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CD バロックの真珠たち

この CD には、フランス王政が絶頂を迎え、やがては滅びに向かっていくルイ 14 世 (1638-1715,在位 1643-1715)の時代に活躍した作曲家たちを中心にして、チェンバロの黄金時代の名作が集められています。今回、「バロックの真珠たち」と称し、バロック音楽の珠玉の傑作をここに収録してみた。バロック期においてヨーロッパ諸国の大半は中央集権国家であり、その中央に集積した富によって、文化も享受され、大きく花開いたといえる。つまり、各国のバロック音楽の歴史を追うことは、各国の歴史を垣間見ることでもある。


この録音は、私の次女が生後半年の頃に制作したものである。改めて、なぜ世界中の人類のほとんどが、あまたいる動物の中で牛を選び、その乳を飲んでいるのだろうか、などと思いながら、授乳している真っ最中に行った録音であった。私からのエネルギーを日々吸収し、すさまじい勢いで細胞分裂をしながら成長していくわが子との、このかけがえのない有機的で、深遠な歓喜に満ち、霊的でさえある時間さなか、音楽を演奏することで、何が、演奏家である私の体の中を直観として流れ、生み出されていくのか、私自身興味があった。


この女性である機能を享受し得る期間だったこともあって、わずか12曲の選曲にあたって、敢て女流天才作曲家、エリザベト・ジャケ・ドゥ・ラ・ゲールの名作から2曲を採った.。彼女は、すでに22歳の時、ルイ14世へクラヴサン曲集を献呈することがかない、これを勅許を得て出版した。かの大クープランにさえ認められなかった名誉であった。


小国が乱立するイタリアが衰退し、中央集権国家フランスが繁栄へと移り行く時代だった。バロック音楽の様式も、イタリア風からフランス風へ変わっていった。とかく新しい流行が尊重されたのは、今も17世紀後半も、変わらない。だが、彼女は相容れなかった2つの様式を1つの曲の中で極めて調和的に融合させるのに成功した。 2 声のトリオ・ソナタがその好例である。後に大クープランも、「諸国民」という作品などで同様のことを行ったが、最初に試みたのは彼女ではなかったか?


ここに収録されている「トッカータ」も、基本的にフランス風の前奏曲として始まるが、すぐにイタリアのトッカータ風になり、再びフランス様式に戻る、というぐあいに、短い曲の中にふたつの様式が共存している。フランスの即興的な前奏曲プレリュード、この cd でもダングルベールのプレリュードが収録されているが、この Non Mesure と、仏語で呼ばれるフランスの 17 世紀の前奏曲は、小節線なしの所謂、拍子(ビート)がないもので、基本的に、分散和音で和声進行が示される即興的な音楽である。これに敢えて、トッカータというイタリア風の名前を与えているが、これも、フランスの他の作曲家がついぞ実行し得なかったことである。


20 歳のときに、オルガン製作の名家の出身で当時有名だったオルガニストと結婚したものの、30 代半ばで僅か数年の間に夫、1人息子、両親・・・とかけがえのない近親者の死に直面した。


しかし、こうした不幸ののち 10 年近くの沈黙を経て、敢然と復活する。1707 年にヴァイオリンLa Flamande(フランドル風)という曲があるが、これは、フランス様式でしばしば見られる Allmande (ドイツ風)というスタイルの音楽に、敢てフランドル風(現在のオランダにほぼ等しい)という名を付けたものである。当時のフランス宮廷社会にあって、こうした音楽はすべて北ヨーロッパの踊曲としてアルマンドと呼ばれていた中、フランドル絵画に興味を持っていたこともあり、敢えてその名を与えたのである。これも、他の(男性)作曲家がついぞ試みなかったユニークな発想であった。また、この La Flamande という曲は、当時のアルマンドにしては、かなり複雑、妙味で、深みを持つものとなっている。


彼女が当時の音楽界において特にすぐれた才能に恵まれていたのは明らかであるが、当時の評価においても、現代の評価においても、ふさわしい名声を与えられているとは言えないかもしれない。

チェンバロで、こんなに楽器を歌わせている演奏に出会うとは、珍しい。と批評される。 透明感のある音が、胎教などにも、ぴったり。新生児にも、聴かせたい音楽。


ジャン・アンリ・ダングルベール

1 前奏曲

2 トンボ(鎮魂曲)

ジャック・シャンピオン・ド・シャンボニエール

3 アルマンド

ヘンリー・パーセル

4 組曲 ニ長調

ドメニコ・スカルラッティ

5 ソナタK14

6 ソナタK302

7 ソナタK417

ルイ・クロード・ダカン

8 かっこう

エリザベト・ジャケ・ド・ラ・ゲール

9 シャコンヌ

10 トッカーダ

ジローラモ・フレスコバルディ

11 チェントパルティータ

ジャン・バティスト・フォルクレ

12 シャンコンヌ;モランジ 別名プリセ



ジャン・アンリ・ダングルベール (1629-1691) はフランスの作曲家で、王室のクラヴサン奏者であり、また音楽教師でもありました。ダングルベールが鍵盤楽器のために作曲した作品は、この時代のフランスが生んだ最良の音楽に属すると言われています。


トンボーとは、フランス語で墓石のことで、バロック音楽においては死者を悼むために作られた作品を指します。ただし、やがて特定の人物の追悼ではなく、漠然と文学的内容を持つ楽曲へと変化したようです。


この作品は、ダングルベールが師であったシャンボニエール(後述)の死に寄せて書いたもので、そうした性格にふさわしく非常にゆっくりと奏されます。ダングルベールは、シャンボニエールの後を襲って王室での常任クラヴサン奏者の地位を得ていたのでした。



フランスでは17世紀から18 世紀にかけて宮廷を中心に鍵盤楽器の音楽が興隆を極めました。このCDで取り上げられている作曲家たちのほかにも、ルイ・クープランなどがいます。 ジャック・シャンピオン・ド・シャンボニエール (16o1 または 16o2-72)は、そうした人々の嚆矢とでも呼ばれてしかるべき人物で、ダングルベールの教師だったことがあるほか、クープランの才能を見出したのも彼でした。


シャンボニエールは早くからクラヴサン奏者として名声に恵まれ、宮廷で確固たる地位を得ていました。しかしながら、派手好きの性格が災いし、王の寵愛を失って、晩年は貧困のうちに過ごしたのち、世を去りました。


アルマンドとは、フランス語で「ドイツ風」という意味を持つ舞曲で、2 拍子、または4拍子を取ります。バロックの舞曲の代表的なもののひとつで、もともとは男女がペアになって行進しながら踊るものでした。



ヘンリー・パーセル (1659-95) はイギリスが生んだ最高の作曲家のひとりとされています。 18 歳の時より宮廷楽団のリーダーに抜擢され、ウェストミンスター寺院のオルガニストでもありました。若くして世を去ると、その遺骸は教会のオルガンの近くに埋葬されたということです。


パーセルの作品は、イタリア、フランス音楽の影響も強く受けています。オペラ、舞台音楽、宗教音楽など幅広い分野で傑作を遺しましたが、特に声楽曲の分野で評価が高く、鍵盤楽器のためには少数の作品しか遺していません。


組曲とは、バロック音楽でもっとも好まれた曲種のひとつで、最初に前奏曲を置き、次いで拍子や速度が異なるさまざまな舞曲を配列するのが基本的な形です。この曲では、フランス風のイネガリテと呼ばれる奏法が取り入れられています。これは、単に書かれた音符の通りに弾くのではなく、より美しく優雅に聞こえるように微妙な伸縮を伴って演奏するやり方で、奏者のセンスが問われます。



ドメニコ・スカルラッティ (1685-1757) は、ナポリに生まれた作曲家ですが、仕えていたナポリ王女マリア・マグダレーナ・バルバラがスペイン王家に嫁ぐのに付き添い、後半生はマドリッドで活動しました。父親はアレッサンドロ・スカルラッティ (1660-1725) という、当時知らぬ者がいない主としてオペラの大作曲家でした。


ドメニコはオペラなども作曲しておりますが、彼の名をもっとも高めたのは鍵盤楽器のための作品でした。彼はもっぱら王女が弾くためにたくさんのソナタを作曲しました。その数は500以上に上り、ほとんどは長調です。その中でフーガという形式で書かれたものはわずか5つで、この曲はそのうちもっとも長いものです。


彼のソナタはのちのモーツァルトやベートーヴェンのそれとは異なり、単一楽章の短い音楽です。スカルラッティは賭け事が好きだったと伝えられておりますが、確かに音が大きな跳躍を見せたりするあたり、賭博的スリルに通じる感覚がうかがえなくもありません。チェンバロにのみ可能な演奏法を駆使した音楽は、奏者に非常に高度な技巧を要求しています。



ルイ・クロード・ダカン ルイ・クロード・ダカン (1694-1772) はパリのノートルダム寺院のオルガニストを務めるなど、主としてオルガニストとして名声を博した人物です。


今日でもピアノ学習者のための教材としてたびたび弾かれる「かっこう」は、いかにもフランスのバロック音楽らしい典雅な響きを持つ佳品です。おそらくは、チェンバロという言葉から私たちが想像するイメージにもっとも近い音楽のひとつでありましょう。右手が細かな音符を連ねていく間、左手がかっこうの鳴き声を模倣する音型を繰り返すのが曲名の由来です。



エリザベト・ジャケ・ド・ラ・ゲール (1665-1729) は、ダカンの義理の叔母に当たります。チェンバロの巧い天才少女としてルイ 14 世に気に入られ、ヴェルサイユで活躍しました。歌も上手で、弾き語りが得意だったと伝えられてます。


この曲は、本来ならフランス風に前奏曲と呼ばれる内容の音楽なのですが、トッカータというイタリアの即興的な演奏法を示す題名が付けられています。作曲者はフランス様式とイタリア様式をいち早く融合させる姿勢をアピールしたのです。


彼女は楽器を演奏するだけでなく、作曲家としても名声を得ていましたが、これは非常に珍しいケースです。女性の作曲家は比較的最近に至るまで、ごく少数に限られていました。その理由として、女性は作曲という知性的な仕事に向かないという偏見が長い間信じられていたこと、女性が一流の職業人として立つことを歓迎しない世の風潮が挙げられます。成功したものの忘れられてしまった女性作曲家、あるいは結婚などにより創作をやめてしまった女性作曲家にスポットを当てるコンサートや研究が、近年では徐々に盛んになりつつあります。


フランスの宮廷においては女性の存在感が非常に強く、立身出世のためには有力な婦人の後ろ盾が必要なほどでした。そうした状況の中、ド・ラ・ゲールは常に誰かに目をかけられ、長きにわたって活躍しました。フランスで最初にオペラを書いた女性も彼女でした。



ジローラモ・フレスコバルディ (1583-1643) は中部イタリアの文化都市フェラーラで生まれ、主にローマで活躍した作曲家です。一時はフィレンツェでメディチ家のオルガニストを務めていたこともあります。当時彼の作品はイタリアのみならず外国でも研究され、鍵盤楽器のジャンルにおいては17世紀前半で最大の影響力を持った作曲家と評されています。それまでは通奏低音を受け持つ伴奏楽器のひとつに過ぎなかった鍵盤楽器を初めて独奏楽器として用いたという点で、彼は後世のあらゆる作曲家の先駆けと言えます。


特にこの「パッサカリアに基づく100 のパルティータ」は彼が書いたもっとも実験的な作品とされています。パルティータと言うとバッハのヴァイオリン作品などが有名です。ただし、バッハの場合、パルティータは複数の曲から成る組曲を意味しますが、フレスコバルディの時代には変奏曲を指していました。この曲はその典型で、曲頭で登場した 2 小節の短い主題を約 10 分間にわたって 124 回も執拗に変奏させていく野心的な作品です



ジャン・バティスト・フォルクレ (1699-1782) は、フランス・バロックの代表的な作曲家のひとり、アントワーヌ・フォルクレ (1671-1745) の息子です。アントワーヌは弦楽器の一種であるヴィオールの名手として認められ、太陽王ルイ 14 世に雇われてヴェルサイユ宮殿で演奏活動を行っていました。


アントワーヌの音楽は、宮廷音楽という言葉から連想される優雅な領域をはみ出し、劇的なものを志向していました。他の作曲家たちとは異なった暗い衝動やグロテスク趣味を発揮するのを好みました。感情表現など何事につけて過剰さへ傾斜する傾向がバロック音楽にはあり、特にイタリアの作品にはそうした例が多くあるのですが、フランスにおいては珍しく、アントワーヌの音楽のひときわ目立つ特徴になっていました。


ジャン・バティストは、こうした父親のユニークな音楽がより多く弾かれるようにと、彼の死後、オリジナルのヴィオール版およびそれを鍵盤楽器用に編曲した楽譜を出版しました。その際自作も付け加えられており、この cd に収録されているものはそのひとつで、父親と同様の特徴を持っています。