計算論的神経科学研究室

千葉工業大学 情報科学部  情報工学科    信川研究室

千葉工業大学 情報科学部 情報工学科で計算論的神経科学研究室を主催しております 信川創 (のぶかわ そう)(博士(応用情報科学), 教授)です.当研究室では,ニューロイメージングによる脳活動解析と,その数理モデリング,医療・人工知能への応用を研究しています.

研究テーマ (大皮質の皮質間構造を模したスパイキングニューラルネットワークを開発)

■概要

脳の様々な階層レベルにおいて、ロングテール(※1)な特徴を持った神経活動が観察されます。この神経活動の存在は、知覚・学習・認知などの脳機能を支える重要な神経基盤の1つであり、このロングテールな神経活動の生成メカニズムを解明する研究が進められています。また、近年、次世代の人工知能として脳の神経活動を模した技術が注目されていて、神経活動を発火レベルで再現するスパイキングニューラルネットワーク(※2)の学習性能向上に、このような神経活動の時空間特性 (発火のタイミングや位置) が利用できるという研究成果が報告されています。このように、ロングテール性の生成メカニズムとその機能性の解明は、神経科学・人工知能研究の両領域において、重要な研究テーマの1つです。今回、信川と安藤らは、大脳皮質に見られる皮質間結合とシナプス 結合強度のロングテール性の構造をスパイキングニューラルネットワークに組み込むことで、ロングテールな特徴を持った神経活動の生成に成功しました。


■用語説明

1 ロングテール性: 確率分布の裾が、指数関数的な減衰をせずに、数オーダーに亘って穏やかに減衰する確率分布の性質。対数正規分布やガンマ分布などの確率分布がこの性質を持つ。

2 スパイキングニューラルネットワーク: 脳・神経系の神経細胞(ニューロン)は、急峻な膜電位の上昇である発火によって情報処理の伝達を行っている。スパイキングニューラルネットワークはこの発火のダイナミクスをモデル化した生理学的なニューロンに近い挙動を示すニューロンモデル。尚、現在、広く普及しているdeep learningの技術のほとんどは、この発火そのものではなく、平均発火率に対応した量をモデル化した形式ニューロンに準ずる単純化されたニューロンのモデルが使われている。


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■原著論文情報

雑誌名: IEEE Transactions on Neural Networks and Learning Systems 

論文題目: Long-Tailed Characteristic of Spiking Pattern Alternation Induced by Log-Normal Excitatory Synaptic Distribution

著者: Sou Nobukawa, Haruhiko Nishimura, Nobuhiko Wagatsuma, Satoshi Ando, Teruya Yamanishi

URL: https://ieeexplore.ieee.org/document/9173726  

研究テーマ (脳波の時間的複雑性からアルツハイマー病の神経ネットワーク変質を推定)

■概要

 アルツハイマー病は認知症の最も一般的な形態であり,認知症の約6割を占めると言われています.世界保健機構によると,アルツハイマー病の世界的な有病率が2019 年の0.4%から2030 年には0.6%に増加し,2050年までには1.2%に増加すると予想されています.明確な治療法が見つかっていないアルツハイマー病ですが,近年ではアルツハイマー病の早期診断と早期介入が病気の進行を大幅に遅らせることが報告されており,早期診断や早期介入の確立が重要視されています.

現在アルツハイマー病の診断には,脳萎縮を調べるMRIや脳の血流分布を調べるSPECT,またアルツハイマー病の原因となる脳内アミノイドベータプラークの沈着を可視化するPETなどが幅広く用いられています.一方,脳波や脳磁図,機能的MRIによる神経活動の時間的挙動に基づく研究も盛んに行われています.中でも,脳波は高い時間分解能で神経活動の挙動をダイレクトに捉える脳機能画像法です.安価で非侵襲的であることから高い臨床的汎用性を有し,アルツハイマー病の診断補助としての有用性が期待されています.しかし,従来の脳波解析法のみでは,高い診断精度を望めないことが大きな問題でした.アルツハイマー病では,神経ネットワークの弱体化は,脳領域間における神経活動の相互作用から生まれる複雑な時系列パターンを変質させることが報告されています.したがって,アルツハイマー病に特異的な脳活動の時系列パターン(複雑性)に着目した新たな脳波解析アルゴリズムの開発が望まれていました.

このような現状の中で,安藤(当研究室修士課程2年)と信川らの研究グループは,脳波の時系列データに対して,多時間軸における複雑性を定量化するマルチフラクタル解析とマルチスケールエントロピー解析を実施しました.さらに得られた解析結果を機械学習により統合することで,アルツハイマー病における神経活動の変質を捉えるアルゴリズムを開発しました.具体的には,まず18名の健康な高齢者と16名のアルツハイマー病患者の1分間の脳波に対して,マルチフラクタル解析とマルチスケールエントロピー解析を実施しました.結果,アルツハイマー病では脳波における複雑性が低下しており,またその低下は速い時間スケールに集中していることが明らかになりました(左図を参照).さらに,これらの解析結果を機械学習にかけたところ,マルチフラクタルとマルチスケールエントロピー解析の両方の特徴量を組み合わせることが,アルツハイマー病の推定精度を顕著に向上することが明らかとなりました(判定精度を示す尺度であるAUCで,最大0.22程度精度の上昇が見られました).


■用語の説明

1) マルチスケールエントロピー解析

脳波等の複数の時間スケールにまたがる複雑な振る舞いをする生体時系列データにおける複雑性を定量化するために考案された非線形時系列解析手法です.本研究では各時間スケールでの時間的複雑性を定量化するのに使われました.

2) マルチフラクタル解析

時系列パターンの一部が全体の時系列パターンと自己相似的な関係を持つことをフラクタル時系列と呼びます.そして,その時系列の複雑さの程度はフラクタル次元で表されます.さらに脳波等の非定常性の強い生体時系列データは,単一のフラクタル次元ではなく,複数のフラクタル次元を持つマルチフラクタル性を示します.本研究では,全体の主要なフラクタル性とマルチフラクタル性の2つの尺度で脳波の時間的複雑性を定量化しました.


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■ 原著論文情報

雑誌名: Frontiers in Neuroscience  

論文題目: Identification of Electroencephalogram Signals in Alzheimer's Disease by Multifractal and Multiscale Entropy Analysis

著者: Momo Ando, Sou Nobukawa, Mitsuru Kikuchi, Tetsuya Takahashi

URL: https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fnins.2021.667614/full 

研究テーマ (瞳孔径からADHDの推定を可能にする解析アルゴリズム)

■概要

 近年の私たちの研究から、瞳孔径時系列データに含まれる複雑性、左右瞳孔の対称性は、瞳孔径の制御に関わる交感神経系と副交感神経系の活動、そして青斑核(せいはんかく)と呼ばれる大脳の覚醒や注意に関わる脳部位の活動を反映することが分かっています(引用文献1)。さらに青斑核の活動異常はADHD患者に広くみられます。本研究で私たちは、ADHDの瞳孔径時系列データを解読するため、瞳孔径時系列データの複雑性、左右瞳孔の対称性を解析しました。

 私たちの研究グループでは,20人の健康な成人と16人のADHDと診断されている成人16名(内ADHDの未治療被験者 11名)から瞳孔径を測定しました。つぎに,瞳孔径の大きさと,サンプルエントロピー(用語の説明1)による複雑性,移動エントロピー(用語の説明2)による対称性の評価を行いました。その結果、左図でみられるように、ADHDの被験者の瞳孔径は、健康な被験者よりも大きく、特に未治療のADHD被験者においては、複雑性と対称性が低下することがわかりました。

さらにこれらの3つの特徴量を用いて、機械学習によりADHDの判定確率を出力する判別器を構築したところ、瞳孔径の大きさの場合が最も高い判定精度を示すことが明らかになりました。一方、複雑性と対称性は判定精度では、瞳孔径の大きさの場合よりも劣りますが、それらを複合的に組み合わせることで、瞳孔径の大きさを単体で使用した場合の判定精度からさらなる精度の向上が実現しました。


■ 用語説明

複雑性: 近年,複雑系研究は自然科学と社会科学における重要性を増しています。複雑系の定義は必ずしも単一ではありませんが、多くの要素が自律的に動作し、且つ要素間の相互作用によって、単一の要素では保持し得ない全体として新しいレベルでの機能が創発するシステムのことを指します。特に、脳は単一の要素であるニューロン(神経細胞)が1000億個以上相互に結合した複雑系の最たるシステムと言えます。そしてこのような複雑系の特徴を示すのが複雑性です。神経活動時系列における複雑性の低下は,さまざまな精神疾患(うつ,統合失調症,アルツハイマー型認知症等)と関連づけられます。カオスと呼ばれる決定論的システムから生まれる複雑性によって定量化されることが多いです。

サンプルエントロピー: 脳波等の複雑な振る舞いをする生体時系列データにおける複雑性を定量化するために考案された非線形時系列解析手法において用いられます。本研究では瞳孔径の時間的複雑性を定量化するのに使われました。

移動エントロピー: 個別に得られた生体時系列データ間の相互依存度を表す非線形時系列解析手法です。副交感神経系では,左右青斑核の活動は同側だけではなく反対側にも伝わります。その一方,交感神経系は同側のみの経路となります。この構造上,青斑核の活動が高まると副交感神経系を介する左右瞳孔の相互依存度が高まります。本研究では,左右瞳孔径の相互依存度を移動エントロピーにより定量化し,副交感神経系の活動を推定しました。


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マイナビニュース


■ 原著論文情報

・論文名:Scientific Reports  

・著者:Sou Nobukawa, Aya Shirama, Tetsuya Takahashi, Toshinobu Takeda, Haruhisa Ohta, Mitsuru Kikuchi, Akira Iwanami, Nobumasa Kato, Shigenobu Toda

・掲載誌: Identification of attention-deficit hyperactivity disorder based on the complexity and symmetricity of pupil diameter

https://www.nature.com/articles/s41598-021-88191-x