西村滋  著書

『青春廃業』 

渡辺書房 1952年 

20代で結核療養中だった頃、サナトリウム生活の中で書いた自伝的小説が出版されたもの。

事実上の処女出版だが、著者は当時まだ作家としての自覚がなく、自身の経歴では1955年出版の『笑わない青春の記』をデビュー作としてる。

『笑わない青春の記』

中央公論社 1955年

戦争孤児の青春をドキュメント風に追いかけた作品。

戦後10周年ということもあり、新劇(俳優座の若手)で舞台化され、東宝では「不良少年」のタイトルで谷 口千吉監督によって映画化もされた。

戦争孤児を書くために作家になった著者の原点ともいえる作品である。

『不良少年』

平凡社 1957年 

「人間の双書」という平凡社の企画シリーズの中の一冊。

前出の『笑わない青春の記』を映画化した「不良少年」のタイトルを出版社が題名に使ったが、内容は映画とは別物である。

『陽のあたらぬ恋人たち』

春陽堂書店 1957年 

貧しい恋人たちの青春を描いた作品。フィクションで はあるが、当時周囲にいた人々をモデルに物語を書いた。

装画は、後に「週刊新潮」の表紙で人気を博した谷内六郎だが、残念ながら残っていない。

(画像は内表紙) 

『やくざ先生』

第二書房 1957年 

少年院あがりの補導員を主人公にした作品。自身の経験を小説化したものだが、内容が大衆的だったためか、映画やテレビの原作として何度も採用される。

映画では当時人気絶頂の石原裕次郎が主人公(著者)を演じ、テレビでは鶴田浩二、三橋達也などが演じた。

『雨にも負けて風にも負けて』

双葉社 1975年 

「戦争孤児がリッパな人間になったりしたら、戦争の好きなやつらは喜んじゃうよ。大丈夫、また戦争をやろうじゃないかって…」(本文より)

戦争孤児たちの様々な人生を描いた著者渾身の作品。

第二回日本ノンフィクション賞受賞。

『お菓子放浪記』

理論社 1976年

孤児の少年、シゲルを主人公にした自伝的小説「理論社の大長編シリーズ」の一冊。

1976年度全国青少年読書感想文コンクール課題図書に選定され、同年、TBS「人間の歌シリーズ」(木下恵介企画)で連続テレビドラマ化されたことからベストセラーとなり、大人から子供まで広く読まれ、著者の代表作となる。 

その後、続編と完結編を執筆。

『しゃくなげの詩』

エルム 1976年 

「幼くして孤児となり、さすらいの日々のなかでひたすら求めつづけた母の愛。“愛情こじき” を自認する著者が、いまだに消えぬ母への思慕をせつせつと綴った感動の書!」(帯紙より)

装画は『陽のあたらぬ恋人たち』以来の谷内六郎。

『原爆はおちなかった』

創世記 1977年 

広島の原爆をテーマにした映画製作をめぐり、企画者であり当時参議院議員だった女優望月優子との確執と決別を書いた作品。

タイトルは、核実験を繰り返す世界と、それを容認する社会の流れへの皮肉を込めたアンチテーゼ。

『妻よ男のみる夢は』

創世記 1977年 

男として夫として、そして父親としての生き方とは…。

「男はいつも旅ガラス」と一人つぶやく著者が、妻と子供に書き綴った、男の本音溢れるエッセイ。 

『笑わない青春』

理論社 1978年 

1955年中央公論社から出版された『笑わない青春の記』を、理論社のジュニアライブラリー「人生のはじめにめぐりあう本シリーズ」の一冊として再出版した作品。

「戦争で傷ついた少年たちの赤裸々な生き様がかがやく─」(紹介文より) 

『おとうさんのひとつの歌』

民衆社 1980年 

「投げやりでもない、かといって目に角たてているのでもない。ふだん着のまなざしで今日よりは明日をちょっぴりがんばって生きていこう─。 そんなあなたに贈る心さわやかなエッセイ。おとうさんの気持ちもわかってやってください─」(紹介文より)

『雨にも負けて風にも負けて 』

民衆社 1981年

1975年に双葉社より刊行された作品の再出版。「私が戦争孤児を書きつづけてきたのは、資料とか統計とか展望めいたものではなく、顕微鏡の眼を持つことでした。彼らの個々の内面的なものを少しでも引きだすことが、私のような人間の義務だと思っているのです」(著者あとがきより) 

『春まで命があれば』

民衆社 1983年 

「青春のかがやきのままいってしまった菅原かおる(17歳)、山田哲也(17歳)の2人のたましいをたずね、いのちと青春のすばらしさ、生きる意味をさぐる。生前、2人をはげましつづけた作家、西村滋が書き下ろした、“生の賛歌”──」(帯紙より) 

『母恋い放浪記』

主婦の友社 1984年 

幼い頃死別した母への絶望が愛に変わる過程を、叙情あふれる文章で謳い上げた「母」へのラブレター。

第七回山本有三記念路傍の石文学賞受賞。

装画は叙情派のイラストレーター、林静一。 

『それぞれの富士』

主婦の友社 1986年 

「戦争で家を焼かれ、親を失った子どもたちは、この40年をどう生き抜いたのだろう……」(帯紙より)

富士山をモチーフに、著者の原点である戦争孤児を描いた作品。 

装画、挿絵は、ノスタルジックな画風のはらみちを。 

『ザ・ろまんちすと』

 ミネルヴァ書房 1987年 

「あまり幸せとはいえないひとりの男が、どんなものを生きるための栄養にしてきたかということを、まるでオモチャ箱をひっくりかえしたような乱雑さで書きならべたもの──」(著者あとがきより)

ロマンチストを自認する著者が、今まで出逢った人々との交流を中心に書き綴った、涙と笑いのエッセイ。 

『地下道の青春』

ミネルヴァ書房 1988年 

「まず生きること、どんなことをしても生きること。死ねば青春もクソもない。まず生きることが正義なり。人生にくらいついてはなれないこと!!」(信ちゃんとボクの青春協定・本文より)

敗戦後の上野の地下道を舞台に繰り広げられる、さまざまな青春の物語。 

『雨にも負けて風にも負けて』

主婦の友社 1988年 

1975年双葉社刊、1981年民衆社刊ののち、絶版にな っていた作品を、戦争孤児を過去形にしてはいけないという著者のたっての希望で、主婦の友社から再々出版したもの。

装画は「母恋い放浪記」の林静一。 

『続   お菓子放浪記』

理論社 1994年 

1976年出版「お菓子放浪記」の続編。主人公シゲルのその後を描く。

敗戦後の混乱の東京を舞台に、少年から青年に成長するシゲルの青春。

1993年2月から1994年6月まで「赤旗日曜版」に連載されたものをまとめて刊行。 

『SOSの季節』

光人社 1995年

「その頃 この国は牢獄だった  戦争という壁にかこまれた牢獄だった  その牢獄の中にもうひとつ ちいさな牢獄があった  少年院という牢獄が──」(本文より)

「路傍の石文学賞受賞作家が、みずからの “塀の中” での体験を、リリシズムあふれる筆致でその真情を吐露したノンフィクション文学の収穫!」(帯紙より)

『もうひとつの放浪記 ーエッセイ的自分史-』

 西村滋後援会  1999年

「沼声」に連載したエッセイに加筆してまとめたもの。1999年の誕生日(4月7日)に、後援会より自費出版 の形で発行。「これも多くの友情によるものです」と本人談。

『完結   お菓子放浪記』

理論社 2003年 

『お菓子放浪記』『続  お菓子放浪記』に続く三部作完結編。

青年シゲルと恋人ルミ、戦争孤児キー坊の心の交流を軸に、平和を願いつつも戦争の傷跡を背負って生きなければならなかった戦後日本の人々を描く。 

(正・続・完結 全三巻セットで出版) 

『お菓子放浪記』

講談社文庫 2005年 

1976年に出版された不朽の名作が30年の時を経て講談社文庫としてよみがえる。

文庫化で再び脚光を浴び、その後映画化、舞台化されるきっかけにもなった。

2016年9月29日、講談社電子書籍となる。 

『戦火をくぐった唄 』

 講談社 2009年 

「戦災孤児は死語じゃない」(帯紙より)

戦争が遠い昔の記憶になりつつある今、戦火の中で親を奪われた子供たちのことを書くために作家になった著者が、かつて出会った三人の戦災孤児の物語を通して、本当の平和はどこにあるのかと現代社会に問いかける。

子供たちが再び戦争に巻き込まれないように─。

憂える著者が贈る、未来へのメッセージ。 

『犬のはなし』

日本ペンクラブ・編角川文庫 2013年 

作家で編者の出久根達郎氏が選んだ、犬にまつわる話24編の中に、著者のエッセイ『犬の「赤とんぼ」』が     収録されたもの。

小林一茶、北原白秋、菊池寛、与謝野晶子などなど、 錚々たる執筆陣に混じり、「なぜ私が…?」と戸惑いながらも、著者にとっては思いもかけぬ嬉しい出版になった。 

『エッセイ的自分史-ふしあわせという幸福』

トータルライフデザイン 2015年

 月刊機関紙「和気愛会」2010年1月号~2015年6月号に連載したエッセイを自費出版の形でまとめたもの。

『お菓子放浪記 』

 戦争期を生きたシゲル少年 社会評論社 2019年10月 

講談社文庫を最後に絶版になっていた『お菓子放浪記』の復刻版。

没後三年に「名著復刻」のコンセプトで、2019年10月21日社会評論社より刊行された。

サブタイトル、焼け跡に佇む少年のシルエットの装丁など、反戦・平和というテーマを前面に打ち出している。

全国書店・Amazon等にて絶賛発売中。定価1800円+税

《短編小説》

『冒したもの』『隣の悪魔』『匂う男』『窃盗記』『禿と終電車』『ふしだら』『ああ、マイホーム』

いずれも1960年代の「小説現代」(講談社月刊誌)に掲載された作品。