ドンソンドラム(1式銅鼓)
伝・ベトナム北部出土
OkudART 企画展
アートの始まり Vol.1
~アジアの美術を遡る~
8月13日(土)〜28日(日)
(8/5(金)〜12(金)はプレオープン)
一般:500円 / 高校生以下:無料
先史土器(カエル形土製品)
伝・タイ東北部 バンチェン出土
弥生土器 壺
伝・岡山県出土
銅鐘(クーランベル)
伝・カンボジア西部出土
石彫花紋レリーフ
伝・ガンダーラ出土
OkudART 企画展 アートの始まり Vol.1 ~アジアの美術を遡る~
本展の見どころ
先史・古代の考古遺物や部族社会の造形物は、専ら歴史資料・学術資料として扱われてきました。しかし、美的視点あるいは現代的視点から見れば高い芸術性・価値をも有したアートでもあります。本展では芸術的視点からセレクトされたアジアの先史・古代美術、民族美術の優品を展示します。その優れた造形性に触れていただくとともに、背後にある精神性やアートとは何かを考える機会としていただきたいと考えております。
展示構成
●アジアの土器
土器は先史・古代を代表する造形物で、陶磁器の源でもあります。アジアは世界の中でも古くから土器がつくられたエリアであり、地域によって特色ある多様な土器が生み出されました。アジア各地の土器の造形美を見比べてください。
●アジアの青銅器 鐘・太鼓・鈴
自然界にはない金属が発する音は、当時の人々にとって特別なものであったはずです。先史・古代の東南アジアは青銅器文化が特に発達した地域であり、銅の太鼓や鐘などがつくられ、独自の文化圏を形成しました。その特徴ある造形をご紹介します。
●祈りの造形
アートの歴史を遡るほど、祈りや信仰との境は曖昧になっていきます。アートの始まりは魔術や呪術、あるいは弔いのためのものだったかもしれません。
人間が祈りや死をどのように捉えてきたのか、その精神性をアートの視点からご覧ください。
<キュレーター解説>
「OkudART」を期間限定的に始動させる。その第一弾に相応しい展示として、新たなアートの拠点のスタートにかけて「アートの始まり」を企画した。
アートとは何か。人類にとって根源的でかつ答えのない問いである。アートの始まりは言葉の始まりと同じくらい分からない。絵を描いたり造形物をつくったりすることがアートであるならば、人類は大昔から地域でアートを生み出してきた。生きるのが過酷であった大昔に余技や趣味としてアートが存在したとは考えられない。食料や住居と同様には生きていくうえで必要であったからつくられたはずである ~ 何らかの精神を形や色で表現し機能させるために。アートに対する考えやが意味するものが時代や地域によって現代の我々とは異なることもあっても、必要であるが故につくられたことに変わりはない。現代で特別なものとなってしまったアートも、時代を遡れば、生に必要で身近な存在になっていく。
今回の企画ではアジアの先史・古代アート、また最近まで文明から隔絶されていた部族社会のアートを展示することで、その造形性に触れていただくとともに、その背後にある精神性やアートとは何かを考える機会としていただきたいと考えている。
今回の展示物のような先史・古代の考古遺物、あるいは部族社会の造形物は、専ら歴史資料・学術資料として扱われてきた。しかし、美的視点から見れば高い芸術性・価値をも有し、アートでもある。今回の企画では、資料として学術的視点から系統的に展示するのではなく、作品としてアートの視点から再評価し分類・展示している。OkudARTの活動は、アート活動そのものであり、新たな価値の発見・創出もそのミッションの一つである。アートの始原に連なる先史・古代や部族社会の造形品にアートの本質・価値を見出していただければ幸いである。
展示構成
●アジアの土器
可塑性のある粘土で自由に形をつくり、それを焼き固めれば器となる・・・、土器は人類の大きな発明品の一つといってよいだろう。先史・古代を代表する造形物で、陶磁器の源でもある。土器の発明は、今まで食せなかったものを食料にすることが可能になるなど、生活に大きな変化・影響を与えた。粘土で自由に成形できることから形も多様で、造形的にも幅が広がった。主に貯蔵や煮炊きに使われたのであろうが、実用性には直接関りのないはずの装飾や彩色も施されるようになる。まつりや死者の埋葬に使用されたと考えられる土器もある。実用品とは考え難い、器以外の形象物もつくられた。様々な形や施された装飾・赤彩は何らかの精神性が反映されたものと考えられ、アートの始まりと考えてもよいだろう。アジアは世界の中でも古くから土器がつくられたエリアであり、地域によって形・装飾は異なり、特色ある土器が生み出された。アジア各地の土器の造形美を見比べていただきたい。
●アジアの青銅器 鐘・太鼓・鈴
金属の登場も人類の生活を大きく変えたに違いない。鉄生産が始まる前は銅が主役であった。農具・工具や武器のような実用品がつくられたが、一方で鐘や太鼓などの楽器もつくられた。自然界にはない金属が発する音は、当時の人々にとって特別なものであったはずだ。時を知らせたり合図など実用品として用いられたこともあろうが、主に祭祀や祈りの場面で使われたに違いない。日本の弥生時代の銅鐸もその一例であろうし、寺院の鐘・神社の鈴のルーツもそこに連なるものだろう。
先史・古代の東南アジアは、中国の影響を受けつつ、青銅器文化が特に発達した地域である。実用品が鉄でつくられるようになっても、銅で楽器や祭器がつくられ続け、独自の文化圏を形成した。それらは地域のシンボルや威信財的な存在であったと考えられており、その伝統は一部の地域で現代にも続いている。青銅の太鼓~銅鼓~は、その代表といえるものである。銅鼓のほか、最近出土例が増えている大型の鐘など、東南アジアを中心にした青銅器を展示している。その特徴ある造形をご覧いただきたい。
●祈りの造形
アートの歴史を遡るほど、祈りや信仰との境は曖昧になっていく。分かっている最も古いアートの一つは洞窟に描かれた動物であり、人の小像である。それらは呪術や祈りのためにつくられたのであろう。アートの始まりは魔術や呪術、あるいは弔いのためのものだったかもしれない。
過去のアートと祈りは不可分だ。世界各地で見つかっている洞窟壁画もその迫真的な描写に驚くばかりだが、楽しみや装飾のためではなく、呪術のために描かれたのであろう。
日本でも、すでに縄文時代には祈りに使われたであろう土器や土偶があった。三輪山や沖ノ島は、山・島自体がご神体とされ、祭祀が執り行われた。古墳でも祭祀が行われたであろう。
やや時代が下れば、仏教が伝わり、寺院や信仰のための造形が盛んになる。仏教に関わる造形は、遠くインドやガンダーラから中国や朝鮮半島でも盛んであった。人間が祈りや死をどのように捉えてきたのか、アートの視点からご覧いただきたい。