『難関中学合格 記述スキル特化ゼミ』受講生募集中。記述の壁を共に乗りこえよう!
記述問題は、単にマス目を埋める作業ではありません。
問いに対して、自らの思考をどう設計し、どう言葉を紡ぐか。
その「解答の向こう側」にある、採点官との対話、そしてお子様の知的な成長。
ここでは、私・小山が日々の指導で感じたこと、記述の技術を超えた「思考の本質」を、
直言として綴っていきます。
2026/04/19:「答えは文章の中にあるよ」は本当か
国語を教える人の中に、こんなことを仰る方がいます。
「国語の問題の答えは文章の中にあるよ」
そうですね。確かに、文章とは全く関係ないことが答えになることはありません。しかし、この言葉に縛られてしまう、あるいは誤解してしまうと、大きな失敗が起こります。それは、「文章中からの答え探し」です。この答え探しは、文章を読まず、文章の内容も分からずになされてしまいます。
授業をしていると、たまに不思議な解答に出会います。それは、「本文から書き抜いているけれど、問いの要求に全くこたえていない」解答です。これこそ、「国語の問題の答は文章の中にある」という指導を児童が誤って受け取ってしまった結果です。単に、文字数に該当するようなところを抜き出して答えを作り上げているだけになっているのです。
この指導をする側は、自身で答えが分かるので、この言葉を使ってしまうのでしょう。ところが、指導を受ける側は、問いに直面すると、それだけで「何?何?」と困ってしまうのです。そんな中でこの「「国語の問題の答えは文章の中にあるよ」という言葉。魔法の言葉のように、答探しに必死になるきっかけを与えてしまうのです。
では、この魔法の言葉。そのまま使って、そのままの意味で伝える、理解するのでいいのでしょうか。
この魔法の言葉は、大事な部分が省かれているのです。正しく伝えるのであれば、
「国語の問題は、文章中に書かれている内容に合わせて立てられているから、その答えは、その内容を踏まえた上で考えると導き出すことができるよ」
つまり、文章の字面だけ追って、抽出しただけでは、答えにはならないというのが本当のところです。
例えば、次の文で考えてみましょう。
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みさえさんは、にこにこしながら商店街を歩いています。すると、周りの視線が自分に集まっていることに気づきました。
「あれ?私のことを見ているの?待てよ、これは私を見ているのではなく、私の向こう側の建物を見ているのね。」
そうです。向こう側の建物には長い行列が伸びています。その行列に目が向けられているとみさえさんは考えました。
しかし、その行列を過ぎても、不自然な視線が切れません。しばらくすると、ある女性がみさえさんのそばにやってきて、話しかけました。
「お背中が汚れていますよ。」
みさえさんは、自分の首をふと回して背中を見てみました。赤い服の背に、白色が無秩序に広がっているのです。その服の赤色と同じぐらいに、①みさえさんの顔も真っ赤になってしまいました。わずかな時間で、自分の行動をふり返り、②みさえさんは目を広げ、思わずつぶやきました。
「あのベンチだ。あのベンチの白色のペンキが背中についたのね。」
みさえさんは、体の向きを変え、③急いで家へ帰りました。
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問題1 下線部①について、みさえさんの顔はなぜ真っ赤になったのでしょうか。
問題2 下線部②について、みさえさんはなぜ目を広げたのでしょうか。
問題3 下線部③について、みさえさんはなぜ家へ帰ったのでしょうか。
これらの問題にどのように答えますか。問題①で書いてしまいそうな答えは次の通りです。
「赤い服の背に、白色が無秩序に広がっていたから。」
この解答では△、あるいは×になるかもしれません。難関中学であれば、迷い無く×にするでしょう。みさえさんの顔が真っ赤になったのは、気持ちの変化があったからです。赤い服の背に、白色が無秩序に広がっていたという事実は、気持ちの変化をもたらした原因あるいはきっかけで、それによって「恥ずかしくなった」もう少し説明を加えるならば「周りの視線が自分に集まっている原因が、自分の服の背の白色にあることが分かり、恥ずかしくなったから。」となるでしょう。こういう解答はきちんと読んで、その内容を理解しないかぎり導き出すことができませんよね。
同様に、問題2と問題3はどうでしょうか。
問題2 (解答例)自分の行動を思い出して、服の背に白色がついている原因に気づいたから。
問題3 (解答例)商店街をそのままの姿で歩くことができなくなり、服を着替えようと思ったから。
さて、ここまで見てきて、「国語の問題の答えは文章の中にあるよ」という言葉では対応できないということがわかるのではないでしょうか。対応できないから、「記述問題は難しい」ということではないのです。そもそも文章を読み、その内容を理解して、自分で状況を組み立てられれば、解答を導き出すことは可能です。それを難しいという言葉で片付けるのは、国語の本質からずれているのです。「国語の問題の答えは文章の中にあるよ」という魔法の言葉はまさに国語の本質をずらしてしまうまやかしの言葉なのです。
文章を丁寧に、考えながら読める子どもに育てたい。そう願うのであれば、ちゃんと読むことを教えなければいけません。まやかしの言葉に踊らされ、答えを導き出せないままでは、子どもの方がつらい思いをするでしょう。そう考えると、この言葉の罪深さたるや…。お気をつけください。
2026/04/09:難関中学の記述問題こそ…
国語の文章問題の問いには質の良し悪しがあります。それは単に出題形式で決まるわけではありません。選択問題であっても、その選択肢の作り方によって、質はだいぶ異なります。抜き出し問題も、問いの立て方によって、真剣に読んでいるかどうかを判断できるものもあります。要するに、きちんと読めているかどうかを判断できる問いこそが良い問題であり、字面だけ追い、宝探しをさせるような問いは国語の問題としてはもう少し練る必要があると言えるでしょう。
さて、記述問題についてですが、書く力を求めようという昨今の風潮から多くの学校で積極的に出題あれるようになりました。記述問題というと、アレルギー反応が出るかのように、問題の難易度が上がったとみなされるのですが、必ずしもそうとも限りません。記述問題にももちろん良し悪しはあります。傍線部付近を見て、それらしい文を抜き書きすれば解答が完成するような問いは必ずしも難易度が高いとは言えないはずです。ですから、記述問題といってもその質は様々だということは知っておかなければいけません。
では、難関中学で出題される記述問題はどうでしょうか。ある保護者の方が仰っていました。
「○○中学(難関中学の1校)の国語の問題って強いメッセージ性を感じます。」
仰るとおりです。難関中学であればこそ、そこを受験する児童たちに強い思いを寄せているのです。
よくよく考えてみると、学校が受験生と1対1で語りかけができるのは入試問題を通してだけです。受験会場の、与えられた座席に着き、親と離れて孤独になった児童に問題を通して、学校は問題を通して語りかける、そして受験生である児童はその問いかけに答える。入試問題を介して、1対1のコミュニケーションが図られているのです。そのコミュニケーションの中で、学校は何を求めているのか。私学として長い歴史と伝統を持つ学校ほど、こういうことが分かる子をお預かりして育てていきたいという強い想いを持っているのです。それは問題の難易度云々を越えた次元の話です。特にそのメッセージが強くなる教科が国語なのです。記述問題は難しい、という安い話で入試と向き合うことそのものがナンセンスなことなのです。
ですから、難関中学ほど、文章を読んで、「この話、君はどう理解する?」「君はどう感じたかな?」ということも含めて、精密に問いが立てられているのです。文章本文の丸パクリで答えができあがるような問いの設計はされていないのは当たり前です。ですから、自分自身で言葉をつむいで、そのメッセージに対して答えることをしていかなければならないのです。それを「難しい」という安易な言葉で表現してはならず、受験生とちゃんと向き合ってくれているのだと評価しなければならないのです。
となると、受験生としてその心の準備をもって問いに向き合う必要があります。その心の準備に必要なことは、もちろん知識を兼ね備えること、問題に答える基本的な動作も含まれますが、それ以上に「この学校の生徒になろう」という強い意志です。その意志が、打算的な解答テクニックを越えて、学校からのメッセージに答える言葉を養うことができるのです。要するに、文章と真剣に向き合って、そこから学校の想いを正しくくみ取って、自分の言葉で自分の想いを正しく伝えることこそ、難関中学の記述問題こそ大事になるのです。
保護者の皆さんは、数値だけで学校を評価し、その数値が高いから難しいという短絡思考を越えて、学校の想いを受け取る準備をしてもらえれば、お子さんにもそのことが伝わって、その学校に通うにふさわしい受験生として成長させることができるでしょう。そして、受験生の皆さんは、基本的なことはもちろんですが、それと同時にその学校にふさわしい人間になろうとする心構えをぜひ備えてもらえればと想います。それが、学校からのメッセージを読み取り、それに答える準備になるのですから。
2026/04/06:記述問題に取り組むためには必要なこと
記述問題が苦手という受験生、記述問題に取り組むのを嫌う受験生が多くいます。
なぜ記述問題が嫌われてしまうのでしょうか。
文を書くのが苦手だからということも多いのですが、それは受験生に限ったことではありません。子どもであろうが、大人であろうが文を書くことには多少なりともためらいがあります。ましてや、正解が存在する文を書くとなると、だれでも戸惑ってしまいます。そうです、これが受験生が記述問題を嫌う理由です。
受験生が最も欲しくて、大好きなものは、問題に答えて○をもらえること。○というのは安心と自信の象徴です。自分の答えで○がもらえるとうれしくなるものです。逆に、×をもらってしまうと不安になったり、がっかりしてしまいます。ただし、○と×がはっきりしている一問一答のような形式の問いは、すぐに自信と落胆という感情を得ることができる、そして切り替えができるので、受験生としては勉強のフィードバックがしやすくなりとっつきやすいものです。ですから、そういう問いに対しては、どんどん進める意欲も湧いてきます。
一方、記述問題はどうでしょう。○と×が確かになりますが、どことない不安が答え合わせの前後でつきまといます。○であっても「これで本当にいいの?」と不安になったり、×であっても「よくわからないけど、×なのね…」というあきらめのような感情をもったりします。要するに、正誤判定が出されてもつかみどころがないのです。いうなれば、おばけ、ゆうれいなのような問いが記述問題なのです。記述問題って嫌だなというのは、答えがはっきり見えるわけではないおばけ、ゆうれいのようで怖い問いなのです。
私は受験生に記述問題に取り組んでもらうときに、常々伝えているのは「勇気を持て」ということです。確かに×はもらいたくないという気持ちもわかります。だからといって、「なんでもいいから書いてみな」というのも指導者としては無責任です。ですから「勇気を持て」という言葉だけでは不十分です。それならば、その言葉の前に「・・・ということをヒントにすればまずは大丈夫だから、勇気を持って書いてみな」と伝えています。おばけ、ゆうれいの姿が可視化できるような導きは絶対に必要です。その上での「勇気」なのです。
記述問題に取り組むときに、受験生がいつまでたっても筆を動かさない背景には、姿、形をいつまでも描こうとしないところにあります。問いが問いのままでは抽象的な存在なだけで、いつまでたってもおばけ、ゆうれいなままで、怖い気持ちを持ったままになってしまいます。しかし、何かしらの姿、形を描く手伝いをしていけば、具体的な存在になり、一問一答の問いを解くように文章の内容を振り返り、解答を導き出そうとすることができ、怖さはなくなります。そうなれば、あとは文として答えを表現する勇気です。描いた姿、形が間違えていない限り、大きな×はもらいません。場合によっては、○になります。仮に×だったとしても、自分の答えの記述を見直すのではなく、記述前に描いた問いの姿、形を見直すことができれば、×の理由もはっきりします。
記述問題に取り組むために必要なことは、問いを具体的に描き出し、そして勇気をもってその問いに答えるように表現することです。それができる第一歩をこの特化ゼミでも実践していきたいと考えています。
2026/03/31:「模範解答と自分の解答、どこが違うか分からない」――ある保護者の電話から生まれた特化ゼミ
さて、このたびこの特化ゼミを開講いきさつについてです。
「春の教室」をひかえたある日、別の大手進学塾通塾中の保護者の方からの一本の電話がありました。その方のお子さんとは季節講習ごとに指導しています。電話の内容はこんな内容でした。
「記述対策として、自分の解答と模範解答を比べて、どこがちがうかが判断できる、自分の解答を自分で評価できるようさせてほしいと言われました。」
・・・おたくでそうさせなさい、と言いたくなるような話なのですが、それを聞いて、そのご要望に添うようなことってどんなことがあるのかなと考えました。
そこで作成したのが、記述解答を作成するための専用のノートである「記述解答の設計図」です。
私から言えば、なんてことないノートです。記述解答を作成する準備から、見直しまでを可視化しているだけのノート、というよりノートのレイアウトを組んだだけのものです。そんなの普通のノートに、その一連のことが可視化できるように生徒自身が行えばいいはずです。しかし、生徒自身がノートを整理しながら解く余裕なんて、入試の現場にはありません。だからこそ、思考のインフラ(基盤)としてこの専用レイアウトが必要なのです。
そして、パイロット版を作ってみて、「春の教室」で実際にそのノートで授業を行ってみると…これがとてもいい具合に記述問題に対応できるようになったのです。
問題に取り組む前に何をしなければならないのか。どのような手順で解答を作成しなければならないのか。自分の解答と向き合うことでどんなことに気づくのか。
国語の設問には、あらゆる形式があります。その中で、記述問題はその一部に過ぎません。しかし、この記述問題に特化して取り組む中で、国語の設問全般に通じる、設問への向き合い方、文章への向き合い方を学ぶことができるのです。そのことを、特に難関中学を受験する児童に伝えようということで、急遽この「難関中学合格 記述スキル特化ゼミ」が開講されたのです。
新規講座というのは、講座名があって、それに対する内容を考えるというのが一般的です。しかし、この特化ゼミは形から入ったゼミではありません。目の前の生徒の『書けない』を解決するために、必然的に生まれたゼミなのです。それも保護者様からのご要望からです。きっと、こういうことを望まれている方が多いのではないでしょうか。そういうことを考えてこの特化ゼミが誕生しています。ですから、誰一人見放したくない、スキルアップにとことんサポートしていきたい、そう考えています。
2026/03/24:特設サイト開設に寄せて
通常は当教室ホームページ(https://www.oyamakokugo.jp/)やInstagram(https://www.instagram.com/oyamakokugo)での発信が中心ですが、
当教室の新講座「難関中学合格 記述スキル特化ゼミ」を立ち上げたことを機会に、
このゼミの特設サイトを開くことにいたしました。
この特化ゼミと特設サイトの主旨は、すでにTOPページの冒頭に記していますので、そちらをご覧ください。
ここでは、この「記述問題・記述解答の向こう側」と題して、国語の記述問題や記述解答を起点として、私が日頃の指導現場のことや、生徒との関わり、そして、記述問題・記述解答で大事しなければならないことをコラムとして書いていきます。
もしかすると、「なるほど、そういう考えもあるんだ」ということにも出会えるかもしれません。
「以前、他の塾やインターネットで別の話を見聞きしていたのに、なんだかそうでもないんだ」というこれまでの皆さんが持っていた考えにメスを入れてしまうような話をしてしまうかもしれません。
いずれに内容も、これまでの30年にわたる受験生指導、特に「記述問題が苦手な子」「記述解答がうまく書けない子」を教えてきたところから、導き出されています。
これから、ぜひこのコラムともどもよろしくお願いいたします。