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新発田市西宮内鎮守
【 西 宮 内・八 幡 宮 要 覧 】
1.鎮座地
新潟県新発田市大字西宮内小字神ノ内763
2.祭神(平成14年(2002年)12月に神明社を合祀)
誉田別尊(ほんだわけのみこと) (八幡宮祭神)
勝負必勝や出世開運といった強力なご利益のほか、安産や厄除けなど幅広いご加護をもたらすことで知られています。
⛩️ 主なご利益
勝負必勝・仕事運向上
古くから「武運の神」として源氏や平家などの武将たちに厚く信仰されてきました。現代でも勝負事の勝利や出世開運を願う人に強力なパワーを授けてくれます。
厄除け・開運招福
あらゆる災難を払い、運気を開く神様として信仰されています。
安産・子育て・縁結び
母である神功皇后(じんぐうこうごう)も共に祀られており、安産祈願や子孫繁栄、家内安全のご利益でも有名。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)(神明社祭神)
日本の神々の中で最も尊いとされる最高神。万物を照らす太陽の神であり、国土安泰や開運全般、所願成就など、あらゆる願い事に対して絶大なご利益があるといわれています。
⛩️ 主なご利益
特定のお願い事だけでなく、全体的な運気の底上げに強いご利益があるとされています。
開運招福・所願成就:人生を明るく照らし、あらゆる願いを叶えるます
国土安泰・国家繁栄:日本全体の平和と繁栄
福徳・勝運:人々を導き、活力や希望を与えるます
3.由緒
イ.八幡宮の祭神について
八幡宮は人皇第16代の応神天皇(誉田別尊)を祀っていますが、天皇は仲哀天皇の第 4皇子で御母・神功皇后の胎内にあって三韓を征服されたので胎内天皇とも申し上げます。
御在位40年(270~310年)農桑を奨め、また織工を召して紡績裁縫機織の業を広め、軍艦を造って国防に備へ賜い、また、王仁博士を招して皇子稚郎子の師匠とする等文教の発達や殖産興業の進歩にも深く御心をよせられ冶績大いに挙り天下極めて穏やかに治まり御寿命110歳で崩御されたと言います。
日本全国の神社の分布を見ても八幡宮がもっとも多く見られ清和源氏の弓矢の神、軍旅を司る神として尊崇厚く一般世人のまた信仰の深さを示しています。
ロ.当八幡宮創紀、縁起について
社記によれば人皇70代冷泉天皇の御代天喜 4年(1056年)源頼義朝臣宣旨により奥羽に謀反を企てた安部頼時その子貞任宗任征討の途次当西宮内に源氏の弓矢の神、氏神として尊崇する八幡大神を勧請し軍旅の祈願所としました。
次に寛治元年(1087年)出羽の国でまた清原武衝等兵乱を起したので源頼義の嫡子八幡太郎義家が兵を率いて攻め下り当社に御参詣になり御神像を奉納し近郷の人夫を召されて修理をほどこし神事儀式を怠らず勤めるよう申し渡されました。
下って寛治 6年(1092年)の夏、越後に大津波の襲来があり、当社また被害を蒙り僅かに御神体のみ時の神主吉見某藤原道美背負いまつって難を加治山方面にのがれたと言います。
明くる寛治 7年(1093年)奥羽の残党黒鳥兵衛等当地に乱入の際義家の弟加茂次郎義綱がこれを誅罸し、その胴体を鬼塚に埋め、その切った太刀を宝剣として奉納、御建立奉行五十嵐小次郎時直をしてお宮を再興させました。
以降、その時々の国司、領主の祈願所として崇敬深く祭礼、修理等すべて官費で行われてきました。
天正15年(1587年)新発田城主佐々木因幡守重家と上杉影勝との兵乱に佐々木家一族当八幡宮の神主をたより逃れて来た時上杉勢に放火され宮殿ことごとく焼失しました。
慶長 3年(1598年)新発田城に溝口秀勝公入封され新たに八幡宮の社殿を造営して代々の祈願所と仰がれ、以来数度の修復を加えて毎年藩費を以って祭典が行われました。
明治維新後、明治 5年(1872年)新潟県23大区小 2区の村社に列せられました。
大正 5年(1916年)10月14日幣帛共進村社に指定されました。
昭和20年(1945年) 8月15日の太平洋戦争敗北を境として神社制度が変革され宗教法人令の公布によりこれに準拠して設立された神社本庁の統括のもと明治以降80年に及んだ国家管理の手を離れて民間の一宗教法人として立つことになりました。
昭和37年(1962年) 1月14日第二室戸台風の被害により葦ぶき屋根を亜鉛版に葺き替え修復しました。
平成12年(2000年)12月には屋根を銅板に葺き替えする大工事が行われました。
平成14年(2002年)12月 7日に神明社を八幡宮に合祀しする合祀祭が行われました。
(神明社を合祀したことにより天照大御神と豊受大神もお祀りしています。)
4.社殿
本殿(流れ造り銅板屋根)
間口 二間 (3.6m)
奥行 一間四尺(3.1m)
幣殿
間口 一間三尺(2.7m)
間口 一間三尺(2.7m)
奥行 三間三尺(6.4m)
拝殿
間口 三間5尺(1.5m)
5.境内
当社は四面一体田園の古村・西宮内の北端に鎮座し昭和47年(1972年)10月15日の全国植樹祭を記念して氏子、老人クラブにより 1,400本の杉苗を植樹し森厳なる霊域を形成しています。
面積 約 650坪 (2,145㎡)
(鬼塚 3畝15歩) ( 647㎡)
6.主要建物
手水舎 1、石鳥居 1、夜燈 2基、社碑 1基
7.境内神社
イ.稲荷社
間口 五尺(150cm)
奥行 五尺(150cm)
(稲倉塊の命を祀ります。)
ロ.金刀比羅社 石碑
間口 七寸(21cm)
奥行 七寸(21cm)
(大物主命を祀る。安政 5年(1858年) 3月悪疫鎮除祈願のため氏子中により奉祀されました。)
ハ.道祖神
神号彫刻石碑 1基
(猿田彦太神を祀ります。)
ニ.祖霊社
石碑 1基
(安政 5年(1858年) 8月歌人井上桐麿翁の霊を祀ります。)
8.宝物
イ.獅子頭 1頭
(往古次第浜の海中より寄せ揚げたものを後に八幡宮に献上したものです。)
ロ.鏡 1面
(溝口秀勝公入国の時奉納)
ハ.松に鷹額 1面
(溝口直温公の奉納)
ニ.剣 1振
(源義綱朝臣の奉納)
ホ.能面 3面
(溝口伯耆守秀勝公奉納)
ヘ.砲丸 3個
(日露戦争後戦利品として国より寄贈)
ト.太鼓 1個
(氏子より奉納)
チ.俳句額 1額 竹青軒天朗書す
(新発田藩士 渡辺戸谷右エ門奉納)
9.祭典
例祭・獅子祭 毎年6月第1日曜日執行
10.氏子 33世帯
11.神職 佐々木英夫宮司(西蓑口・石動神社宮司 令和5年(2023年)より当社兼務)
12.その他 御朱印はございません。
令和 8年(2026年) 6月10日 西宮内・八幡宮 氏子総代作成