O-1A
軽戦車 O-1A
製造年: 1937年
乗員: 3名 (車長、操縦手、砲手)
重量: 13.2トン
全長: 5.6メートル
全幅: 約2.2メートル
全高: 2.2メートル
エンジン: ガソリンエンジン、出力140馬力
最高速度: 46km/h
航続距離: 252km
武装:
主砲: 34mm口径対戦車砲 1門
副武装:
7.62mm口径重機関銃 2基
7.62mm口径軽機関銃 1基
装甲:
最大装甲厚: 正面15mm、側面11mm、後面8mm
要求仕様の策定:
1930年代初頭、軍事情勢の変化に伴い、多くの国々が軽戦車の開発を進めていました。O-1A の開発もこの流れに沿ったものであり、当初は機動力と火力を組み合わせた軽戦車の要求が提出されました。
設計と開発:
要求仕様に基づき、軽戦車 O-1A の設計が開始されました。設計チームは、機動性を確保しつつ、十分な火力と装甲を持った軽戦車を実現するために取り組みました。装甲が貧弱な点が挙げられましたが 対人を主とするため結果正面装甲は15mmに決まりました。34mm対戦車砲は他国の戦車に劣る性能ですが必要十分と判断され採用が決定、砲は一人で操作できるようになっており 毎分10発 の発射が可能。
軽戦車の特性を活かすため、小型で信頼性の高いガソリンエンジンが採用され、車両の機動性を向上させました。
主砲と副武装の選定においては、対人戦闘を主とし対戦車の両方に対処できるようなバランスを考慮しました。
試作車の製造とテスト:
設計が完成すると、試作車両が製造され、厳格なテストが行われました。これにより、車両の性能や耐久性が確認されました。
テストの過程で、様々な改良点が明らかになり、設計の最終調整が行われました。
生産と配備:
テストが成功,終了すると、量産が開始されました。軽戦車 O-1A は、製造の効率性と戦力の増強が図られました。
開発された軽戦車は、前線部隊に配備され、その機動性と火力によって、様々な戦場で活躍しました。
改良と派生型:
実戦での経験や技術の進歩により、O-1A はその後も改良が加えられ、さらなる派生型が開発されました。
・O-1B - 突撃砲型のO-1A、大型の野砲を車体に直接乗せたもの。正面装甲が15mmから35mmに変更
・O-1C - 新砲塔のO-1A、砲弾が34mmから55mmになり砲塔が大型化したもの、装甲も強化されている。
実戦
1.ミミンストン侵攻作戦 (1944)
この侵攻作戦には O-1A が 116輌 投入され そのうち 52輌が撃破されている。撃破された大半は敵の野砲に撃破されており、装甲の貧弱さが浮き彫りになっている。機動性は良好で強襲によく用いられた、だが対戦車兵器にとても貧弱で多くが撃破されてしまった。O-1Aは生存性が非常に高く、ひどい火災がない限り誘爆はしなかった。
報告された戦果は
・128-XK (中戦車) 22輌 - 34mm砲は128-XKの側面を貫き戦闘不能させることができた、待ち伏せ・奇襲による撃破が全てである。128-XKと正面から打ち合った O-1A は正面装甲を貫かれ火災により誘爆,撃破された。
・75mm野砲 11基 - 敵の待ち伏せにあった O-1Aの撤退時に撃破した、 待ち伏せの際 75mm野砲に斜めに3輌同時に撃破されたという報告もある
・シルバーファング (トラック) 89輌 - 軽装甲の相手にとても優位に戦うことができた、搭載の7.62mmでも制圧できた。
・歩兵 約2000人 - 歩兵と同伴していた O-1A は対歩兵戦闘にとても有効で 戦闘を有利に進めることができた。だが歩兵銃に操縦手がやられたという報告があり装甲への信頼性が低下した。
2.イルドン川の戦い(1944)
移動中の15輌の O-1Aが敵の輸送船に遭遇した際の戦闘。
報告された戦果は
・輸送船 2隻 - 敵はこちらに気づいていたものの反撃などは特になく一方的な攻撃により沈没していった。
・128-XK (中戦車) 13輌
・X-7000-RH (重戦車) 6輌