朴慶植氏は、1922年12月7日、慶尚北道奉化郡鳳城面金峰里に生まれた。1929年3月、両親に連れられ日本に渡り、大分県西国東郡朝田村(現在大田村)に住む。1937年3月、同郡田原村(現在大田村)田原高等小学校卒業、1940年3月、同村私立習説校卒業。1941年4月、日本大学高等師範部地理歴史科(夜間)に入学し、1943年9月卒業。1942年9月、東京都で国民学校助教となり、1945年3月退職する。
日本敗戦後、1946年9月東洋大学文学部史学科(旧制)に編入学し、1949年3月卒業。1949年4月~1960年3月東京朝鮮中高等(級)学校社会科教員、1960年4月~1970年3月朝鮮大学校歴史地理学部教員として教育に携わりながら研究を続けた。その間、1965年5月『朝鮮人強制連行の記録』を出版し、大きな反響を呼んだ。1976年6月より在日朝鮮人運動史研究会を組織、『在日朝鮮人史研究』誌を編集刊行した。また翌1977年10月、アジア問題研究所を設立し、『朝鮮問題資料叢書』などを編集刊行した。1995年12月、2000年を開館目標として朴慶植氏が収集した文献を基礎とする「在日同胞歴史資料館」設立準備委員会を組織したが、1998年2月12日、交通事故にて逝去された。
朴慶植氏は1950年代から死の直前まで、朝鮮近現代史、在日朝鮮人史について数多くの研究を発表し、それらの研究は今日でもその分野における必読文献となっているほど影響を与えてきた。中でも在日朝鮮人史研究は朴慶植氏一人で切り開かれたと言っても過言ではないと外村大氏は評価している(外村大「朴慶植の在日朝鮮人史研究をめぐって」『コリアン・マイノリティ研究』2、1999年6月)。
【参考文献】