な量である。当初報道などでは、約5万点とされてきたが、これは「一点一点数えたわけではなく、伝説的にそのように伝わっただけ」(崔碩義「「在日同胞歴史資料館」のことなど」『在日朝鮮人史研究』29、1999年10月)の数字だという。

※したがって、本来は「朴慶植文庫」でなく「朴慶植・金広志文庫」あるいは「在日同胞歴史資料館文庫」とでも命名すべきであったかもしれないが、受け入れ時にはすでに「朴慶植文庫」として開設することとなっていたようである。また、河が着任した2002年時点では、すでにどれが「ミラノ文庫」から送られた金広志コレクションであり、どれが清水市から送られた朴慶植コレクションであるかなどは判別ができなくなっており、本来明らかにしておくべきであるこれら「旧蔵」情報は現時点からは遡及困難な状況にある。

※下記文献の内容に基づいています。

河かおる「滋賀県立大学図書情報センター「朴慶植文庫」について」『朝鮮大学校学報』23、2013年11月、21~30頁(PDF)