新潟市を所在地とする「新潟ランタン会」のホームページです。「新潟ランタン会」はごく一般の山の趣味人の集いです。ランタンの由来はランプの意味ですが、いつも明るくという意味や、のんびりランランルンルン気分で行こうという意味を含めています・・・
平成17年11月26日(土)~27日(日)天候 晴れ 参加者12名
26日 天神平ゴンドラ終点発10:00~熊穴沢避難小屋11:10
27日 熊穴沢避難小屋発6:40~肩の小屋8:00~谷川岳山頂8:20~熊穴沢避難小屋9:30~天神平駐車場12:50
冬山合宿への準備山行として計画された。個人・共同の装備点検、テント生活の段取り、
などなどの確認とメンバーの「和」と「結束」を高めることも目的とした。
また、会として合宿参加メンバー以外の参加も歓迎した。
26日(土)
新潟県は雨だったが清水トンネルを越えると晴れていた。天神平スキー場は今日からの営業でスキー客も少ないようだ。登山者はゴンドラの利用となっており天神平らから小雪の中を歩く。積雪は65センチ。雪も止み、トレースもあり熊穴沢避難小屋までは1時間少々で到着。雪は止み快晴になっていた。早速整地しテン場を作りテント3張を設営する。天気も良く肩の小屋も見える。この日は目的の訓練と注意事項の確認に勤めた。夜は和気藹々と冬山の話で盛り上がった。
27日(日)
4時起床、メンバーが持参した魚沼コシヒカリで朝食。日の出を待って出発。山頂まではトレースもあり約2時間だった。途中からは360度の大パノラマだった。全員が満足そうである。小屋で休み、山頂でビールで乾杯してノンビリすることができた。熊穴沢避難小屋へ戻り、撤収作業。天神平は観光客で賑わっていた。今回は冬山への訓練にしては天気が良すぎ、本来の目的を十分に達成できたか疑問ではあるが、天気の良い山は最高である、そして楽しい山行であつた。間違っても、飯豊冬山合宿はこんな天気にならない事は皆が承知していた。谷川岳の山頂を振り返りながら、想いは飯豊へと向かっていた。谷川温泉で汗を流し帰新した。
平成17年11月13日(日) 曇りのち雨 参加者19名
登山口8:15~湯沢峰9:55~湯沢峰鞍部10:05 ー下山開始10:50~下山完了12:00
正月合宿に向けての荷上げ山行である。何回か行われた荷揚げの最終行程である。今回は門内岳の梶川尾根の途中の湯沢峰鞍部へ一斗缶で10個、赤旗竿75本を荷上げした。一斗缶一つが10k以上の重さだが、分けると梱包が面倒になるので1人で一缶ずつ担いだ。
梶川尾根は最初が急登である。19人が列をなして登る姿は壮観である。登るにつれ飯豊山荘の赤い屋根が小さくなっていく。右に丸山尾根がはっきりと見える。上部はガスの中で見えない。今回の荷上げはキノコ採りも楽しみの一つである。メンバーはキノコが無いかと心もそぞろである。途中から倒木のある沢筋へと降りて行ったが収穫はなかったようである。紅葉も終わり落葉したブナ林はサッパリとして気持ちが良い。立ち枯れした大木にキノコがビッシリとついている。近くでよく見たら全部ツキヨダケだった。
湯沢峰に目印の赤布をつけ、鞍部の大木の下に一斗缶をくくりつけた。10人の2日分の食料と燃料類である。ここが第一の前線基地となる。暮れまでここで冬眠してもらうことになる。我々の大切な夢の詰まった玉手箱である。「しばらくソット置かしてください。一般登山者が入山する前に完璧に荷下げはしますから。」だれに言うわけではないが自然と言葉がこぼれる。門内小屋にはすでに荷上げは終了している。今回の正月合宿の目標は北俣岳だ。計画は着々と進行していく。
山の上部はもう白い、のしかかるようにそびえる峰を前に期待と不安を胸にメンバーは黙って山を見つめていた。
荷上げ終了後すぐに下山した。メンバーの手には採ったなめこの袋がぶら下がっていた。下山途中から雨となった。
飯豊山荘で全員集合でお昼にした。係りが用意してくれた熱いクリームシチュウで冷えた体を温めた。リーダー達は帰りに、各方面へ冬山の挨拶のため早々と車で向かった。
平成17年11月6日 晴れのち曇り 参加者19名
胎内ヒュッテ前発7:50~大樽山山頂11:00ー下山13:00~胎内ヒュッテ前着15:30
胎内の大樽山は足の松沢をはさんで足の松尾根の隣の山である。尾根はアゴク峰をへて飯豊の主稜線へと続いている。訪れる人の少ない静かな山である。
胎内ヒュッテ前のゲートを超えてすぐの所が登山口となる。看板も標識も何も無くアスファルト道路から藪道へと入る。胎内ヒュッテの真正面の尾根を行くことになる。標識は無いが道は確りとしている。尾根は雑木林から静かなブナ林へと高度を上げていく。ハツメなメンバーはキノコ採わしながら登ってくる。アッとゆう間にビニール袋が膨らんでいく。これも秋の山の楽しみである。
落ち葉を踏みしめて紅葉の山を行く。カサカサと音をたてて落ち葉が散っていく。確実に季節は流れていく。残り少ない秋を肌で感じ、心も体も秋色に染まっていく。
所どころ滑りやすい急登りを交えながら920ピークに出る。ここからは遠くに?差岳の小屋が望める。ここからは細尾根の降りをへて二つのピークを超えて大樽山へと進む。少し道は藪っぽくなる。足の松尾根、胎内尾根を右に眺めながら登る。
山頂には三角点の脇に石に書かれた大樽山の文字があった。この山で唯一の標識である。杁差岳から門内岳まで飯豊の稜線が広がっている。目の前には鞍部を隔ててアゴク峰のコブがらくだのコブのように行く手をさえぎっている。その横に見えるのは鉾立か?
山頂の広場は狭いので藪狩をして何とか19名が座れるスペースを作った。途中登山者2名が登って来たが、我々に遠慮して下山していった。せっかく静かな山に登ってきたのに、我々のせいで申し訳なかったと思う。
取れたてのキノコをふんだんに入れた大鍋のお汁はおいしかった。2時間の時間もアッと言う間に過ぎていった。眺める山々を指差して話は尽きない。名残惜しいが「み山飯豊」をみんなで合唱してから下山した。
急坂は滑りやすく尻餅をつきながら下山した。雑木林では風に舞う落ち葉が降り積もる雪のように、音を立てながら一斉に降り注いでいった。まるでメルヘンの世界のようだった。
下山完了後、全員が下山するのを待っていたかのように雨は降り出した。すごく得をした気がした秋山山行だった。
平成17年10月16日(日) 曇り~晴れ 参加者26名
滝原登山口8:44~723P9:55~三坂山山頂10:40-下山1:00~滝原登山口14:40
会恒例のお楽しみ山行の「紅葉狩り」である。マイクロバスを用意して、誰でも手軽に登れるコースを毎回選んでいる。今回は会津の三坂山である。この山は美坂高原と只見川沿いの滝原からの滝原二つ登山道がある。美坂高原からのほうが近く簡単だが、今回は滝原から入山した。
駒形神社の脇の駐車場から入山する。駐車場には行程図付きの立派な案内看板が設置されていた。登り始めは急登りだが、雑木林を少し登ると道は尾根を巻くようにゆったりと高度を上げて行き、歩き易いなだらかな登山道となる。道々、祠も見うけられた。三坂山は古代より鵲(かささぎ)大明神由来の山と言われ、大正時代には山頂で社跡が発掘されたこともあるそうた゛。その昔は御坂山とも呼ばれていたそうで、それなりに由緒ある山らしい。
登山道は鉄塔の巡視路や駒形神社からの旧道と交わり間際らしい。基本的には同じ場所に出るようだが、新しく建てられた標柱の登山道が緩やかで登り易いようだ。この登山道は2・5万地図の破線登山道とは丸っきり別のルートになっている。雑木林から若いブナの林となり。723ピークの尾根ヘ行く。紅葉にはまだ早いようだが雨上がりのブナ林は気持がよい。土剥きだしの丸坊主の尾根上に鉄塔が建っていた。「見晴らし尾根」の標柱の細尾根を過ぎ、尾根腹を巻くようにブナ林を行く。次の尾根上の鉄塔では地元の小学生の団体が大勢休憩していた。もう一登りで山頂である。
山頂はマイクロウェーブの反射板鉄塔が殆ど占領していた。只見川を眼下に集落の家々が積み木のように手に取るように望めた。小学生達は美坂高原へと下山して行った。鉄塔の真下に大天蓋を設営して乾杯に入った。
山頂で会った夫婦は新潟の人でラテルネも読んでいると言う。こんな会津の小さな山で会うとは奇遇である。早戸の「つるの湯」で汗を流し、会津の小さな山旅に別れを告げた。
平成17年9月11日(日) 小雨~曇り 参加者7名
会では以前にも何回か渡渉訓練を行っている。訓練とは何回か同事を繰り返す事で本当に自分のものとなる。そんな意味合いで開催したが、意外と参加者が少なくもったいない気がした。今年は週末に雨の日が多く、全国的にも増水による事故や遭難も報道されている。めったに使わない技術かも知れないが、知っているか知らないかには大きな違いがある。事故に遭いたくて事故に遭う人はいない。普段からしっかりとした知識は身に着けていてほしい。
今回は前回と同じ早出川の河川公園で行われた。
①ザイルワーク。
②実際に川にはいつて杖・ストック等を使っての1人での渡渉。
③二人・三人でのスクラムを組んでの渡渉。
④トップがザイルを引きながらの渡渉。二つのやり方を試してた。
⑤ザイルを張った状態での渡渉。
と訓練を続けた。実際にやってみると頭で考えていた事とかなり違い。実際に経験する事の大切さを再確認した。自然相手であるだけに教科書通りには行かないが、基本はしっかりと理解しておきたい。
訓練後は雨の中での焚き火のおこし方を実際にやってみた。最近は焚き火もする機会も少なく、ちゃんと火をおこせる人も少なくなった。機会があったら経験してもらいたい。
公園のベンチとテーブルの上に雨よけの青シートを張って焼肉とビールでしばし歓談した。渡渉訓練の終わった川では鮎つりの釣り人が竿を出していた。
平成17年8月28日 曇り 参加者 5名
入渓 7:15~25m三段滝8:00ー9:25~50m三段大滝9:56~50m三段大滝10:40~二股12:10~尾根上15:55~山頂16:10-16:45~下山完了18:15
湯沢町の沢である。距離は短いがスケールの大きな滝もあり、明るく、濃度の濃い遡行が楽しめる。
当日は前夜に降雨があり少し水量が多いようだ。水流も少し濁って見えるが遡行には問題なさそうである。
橋の脇から入渓する。ゴーロを行くとすぐに3mナメ滝となる。ナメと滝を幾つかこなして行くと大きな滝に行き詰る。25m三段滝だ。水量が多く取り付きが面倒そうである。無理はせずリーダーが左沢から登り、尾根を乗り越して25m三段滝の上部からロープを出してくれた。ここだけで一時間以上かった。リーダーの「自分は登らなくても、他のメンバーには登ってもらおう」という配慮である。ロープがあると安心である。ありがたく登らせてもらった。ただ、ここを初見でフリーで登るにはかなりの覚悟が必要と思われる。
遡行を続けると、空が大きく開け、幅の広い壁にぶつかる。50m三段大滝である。下流の流れからは考えられないスケールの大きな滝だ。左のヒドから巻く。次に現れたのは60m多段滝である。見上げる限りスラブが続いている。左のヒドから大きく尾根へと巻く。尾根には踏み跡があった。沢に復帰してしばらく行く。
遡行の終盤も近い。沢は二股に分かれる。両方に滝がかかっている。本流は左だ。右沢に入ってから尾根を乗り越して沢への復帰を試みたが、また滝がありそのまま尾根を巻くことにした。
今から考えれば、ここが重要な判断の場所だった。尾根から見た判断で登攀は無理と尾根を進んだが、ヒドにトラバースをさいぎられ沢床に復帰するタイミングを失っしてしまった。沢床に復帰したいのだが、結果として尾根へ尾根へと追いやられてしまった。ここまで上がると「稜線まで登るし道は無い」として、すばらしい急登の藪漕を十分に堪能してしまった。だまし、だましの3時間以上の藪漕ぎと格闘し、三角点のある荒沢山山頂に無事到着した。
思った以上に遣り甲斐のある山行となった。荒沢は幾つかの大滝があり明るく綺麗な沢だったが、今回は最後の藪漕が特に印象深くなってしまった。これも沢登りの醍醐味か?
狭い山頂で乾杯をして、藪に覆われた踏み跡の尾根を転がるように下山した。下山完了時にはあたりは薄暗くなっていた。
平成17年7月31日(日)晴れ 参加者 7名 尾根出迎え2名
魚止の滝6:00~堰堤6:40~小倉沢出合7:20~花ノ木沢出合10:40~小ヤゲン10:42~大ヤゲン11:20~18m大滝12:40~松平山14:55
大荒川本流は五頭山塊の中でも長く面倒な沢である。当会では以前に何回か遡行・下降しており「五頭山塊の沢」として遡行図が確りと残っている。会の活動メンバーも入れ替わっており、遡行経験者の伝授とゆう意味合いも含めてこの沢の遡行を決めた。
当日は天候だけが心配だった。幸い天候の谷間に入り降雨の心配はなかった。でも前日の降雨のせいか水量が多く少しレベルの高い遡行となった。最初は松平山への登山道を行く、エノクラ沢を過ぎると次第に夏草に覆われ背丈程の草を掻き分けてやつと堰堤上に出る。ここまで来るのに一汗掻いてしまう。
沢はサラサラと水流が流れ気持ちが良い。遡行開始すぐにヘツリや腰までの水量で大荒川の洗礼を受ける。今回は水量が多く普段簡単に行く所も注意が必要だった。小倉出合で一休み後、先へ進む。今日は行程が長い、時間短縮で行動しなければならない。殆ど遡行図通りの進展で進むが、水量が多く巻いた滝もあった。
淡々と遡行を続け確実に行程をこなしていく。今回は夏合宿へ向けての沢トレーニングも兼ねている。パーティには長年の経験から自分たちなりの暗黙の了解やチームワークが存在している。今回初めての人もいるのでそれらの確認もしたかった。少人数の場合と違い、人数が多い場合は人数点呼を頻繁に行なわなければならない。特に巻きの始めと終わり、支沢の出合、藪での行動方向を変える時、登山道に出た時など要注意である。沢の中ではぐれると探しだすのは至難の業である。たとえ時間が掛かってもおろそかにしてはいけない大切なことである、また先に登った者、降りた者が後続者に的確に指示を出してほしい。場合によってはお助け紐も積極的に活用しメンバー交代しながら補佐し、時間短縮を図りたい。これらの行動がお互いへの思い遣りや理解に繋がり、より強力なパーティとなっていく。
小ヤゲン(薬研)はやはり水量が多く泳いだ末、両手両足のツッパリで一人ひとりロープ確保で上った。遣り甲斐は十分である。確保者も良い勉強になったはず。すぐに大ヤゲン入り口となる。水量が多く狭い落ち口から噴出す様に滝水があふれ出ている。風間氏がずぶ濡れになりながらも空身で登り、拍手、拍手。大ヤゲンの奥へと偵察に行ったが「大きな滝が少なくても2つ見える。登るのは無理。」と報告された。右岸の石の滞積したヒドから尾根へと巻くことにした。以前も同じルートを取っているが、落石の危険が大きいので偵察の後、一人ひとり注意深く登ってもらった。かなりの時間が掛かったが、たとえ時間が掛かってもここは慎重に行動しなければいけない場面である。
大ヤゲンの巻きは以前も通ったルートなので不安は無い。右下の沢からはゴーゴーと大きな滝音がこだましている。この滝音をやり過ごすまで藪尾根を進まねばならない。思った以上に藪が濃く「最後の難所」と励ましながら進み、沢を探るように藪尾根を斜めにトラバースして小沢から沢床に無事降りた。
大荒川全体を見ると、全体の滝の形状は変わっていないのだが、所々あった綺麗な沢床が今回は見当たらず、落石で少し荒れた感じに感じられた。
18mの大滝で一服とする。今回最大の大滝である。カメラにも全容が入らない「すごいね」と言いながらも「「ここをどうやって登るのだろう」とメンバーは少し不安そう。初めての人はかなり悩む所ではある。ここは経験者の助言が生きる。トップに指示するとスルスルと草に隠れた岩場から藪へと巻いていった。分かってしまえば、見た目よりも簡単である。
滝をこなしながら権四郎沢を越え、最後の詰めへと進むが、この沢は最後まで実に長い。今回は急藪を経て早めに縦走路に出た。その分松平山への登山道歩きが長くなったが、「沢筋を歩くか、登山道を歩くか」の違いでしかなく苦労は一緒のようであるが、登山道の方が歩きやすい分少し楽かも知れない。
松平山手前で出迎えのメンバーがスイカを沢で冷やしながら焚き火をして待っていてくれた。随分待っていてくれたことになる。
松平山頂でよく冷えたスイカとビールで確りと乾杯した。目標を無事達成した面々の顔は明るく遣り遂げた充実感がひしひしと伝わってきた。無事終わって一番ホッとしたのはリーダーだった。松平山まで9時間。この人数では早い方である。やはり長かった。でも十分に満足の行く遡行だった。
平成17年7月23日(土)~24日(日) 曇り 参加者19名 別働2名
23日(土)
新潟6:00=大白川郷9:20=大白川キャンプ場13:20
24日(日)
登山口5:40~白山室堂10:00ー下山開始12:00~登山口15:25
●23日(土)
新潟、朝6時少し過ぎに、総勢19名が車3台に分乗して出発した。白川で一般国道に入り、世界遺産の白川郷に向かった。白川郷では各自自由に散策をし、昼食を取った。
12時30分、大白川キャンプ場に向かい、大白川沿いの林道を走り1時間弱で着いた。
広い林の中にテント場が散在し、隣の人への配慮の心配が無かった。テント設営後、早い夕餉の準備に入った。準備中にビールの毒見が始まり、催促されてリーダーの乾杯音頭で宴会に入った。女性10名、男性9名の宴は和やかで、次から次へと歌も続き、陽の暮れる迄続いた。ロウソクの明かりでも盛り上がっていたが、三々五々にテントに入り静かになった。
●24日(日)
テント撤収後、登山口の駐車場に向かった。駐車場には前日山小屋泊り組を含めて、もう20台程の車があり、登山準備中の人も散見された。
加賀白山は非常に多くの登山者の登る山と聞いていたが、このコースは登山者が少なく静かな入山だった。
登山道はブナの林から特徴のある枝を張ったダケカンバの林となり、森林限界を越えてナナカマドなどの低木の雑木林から草原になった。低木の雑木林から草原にかけてニッコウキスゲ、バイケイソウ、クロユリ、ハクサンコザクラなど30種の花々が咲き誇っていた。
室堂にはまだ新しい700名以上が泊れる大きな山小屋があった。室堂から加賀白山を往復した。高度差200m強の登山道は石畳が整備され広くて歩き良かった。道の両側にお花畑が続き、クルマユリ、イワキキョウ、クロユリ、ハクサンイチゲ、ハクサンコザクラ、シナノキンバイなどが満開だった。生憎、山頂は霧か雲の中で視界は少なかった。高度2700Mで酸素が少ないのか、足が重たかった。
山小屋前では別ルートで登ってきた二名と無事合流し、差し入れのビールで豪勢な昼食の宴に入った。
12時00分下山開始。登山口15時25分着。下りはトップと少し差がついたが、19名が一つの団体で行動出来た楽しい山行だった。とにかく花の種類の多いコースで、これだけの花々を一度に堪能できとてもラッキーな山行になった。
平成17年7月3日 晴れ 参加者 5名
魚止め駐車場8:00~登山道9:40~エノクラ沢出合9:45~遡行~尾根登山道12:20
五頭キャンプ場の先の「魚止め駐車場」の沢が大荒川であり、山葵山や松平山への登山道分岐を沢に沿って進んだ最初の左沢が「エノクラ沢」です。
「ニノ倉沢」とも一部で呼ばれていますが、当会では「エノクラ沢」と呼んでいます。
以前、「五頭山塊の沢」の編集のため五頭山塊の沢名を全部調べなおした事がありました。藤島玄氏著の「越後の山旅」の五頭山塊の概念図がニノ倉沢と記載されており、この名前が一部で流通しているようです。ただ本文中にはエノ倉沢と記載されています。「越後の山旅」の五頭山塊の概念図はピエロの会の三富一弥氏、佐藤俊彦氏の調査資料を元に作成されたようです。両氏の資料でもエノ倉沢と報告されています。
以上の事から当会では「ニノ倉沢」は「エノ倉沢」の誤植と考えています。
当日は梅雨の谷間に上手く挟まり心配した雨の心配は無かった。思ったより参加者が少なかったので、この時とばかりに大荒川の「魚止めの滝」の上流の調査も実施する事にした。実は、普段は登山道を行くので「魚止めの滝」から「エノクラ沢」の出合までの遡行記録が無いのである。
橋を渡らず遡行に入る。まず5mを巻くが、直ぐに4mが現れ一緒に巻く。梅雨時で大荒川本流の水量が多く流れも強い。細いゴルジュでは足が流れに負けて流されそうになる。さすがに大荒川本流で、場所によっては腰以上の水深があり釜も良く発達していた。2、3の滝を超え大釜を一っ巻き、釜付きの3mを巻きに入ったらさらに先に、くの字に曲がった8mの滝が現れゴウゴウと泡だった水流を吐き出していた。巻いたら登山道に出てしまった。「ワサビ沢」の直ぐ手前だった。今回はここで諦め、素直に登山道から「エノクラ沢」の出合へ進んだ。残りの調査は次回に実施したい。
「エノクラ沢」遡行は会では3回目である。以前遡行したのは8年前と2年前である。8年前に作成した遡行図とはかなり印象が変わっていた。2、3mの滝が変化するのは当然であるが。印象深かった滝がことごとく変わっていた。以前はてこずった滝が流木などで簡単に登れ、樹木利用で簡単にのばれた所が難しくなっていた。ナメ床なども崩壊していた。気をつけて観察しないと同じ沢とは思えない程、滝の印象が変わっていた。
「ニ年前に来た時より沢が落ちついて、感じがよくなった」とメンバーは感想を述べていた。これだけ印象が変化すると、8年前に作成した遡行図は完全に書き直す必要を感じた。
やはり、沢登りは楽しい。途中で食べたスイカはおいしかった。このスカイを提供してくれたメンバーは、黙ってスイカの皮を集めてザックにしまっていた。こおゆう、さりげない行動が嬉しい。できる所から環境に考慮した山登りも考えていきたい。
平成17年6月26日(日) 晴れ 参加者21名 別働 2名
スキー場9:20~ゲレンデ上部11:14~小池11:50~山頂12:36-下山14:00~ゲレンデ上部15:10~スキー場16:20
能生町の山である。シャルマン火打スキー場から地元の人達が3年前に登山道を作った。春先は山スキーで入る人が増えたか゜その分、遭難騒ぎも見うけられる。見晴らしが利けば火打山が目前に望める。
権現岳の麓の柵口温泉を過ぎ、シャルマン火打スキー場ヘ向かう。この日はスキー場の駐車場でバイクのレースが開催されており、車は少し下の広い道路脇に駐車した。準備をしてからバイクレースを横目にリフト乗り場へと進む。リフトは営業しているはずも無く。予定通りゲレンデの管理道路を行く。管理道路はゲレンデを大きく左右におり返しながらゲレンデ上部へと続いている。ゲレンデを直登も考えたが所々草に覆われ斜面も急である。「急がば回れ」と管理道路をひたすら歩いた。右に権現岳が大きく望めた。ゲレンデ上部へは標高差500M程なのだが、この日は気温も高く風も無い。コンクリートの管理道路は照り返しも強く、日差を遮る物も無く、思った以上に大変だった。こんな日は熱射病、や脱水症状に気をつれなければならないが、当会では講習会でこれらの勉強会もしているので助かる。
ゲレンデ上部は風が抜け、熱射地獄から開放された。今日は天気は良いのだが、遠くの山並みは霞がかかったように展望が利かない。気を取り直して新しく切り開かれた登山道に進んだ。登山道は一本道で迷う所も無い。木立が陰を作ってくれて先ほどの強い日差は無い。やっと登山らしくなってほっとした。少し進むと大池が尾根の右下に見えた。大池には周回道がついているが帰りに寄る事にして先へ進んだ。小池と呼ばれる小さな池には真白なソフトホールを楕円形にしたような形のゼリー状の物体がプカプカと沢山浮かんでいた。サンショウウオの玉子らしい。自然豊かな所だ。
登山道には食べごろの筍もニヨキニョキ生えていた。今回はリーダ命令で熊避けの鈴をカラカラいわせながら歩いている。熊の生息地に我々がお邪魔しているのだ。道々にはツバメオモト、サンカヨウ、が咲きイワカガミが遅い春を謳歌していた。山頂直下にサクラソウが一株だけクッキリと咲いていた。
山頂は三角点を中心に円く刈られ全員がようやく座れるスペースがあった。残念ながら火打山への展望はえられなかった。ただ刈り開かれた道に沿って進んでみるとミズバショウの群生地が花を見頃に咲き誇っていた。回りにはシラネアオイの花々も咲いていた。雑木林の中でひっそりと咲く花々は可憐で清楚だ。この場面に出合えただけで十分に満足の放山となった。
23名の昼食会は賑やかで、自然の濃い放山にそれぞれ満足していた。帰路に大池の一周コースを巡ったが、まだ今年の整備が入って無く、雪解け直ぐのたたずまいだった。ここにもミズバショウの群生を見られた。ザゼンソウも咲いていた。
7月には地元の人達が整備に入るという。放山や大池は安全で自然豊かな良いハイキングコースだと思う。ただゲレンデ歩きは大変かも知れない。ハイキング用にリフトが運行されれば楽なのだろうが、その事が放山にとって良い事なのか、悪い事なのか、開発と自保護の難しさを考えながらゲレンデを下山した。
柵口温泉で汗を流して帰路についた。
平成17年6月4日(土)~5日(日) 参加者 15名
七時雨山とは、何と詩的な素晴らしい山名を持つ山なんだろう。山の名は天候変化が激しく一日に七編も雨が降ることからついたという。我々も七時雨山山荘到着の夕方から一晩中激しい雨に歓迎された。
いつ雨が降り出すか知れない天気の中、出発。露に洗われた緑の草原は広大で美しかった。その中を真っ直ぐに山道はゆるい勾配で突き抜けて行く。風が心地良く流れて行く。緑に風が渡る。なんともいえない空気だ。降り返る田代山ものどかな稜線で浮いている。どこかで重い鳴き声で牛が鳴く。緑の草原にタンポポの黄色が鮮やかだった。
三合目から疎林に入る。この疎林もニ次林の整った白樺とクヌギなどの美林で気持良い。少しばかりの急登になってシラネアオイが咲いていた。道の両側の足元にはマイズル草が続いていた。ここは緑の草原の山、風と緑の山、牧歌的雰囲気が特徴の山である。合目合目の看板に励まされて登る。早朝の山は我々だけである。
二時間半で一等三角点のある七時雨山北峰に着いた。残念ながら期待したパノラマ展望は望めなかったが、雨に合わずに登れよかった。
大鍋を囲んで話しも弾む。下山はのんびりとワラビやタケノコを採りながら下った。20数頭の牛に道を塞がれ、オッカナ、ビックリ脇を通りすぎてきた。11時半には山荘に戻った。
新安比温泉の薬湯につかり、昼食後に一路、高速へ。途中の車窓からは、天候晴れて白い春雲涌かせる岩手山が名山の風格で我々を送ってくれた。約7時間半かけて無事帰新した。
平成17年5月14日(土)~15日(日)
参加者 5名 : 14日、日帰り 4名 15日、日帰り 1名
14日(土) 晴れ
大江ダム6:00~遮断機7:00~登山口10:30~五兵衛小屋跡(泊り場)14:00
15日(日) 曇り・晴れ・雨
五兵衛小屋跡6:50~中ノ又山7:45~五兵衛小屋跡9:55~登山口15:00~遮断機15:3
昨年4月にも同じ計画で実施したが、時間切れでリタイアしている。前回は大江ダムから車道を二時間半あまり歩いたが、今回は計画通り遮断機まで車が入れた。遮断機の前には既に山菜採りの車が20台ほど止まっていた。
今日は天気も良くここまで車が入る事で時間的にも余裕があり精神的にも楽である。30分ほどで登山口に着く。日本平までは所々雪があり踏み跡も分かり難く、時々藪漕ぎとなるが順調に進む。ここで日帰り組の人達と御昼にする。光明山、毛無山、青里山、矢筈岳、駒形山、そして中ノ又山、川内の山々が手に取るように望める。
日帰り組と分かれ目指す五兵衛小屋跡へ向かう。足場の悪い岩のトラバースは南側を慎重に越えた。尾根筋の雪を上手く利用して早い時間に今日の泊り場についた。小屋跡のピークは狭く30m程下の雪の台地に設営した。テント設営、テーブル、トイレと手際良く作られた。正面に中ノ又山をはじめ、毛無山、矢筈岳、浅草岳、守門山塊とロケーションは最高。焚き火を囲んでの豪華な宴会は4時間続いた。山談義に終わりは無かっが、明日のため20時就寝とした。
4時起床、雨とガスで何も見えない。明るくなるにつれ中ノ又山も姿を現してきた。尾根上には踏み跡もあり、雪も利用できてペースも上がる。神楽岩は南側を巻き、岩の上から隙間のある雪渓に飛び降りて通過した。帰路は左の潅木を使った。痩せ尾根であるが踏み跡も確りしており、雪を使って県境尾根となる。ここからは会津の山々を眺めながらのブナ林と残雪の稜線漫歩である。ブナ林を超え雪原を登れば山頂である。三角点を囲んで記念写真を撮る。2年がかりの山頂はヒトシオである。名残惜しいが下山した。下山は早い。泊り場で日帰りメンバーの差入れで乾杯した。日本平からは本格的な雨となった。
日帰りメンバーの支援に励まされて2年がかりで余裕の登頂を果たすことができた。
平成17年4月23日(土)~24日(日) 晴れ 参加者30名
23日(土) 小佐渡の山 「米山」
24日(日) 大佐度山脈 「夏雪山」
ランタン会では恒例となっている佐渡の山旅今回で15回目である。佐渡の山としては「金北山」「ドンデン山」「金剛山」などが有名である。それぞれ春先の花は最高である。でも佐渡の山はこれだけではない。会ではあまり人の行かないヒッソリとしたを訪れたい。幸いにも地元の精通者が毎回案内役をかって出てくれ、とても感謝している。
23日(土) 小佐渡の山 「米山」
午後からの軽いハイキングの手頃な山として選んだ。場所は両津の加茂湖の南、久知川ダムの上の山である。信仰の対象になっている山で山頂にはお堂が建つ。米山の名のいわれは、茶碗にご飯を盛った形のようなぽっこりと独立しているところからという。私達は二万五千分の一地図に載っている破線路の道で登った。登ってみるとマイクロバスを降りた所からまだずっと林道が延びていて、殆どの参拝者はそこから登るようである。どうりで地図の道が荒れてしまっていたと思った。それでも登山者の端くれであるのだからこの
荒れた道を選んで登れたことをむしろ喜んだ。沢沿いの道は山菜採りに興じる者も多かった。上部に上がると椿の花が美しかった。佐渡の小佐渡の山は椿の美しい山でもある。山里の桜、加茂湖の上の残雪豊富な大佐度山脈の風情ひとしおのものがあった。
山頂の薬師堂の周りには百八体のお地蔵さんに、今朝ほど生けられた水仙などの花がそれぞれ添えられ心温まるものがあった。帰路は新しい参拝道を山菜とりしながら下った。
夜は例年のごとく和やかな大宴会へと突入した。
24日(日) 大佐度山脈 「夏雪山」
山頂はまだ雪に覆われていた。それでも途中で金色に輝く福寿草が群落をなして咲き続き、これほどの群れ続く花の道を見たのは過去の佐渡の山旅でもはじめてであった。(この報告では、あえてはっきりとした場所は示さない事ととした)スミレが多く、ユキワリサウ、エンゴサク、エンレイソウも見ることができた。
絶好の快晴に恵まれて、足弱や年輩の者も多い一行であったが、計画以上にうまく歩けた。山頂直下の大地に大天蓋で30人を収容し、大空に山歌を響かしてお昼の宴も賑やかに楽しんだ。
少し西にある雪稜を伝って行く山頂は、藪の中に四等三角点が測量杭と白い標識杭を脇に頭を出していた。北西は加茂湖を霞ませ、大佐度の白い山脈を眺望できた。
両津ではいつもの名物蕎麦、東京庵で最後の夕食会とした。それぞれに想いを残し、帰新の船の人となった。海と山を堪それぞれ堪能した贅沢な二日間だった。
平成17年4月17日 (日) 晴れ 参加者 16名
岩登りの実地訓練を目的に、毎年この季節に行っている行事である。実際に岩登りをしない人にも普段の山行に役立つようにも心がけている。
カッタン岩は角田山の灯台コースの途中から桜尾根方向に良く見える二つの岩峰である。初級の岩登りには調度良い所である。会では毎年この場所で岩登り講習会を行っている。今年は天気に恵まれヒトリシズカやイカリソウなどの花々が賑やかに咲いていた。「角田山は良い所だな」と改めて思った。
岩場は朝の内は風が強かったが、次第に回復して良い練習日和となった。岩の上からは灯台コースを通過する登山者が良く見え、青い海に白い灯台も良く映えて気分も良い。笹藪では雪割り草やカタクリが人知れず咲いていた。
講習会は個人装備の点検、巻き結びによる登攀、懸垂下降と説明から実地練習へと進めた。一年振りの人もいるので、当たり前の事でも省く事無く説明して行く。うる覚えの技術ほど危険なことは無い。ここで記憶の総点検をしてもらった。
軟斜面にロープを二本セットし一本を登攀、もう一本を懸垂下降として練習した。懸垂下降へ入るまでの手順は慣れないと結構面倒である。でも命にかかわる事なので時間がかかっても確実に実行してもらいたい。
お昼を挟んでトップロープによる登攀と垂直壁での懸垂下降の練習をした。このカッタン岩は管理岩場と違って、ロープの支点取りが難しく何時も苦労させられる。でも、ここでの支点取りのメカニズムを理解する事は大切な勉強となる。
カッタン岩での練習には今回位の人数が調度良く、各自満足の行く研修会になったと思う。今回養ったバランス感覚を普段の山行にも役立てて欲しい。
平成17年4月2日(土)~3日(日) 参加者 7名 日帰り1名
2日 清水集落8:18~鉄塔9:10威守松山11:00-昼食-発11:50~幕営地13:50
3日 幕営地6:50~県境稜線8:16~柄沢山8:52-発8:57~県境稜線分岐9:25~幕営地11:05-昼食-発12:15~1310Mピーク12:50~柄沢川906M地点~林道~清水集落14:33
2日(土)
快晴に近い天候だが気温は低い。雪は硬くしまり歩き良い。ワカンの人、ツボ足の人、とそれぞれである。山を楽しむようにゆっくりと登って行く。杉林を過て送電線の鉄塔までは緩い登りが゛続き、威守松山までは急な登りが続く。威守松山山頂で最初に目に飛び込んでくるのが天狗岩の岩頭と真白な巻機山の勇姿、右に連なる米子頭山、我々が登ろうとしている柄沢山、尖っている大烏帽子山、ジャンクションピーク、朝日岳と見える。その右に清水峠小屋もしっかり確認できた。一際大きく真白に輝く七ツ小屋山、日本のマッタアーホルンと云われる大源太山の岩稜が連なり、遠方には千ノ倉山、平標山、苗場山も見える。360度の素晴らしい風景に圧倒される。
天候に誘われて出てきたのか1頭のカモシカが200m先の尾根上から我々を眺めていた。山頂でお昼とした。日帰りの一名とはここで分かれた。
威守松山から先の痩せ尾根は不安定なのでリーダーはロープを用意していたが、今回は雪が多く安定した雪上歩きができた。
1400M上部の緩い林を今日の幕営地とした。時間的には余裕があったが、柄沢山登頂は明日の楽しみとした。幕営地は1m程掘り下げて丁寧に整地した。大自然の中、誰に遠慮する事無く、テントの中では5時間の懇話会?のあと20時に就寝とした。
3日(日)
5時起床。テントの外は視界0の雲の中だった。視界10~20mkの中を柄沢山へ向かう。県境稜線までは明確な尾根だが、広くなつたり狭くなつたりで全員が離れないように注意して登った。広尾根にルート旗を立てながらGPSの方向指示で適切に進んでいく。県境稜線から無事柄沢山頂。視界はほとんど無い。一本のビールで乾杯。何も見えず、何も無い山頂だったが、我々の胸には成し遂げた喜びでいっぱいだった。それだけで十分である。
クラフトしてた雪もグサグサとなり、一気に幕営地へ下る。幕営地でお昼とする。昼食後1300Mより左の尾根を柄沢川へ下るルートへと進む。
威守松山の下、柄沢川まで雪崩の跡が伸びていた。いたる所で何時雪崩が起きても不思議でない状態が見て取れた。十分に注意して行動した。平場近くになって幾分視界は良くなったが、昨日の天気には及ばなかった。
雪が多く中越地方はまだまだ残雪期の山を楽しめそうだ。次回の山行に夢を馳せて、清水集落を後にした。
平成17年3月27日(日)天候 晴れ 参加者26名
コース 日本海~多宝山~日本海
今回は花々の保護の為、ここではあえて詳しいコース紹介はいたしません。弥彦山塊を日本海から多宝山へ登ったとご理解ください。
ランタン会では毎年この時期に「お花見山行」と称して国上、弥彦、角田の山塊を巡っている。人の行かないようなコースを選び、花々を楽しんできた。大勢の人が歩くと草花にストレスになるので、同じコースは数年間は訪れ無い事にしている。それだけに係りの調査は想像を絶するものがある。「ランタン会はこの地域の山塊をくまなく歩いてきた」といっても過言では無いと思う。
今年は積雪が多い、山の上部半分はまだ雪に覆われていた。花々を愛でるには一週間早い。でも年間計画で動いている会山行は予定を変更することはない。前日の偵察では山麓では花が咲き始めていた。昨日は雪がチラツク悪天候で、当日の天候だけが心配だった。
今回は「海抜0Mから山へ登ろう」と言う趣向でまずは砂浜へと下りる。砂浜には何か小さな円い物がたくさん打上げられていた。「なんだこれ」と手に取るとクルミの実だった。昨日の偵察時には無かったと言う。昨晩の内に打上げられた物らしい。取りきれないほどあり各自お土産にした。帰りに寄ったら近くの公園で遊んでいた家族ずれが拾ったらしく、綺麗になくなっていた。
山へと分け入ると、最初にナツボウズの花が迎えてくれた。カタクリはやっと蕾が出た所でまだまだ早い。頭上にはマンサクの黄色い花が揺れていた。うっかりすると見落しそうなオーレンの花も見られた。進むにつれ南斜面では雪割草も姿を見せ始めていた。まだ寒さに凍えるようにヒッソリと咲いていた。白い花が多いようだ。キクザキイチゲも咲き始めていた。白色、紫色と両方あるようだ。
先頭が尾根を外れてわざと遠回りをする。そこはオーレンの群生地だった。このオーレンの星形の小さな花は写真に取り難い。やはり本物が一番である。雪割草の群生地もあった。まだ完全に花は咲き開いておらず、気温の上がった帰り道に期待する事にした。
宴会場を設営し係りが食事の用意をしている間に、空身で多宝山へと向かった。雪をズブズブと潜らせながらの登りだった。このコースも一般道では無い。多宝山の稜線は多くの人達が行き交っていたが、山頂には小さなテント一つと登山者1名だけがいた。風は冷たく、記念写真の後「地理調査所・天測点」の説明を聞いて早々と下山した。
宴会場では揚げたてのテンプラとトン汁が待っていた。花が咲いてない時のために、係りが「花より団子」とばかりに用意してくれた物だ。カンパイの後、花の宴は続いた。
帰路は同じコースを下った。来る時はまだ咲いてなかった雪割草も色とりどりの花をほころばしてくれていた。一つとして同じ花が無い。寄り添うように大きな株が咲き誇っていたり、葉っぱの陰から一輪、二輪と星屑のように咲いている所もある。素晴らしい。今日はこの場所を見られただけで満足である。カメラのフイルムは何本あっても足りなかった。花々を踏み荒らす事無く、静かに感動した。もう何年かわ、この場所には来ないだろう。それまで元気で、また会える時を楽しみにしよう。大きな満足をお土産にこの場所を後にした。
平成17年3月19日(土)~20日(日) 参加者14名
19日 6:00 新潟=7:20 棒目貫~7:50 発―8:45 峠~9:00 発―9:28 尾根取り付き ~ 9:42 発―11:29 井戸小屋山下―11:38 井戸小屋山~11:43発―11:46井戸小屋山下~12:06 発―13:32 860m標高窪地 (テント泊)
20日 7:20 860m標高窪地―8:51 県境分岐―9:28 鍋倉山~9:48 発―10:05 県境分岐―10:57 860m標高窪地~12:07 発―13:08 井戸小屋山下~13:18 発―14:27 尾根取り付き~14:47 発―15:08 峠~15:13 発―15:46 棒目貫=18:00 新潟
鍋倉山は会越県境の山で、に御神楽岳に尾根は続いている。道の無い山で、訪れる人がほとんど無い山である。当初の計画では御神楽岳までの縦走も検討されたが、雪の状態から今回は上川村の棒目貫から井戸小屋山経由で一泊の鍋倉山往復山行とした。
19日(土)
棒目貫の佐藤さん宅前から林道歩きでスタート。大荷物を担いでのラッセルはやはりキツカッタ。風が強く天候は厳冬期のようだった。井戸小屋山下のトラバース地点から空身で井戸小屋山山頂を往復した。山頂は雪に覆われており、西側に雪庇が張りだし、雪の無い時よりも狭くなっていた。去年の10月会山行以来である。冬にこの山に登った人はそう居ないだろう。雪も激しくなってきたので記念写真だけで下山した。
尾根を行くが、痩せ尾根では右の潅木帯を通過する。雪が張り出した所ではスコップで崩したり、足場の悪い所ではお助け紐も使用した。900M小ピークからはブナ林の広がる穏やかな斜面になった。風が強いため計画より手前のすり鉢状の窪地をとした。
幕営地では雪風ともに弱くなり、雪原を整地しジャンボテント二張りと5人用を一張り設営した。風よけのブロックを積み、トイレも作った。楽しい団欒が始まった。気温が下がっていたが火気を焚いたテントは快適である。酒も料理もたっぷりとある。幕営地の整備とテント宴会は、他の会には決して負けないランタン会だった。おおいに語り、おおいに呑んだ、それぞれの山への想いを枕に寝袋へと潜りこんだ。日没と共に顔を出した半月や、星々は輝きを増していった。月明かりのブナ林は静かにふけていった。明日の好天を約束するかのように。
20日(日)
放射冷却で冷えこんだ。テントの外はモルゲンロートでブナ林がピンクに染まっていた。空はコバルトブルー、快晴の朝を迎える。
美しいブナ林を抜けていくと、朝日に輝く鍋倉山山頂が姿を現した。所々クラフトしてたが快調な登りが続いた。進むにつれ、その場その場で最良のコースを判断しなければならない場面も多くなっていく。雪庇、急斜面、クラフト、トラバース、とそう簡単にはは登頂させてくれないようである。山頂に近づくと尾根も広がり、急登の先が鍋倉山山頂だった。積雪は5m以上、背の高い木が総て雪の下になっていた。遠く飯豊連峰が望め、会津の山々も望めた。少し下ると御神楽岳が純白に輝いていた。縦走路を目で追ってみる。「行けるか?長いぞ、時期を選べば笠倉山近くで一泊で可能か?」気持は既に次の計画へと羽ばたいていた。
下山は皆早い。登りで苦労した場所も雪が柔らかくなっており、難なく通過した。幕営地でお昼にした。雪のテーブルに沢山のご馳走が並んだ。
昨日のトレースは硬くしまりつぼ足でも歩けた。順調に下山した。ただ最後の林道歩きは疲れた体には長く感じられた。
昨日、今日と冬山と春山を日替わりで味わった。何回も偵察を重ね、リーダーは大変だったと思う。でも、その分素晴らしい山行になった。御神楽岳への縦走の夢がまた一歩近づいた。夢があっての山登りである。
平成17年3月6日(日) 晴れ 参加者 三角点まで 7名 湯蔵山まで 14名 計21名
新潟5:30=関川村・畜産団地発7:30~356Mピーク8:35-発8:45~三角点10:00~元光兎山11:30-発11:40~湯蔵山12:15-発12:25~元光兎山12:50
-発13:50~三角点14:40-発14:55~下山口16:30~登山口看板16:40
今回の会山行は「三角点」までのゆったりコースと「湯蔵山」までのロングコースの二本立てで実施された。ロングコースに合わせて出発は早くした。
荒川を渡り関川村の松平畜産団地に車を留める。「三角点」へは何通りかの登山道があるが、今回は畜産団地の一番西側の登山道から入山した。入山口の道路には「三角点」の登山標識が立っていた。ワカンとストックで出発した。松林から杉林とダラダラと進み尾根に上がる。ここには大きな赤松と営林署の看板があった。ここからは何回かのアップダウンをへて、ブナ林の緩やかな尾根へと進む。ブナの林はゆったりとして気持良い。今日は天気が良い。真白の雪原をトップでラッセルするのは気持良い。ウサギの足跡もいたる所に見られ、ウサギ達も春が待ち遠しいようである。大人数のラッセル交代で、533ピークから三角点へと進む。三角点からは東に我々が目指す元光兎山、その直ぐ右に湯蔵山がまだまだ遠くに見える。三角点には長居はしなかった。今回は先が長い、三角点に残るメンバーに別れを告げて先へ先へと慌しくラッセルを進めた。
三角点からは藪が少しうるさい。はっきりした尾根ではないので、藪枝を避けながら右に左にと迂回しながら進む。いくつかの円いピークを超え、アップダウンを繰り返す。今日は天気が良く視界が利くので良いが、視界の悪い時のルート判断は難しいと思う。元光兎山まではそれほど高度差は無いのだが距離が長い。前方左手に真っ白な三角形の頂きだけが藪尾根からチョコンと覗いている。光兎山だ。そこだけ取って付けようだ。この真っ白な三角形が進むにつれ大きく成長していく。雪が重くラッセルでの登り下りの繰り返しはきつい。小さな雪庇を飛び降りる場面もあった。メンバーは段々と無口になって行くが、先頭の足取りは衰えない。何かに取りつかれたように先へと進む。「今日は絶好のチュンス、このチャンスを生かすのだ。」とゆう思いがパーティーの間に暗黙の内に広がっていった。
元光兎山は思ったよりも早く着いた。雪に覆われた広い山頂は、目の前に光兎山・頭巾山の稜線を惜しげも無く展開させていた。後ろに眼をやれば飯豊連峰がその姿を誇るように鎮座している。いい所だ。だが感動に浸っている暇は無い。「必要な荷物だけで持って希望者だけで湯蔵山へ行く」とリーダーか告げる。早速準備に入る。結局、全員が湯蔵山へと向かった。
元光兎山から湯蔵山へは100m程下り、120m程登り返さなければならない。それもかなりの急斜面である。もちろん帰路も同じ行程をたどる。意を決して転げ落ちるように鞍部へと下った。重い足を引きずりながら、やっと登り着いた湯蔵山は静かにたたずんでいた。元光兎山よりもコヂンマリとした山頂で、藪に覆われて展望も悪い。でも、ここに立つために頑張って来た。我々にとっては最高の山頂だ。藪から覗く頭巾山もヒトシオである。感動の湯蔵山となった。帰路も長い、記念写真だけで早々に元光兎山に戻った。
元光兎山では担いできた天蓋も張らず、雪面に椅子とテーブルだけで昼食にした。とにかく眺めの良い所だ。名残惜しいが一時間で撤収した。大きな達成感を胸に足取りも軽く、三角点までは思ったよりも早く着いた。待ちわびている三角点組と合流する。登頂地点は異なるが、満足感は同じである。ここからの下山は安心したせいか、特に長く感じられた。
最後の下山ルートは地図とGPSの勉強の為、来た時とは別ルートの左尾根に進めた。途中、広尾根もあり分かりずらく、良い勉強会になった。予定通り「ナツシヤ沢」の看板の所にドンピシャに着いた。総て計画とおりの山行だった。
湯蔵山へは長かった、いっぱい歩いた、その分得た達成感も大きかった。入念な計画、メンバーの協力、雪の状態、天候、そして山への想い。これら総てが揃って、初めて登頂のチャンスがある。総てに感謝、ありがとうランタン会。
平成17年2月27日(日)曇り 参加者 12名
林道堰堤工事場8:00~山頂9:50-発10:15~山頂下鞍部11:30-設営後昼食-発12:40~林道堰堤工事場14:10
「竹ノ倉山」と言って直ぐ分かる人は少ないと思う。「日出谷」方面の山で棒掛山の隣りの山である。棒掛山に登ると「次は隣りのあの山」と登山意欲をそそる山である。道は無い。
水沢集落によって区長さんに挨拶してから林道へと車を進める。偵察時に林道が堰堤工事現場まで除雪されていることがわかっていた。林道歩きが無くこれでかなり時間が短縮された。
工事現場に車を留めさせてもらい、さらに林道を進む。新雪が10cm程積っていた。少しの林道歩きから、急斜面をへて杉林へと分け入っていく。しばらく杉林を行くが途中からルートを北に切り直し藪尾根に乗る。登るにつれ藪の間から竹ノ倉山山頂が姿を現してくる。正面は屏風を立てたような急斜面、尾根伝いに右の肩の鞍部へとルートを進める。黙々と進み雑木林の鞍部についた。ここで2回目の休息とする。
ここからが姫小松(五葉松)の急尾根になる。鞍部から見るとせり上がって見えるが、実際に登ってみるとそれ程でもない。ただ雪の下は岩らしく時々空洞にワカンがはまり、足を抜くのに苦労させられる。登るにつれ急登になり風も強くなってくる。
急な尾根を登りきると突然、左斜面が開ける。棒掛山方面が望めるはずだったが残念ながらガスで背後の棒掛山は良く見えなかった。大きく真っ白な雄大な斜面を左に抱えながら、右の潅木帯をコソコソと登った。山頂はもう直ぐである。
稜線は雪庇が大きく張りだしていた。山頂には夫婦連れが2人いた。実はこの2人は会の岳友で、泊りで大段山を目指したが中止して駆け付けてくれたのであった。
竹ノ倉山山頂は横に長くどこが山頂点か分かりづらい。こうゆう時はGPSは便利である。視界は今一つだが目の前に大段山が大きく横たわり、遠くには三角の兎ヶ倉山も望めた。目の前棒掛山山頂は相変わらずガスの中だった。去年の今頃はあのガスの中に居たと思うと想いもヒトシオである。
御昼は来るとき休憩した鞍部まで下がった。雪面に12人が入るイスとテーブルを掘り下げ、その上に防水シートをかぶせた。ガスを焚くと十分に暖かかった。
下山は同じルートではなく、293ピーク経由で直接車に戻る尾根を行く事にした。地図読みの勉強をしながら下ったが、293ピークでリーダー達はピークを巻いて下っていった。何人かが293ピークを確認してから合流するつもりが、なぜか下り始めたら合流できず別行動になってしまった。本来、集団行動が原則の山の会でリーダーの許可無く別行動は許されない。勝手な行動がパーティー全体に危害を及ぼす事もある。リーダーは細心の注意払いながらパーティー全体を把握している。たとえ低山で突発的な出来事と言えでも注意してほしい。
何事もなかったように駐車場で全員が合流した。今日のリーダーは大変人間のできた人で必要以上の注意はなかった。立派なリーダーである。(たぶん)
リーダー達の入念な偵察のおかげで今日も楽しい一日を過ごすことができた。短いながらも変化に富んだルートだった。期せずして林道に車が入り時間短縮ができた。ランタン会としては珍しく、早々の帰宅となった。帰りの車窓からは、今まで見えなかった真っ白な棒掛山が姿を現せてくれた。まるで別れを惜しむかのように。
「また来るよ。」と別れを告げた。
<別ルートで下山したグループの談>
リーダーには結果として大変申し訳なかった。GPSで293ピークを確認したかった。確認したら直ぐに合流するつもりだった。下山口て極端に右へルートを取れば良かったのだろうが、歩き易い所を下るうちに、気が付いたらリーダー達との間にヒドが入ってしまった。この地点で登り返すのは無理と判断した。リーダーの声が聞こえたので「別行動で下る」と告げ行動した。問題無く下山できるとも判断した。現場は地図で見るよりも地形は複雑で最後まで合流できず、完全に別行動になってしまった。おかげで大変勉強にはなった。ありがとうございました。
ただ、全員がこのような行動を取ったら会は崩壊する。反省してます。
平成17年2月11日(金)~12日(土)
参加者13名 日帰り 11日(金)4名 別動1名 12日(土)4名 総計22名
11日 福田石材7:50~林道終点9:20~不動堂山手前10:25-発10:45
~風越山12:40-発13:00~三五郎直前幕営地14:20
12日 幕営地7:00~菅名岳8:25-発8:35~鳴沢峰9:50-10:00~第3鉄塔12:00
~第2鉄塔12:30-発13:00~グランドホテル14:30
ランタン会では毎年この時期に冬山入門と指導者研修のために「冬山教室」と名打って山行を行っている。新潟近郊で交通の便が良く、適度に支尾根のある五頭山塊や菅名山塊が会場に良く選ばれてきた。今回は若手リーダーの元、菅名山塊での開催である。
11日(金) 晴れのち雪
まずまずの天候17名の賑やかな林道ラッセルが始まった。不動沢沿いの林道を1.5km進み、急尾根登りで不動堂山分岐へ出る。不動堂山頂へは4名が往復した。日帰りの2名と分かれ風越山へと進む。GPSの誘導で標高差100mを下り。風越山へ。日帰りの2名はここで戻っていった。
平行する大蔵への尾根に人影を見とめる。兎平分岐を過ぎてから横殴りの吹雪となる。風も強く、視界も悪く、菅名岳への稜線に出てから時間も14時となり、幕営地探しに入る。三五郎山直前の風の避けられる場所で幕営に入り、3名が明日のため偵察に出る。15時半にはテントで乾杯、21時には就寝した。
12日(土) 雪のち曇り
4時起床。20cmの積雪があった。視界は昨日よりも悪い。周辺の山並み、近くの支尾根など一切見えない。7時前に撤収完了。時間厳守の冬山教室である。ピーク毎に支尾根が入る。GPSでコース修正して進む。細尾根を過ぎ、ブナ林に入る。稜線が大きく90度カーブする所は無難に通過。菅名岳へは一本尾根のようだが微妙にコースが変わり難しい。
菅名岳山頂の鐘が80cm程出ていたが凍りついて鳴らない。記念写真だけでコースを慎重とつて鳴沢峰へと進む。風が強く顔がビリビリする。記憶にあるコースとまったく別の様子に見え不安になるが、GPSを見るとルートどうりで安心する。積雪による変化の激しさに改めて驚く。
時間的には余裕があったが、吹雪のなか鳴沢峰は早々に下山した。心配した急斜面は表面がバリバリに凍りワカンの爪が効き助かった。念の為補助ロープは設置した。
第4鉄塔を過ぎた頃から日がさし、眼下の阿賀野川が望め気持も楽になる。下山につれ青空が見え五頭山塊もくっきりと見えてきた。お迎え組とも無事合流して冬山教室は修了した。
今回は、視界が悪く風雪ありでコースにも変化があり、良い冬山教室になった。何度かルート間違いもしたが、GPSの確認ですぐに修正され、若手リーダ達も良い経験になったと思う。これからの益々の活躍を期待したい。
平成17年1月23日(日) 参加者13名
2月予定の冬山教室、菅名山塊縦走の下山口偵察をかねての山行である。咲花温泉から送電鉄塔尾根経由で登って行く。咲花温泉口は冬場は車の駐車場所が無くいつも苦労する。邪魔にならないようにホテルに断って車を留めた。
当日は薄日の射す先ず先ずの天気だった。ホテル駐車場から首戸沢に沿って800m程杉林の中を進む。送電線の下首戸沢の右岸に小さな鳴沢峰登山口の標柱があり、送電線巡視路が登山道と兼用になっている。60~70mの急登をワサワサと登り、最初の鉄塔の下にでた。45分程を要した。
小休止と共にワカンを着けた。鉄塔の側に鳴沢峰登山口の標柱があり、ここからは北北東方向の尾根歩きになる。すぐ上に2番目の鉄塔で、ここからは視界が開け対岸の五頭山塊の眺望が素晴らしい。。
平成15年1月会山行の五頭山塊宝珠山への長尾根が目で追える。その奥中央に野須張峰が白く輝く。このノスバリ峰は縦走路の途中のピークで地味な山であるが「野須張の頭」「野須張山」「虚空蔵山」と呼び名が多いヨクバリな山でもある。
尾根は50~60㎝の積雪で、気温が低く硬くて歩き良い。ラッセルも苦にならず、新雪10㎝程を踏み固めての登りが続く。五泉市と三川村の境界尾根に乗る450Mから30m程の登り、570Mあたり尾根の合流点への20m程が腹を登るような感じだ。650Mで尾根の合流点があり、下りは注意を要した。 340Mの少し上、680Mと送電線鉄塔毎に休みをとり、11時半近く、鳴沢峰山頂に着いた。
鳴沢峰山頂は赤いポールが出ていた。山頂の樹木はエビの尻尾をまとって我々を迎えてくれた。あまりの自然美にしばし見とれた。素晴らしい。我々の他に登山者は無く、今日の鳴沢峰はランタン会の貸切状態だった。
山頂は360度見渡せて視界も良い。早速、地図を広げてワイワイガヤガヤと賑やかに山名確認を皆で楽しんだ。目の前の五頭山塊から右奥に二王子岳、隣に近く蒜場山、西には棒掛山などが白く輝いて美しい。南に菅名岳が近く、山頂には人影が10名程動くのが確認出来た。
菅名岳へ数名が偵察に行き、残りは大天蓋の設営を始めた。雪のテーブルが出来、大天蓋が張られる。楽しみな山頂宴会がリーダーの乾杯の音頭で始った。相変わらずのランタン会だった。
14時大天蓋撤収完了後、眼下の咲花温泉へ向けて下山開始。2時間弱で下山した。
平成17年1月1日(土)~3日(月)
参加者 1日~3日 11名
1日~2日 3名
2日 2名
3日 6名 計22名
1日 赤倉駐車場8:15~ 尾根取り付き10:20~幕営地14:30
2日 起床4:10~幕営地出発7:00~前山7:20~天狗平9:00~2,250m岩場12:00 ~撤退14:00~幕営地16:00
3日 起床4:00~幕営地発5:40~天狗平6:25~妙高山山頂8:40-発9:30~天狗平10:30~幕営地11:15-発11:50~出迎え隊合流12:40
ランタン会の正月合宿は今まで殆どが飯豊連峰である。以前から妙高冬山合宿妙の計画話は出ていたが実現しなかった。今回は気分を変えて妙高になった。
飯豊と妙高では雪質が違う。飯豊の重い雪と違いサラサラ雪でゴンドラリフト利用の楽な山行を夢見ていたが、大きく予想をくつがえしてくれた。妙高山は厳しくもあたたかく、我々に試験と感動を用意してくれていた。
<1月1日>
去年の暮は雪が少なく正月は小雪登山と思っていた。31日にドカ雪となり、パウダースノーの胸まである新雪ラッセルは「あり地獄」のようだった。ザックを置いての空身ラッセルでも全く高度が上がらず、14人の交代ラッセルでも400m上がるのに約4時間かかっている。当初の予定よりも下部での幕営となった。サラサラ雪はテント内に雪を持ち込まずにすむ。用意したご馳走を前に、明日の健闘を祝って乾杯した。
<1月2日>
4時起床。さほどの降雪も無く、テントを掘り返さなくても良かった。でも、昨日の前山までのルート偵察のトレースは跡形もなく消えていた。
空身とはいえ昨日のラッセルと全く変わらない。前山山頂のすぐ下が崖になっており足場が悪い。女性3人はここで引き返し、テント場の整備にあたってくれた。ここからは地図では判断できないやせ尾根が天狗平まで続く。
天狗平は広々としていた。新雪の量は相変わらず多く、胸までのラッセルが続く。藪もありなかなか高度が上がらない。風が無いだけでも有り難く思わなければならない。高度2000mを越えてもこんなにきついラッセルを誰も考えていなかった。楽に山頂を踏めると考えていた。昨日と同じく100m登るのに一時間を要する。
妙高山が目の前に迫ってくる。それにつれ時間も段々と無くなってくる。今日、下山予定の3人は11時過ぎに下山していった。我々は14時まで行動する事に決める。2250mの岩場で夏道を見失う。偵察、ルート工作に2時間を費やし、登頂の目途をつけ山頂を目の前にして撤退する。明日の再度アタックを誓う。
テントの中で明日の再アタックをメンバーに告げる。今日、昨日の予想以上のラッセルで皆疲れている。リーダーから再アタックの条件が示される。…今晩降雪が無い事。トレースが使える事。さして天候が晴れる事。体調の優れない人は残る事。…期待と不安を胸に秘めシュラフに潜り込んだ。
<1月3日>
4時起床。5時半出発。アタックメンバーは4名となった。今日の行動時間は10時までとする。その時間までに登頂できなければ諦めざるをえない。幸い天候は味方してくれている。月明かりの中ヘッドランプをつけて出発。赤倉の町の灯りが綺麗だ。トレースは確りしている。朝の静寂にワカンがキュキュと鳴る。天狗平にはアッという間についた。
朝日がゆっくりと昇ってくる。遠く山波に富士山を見止めた。八ヶ岳がシルエットのように富士山に寄り添っていた。野尻湖が白く朝日を浴びて輝いていた。
岩場の手前まではラッセルが続いた。昨日のルート工作を生かして岩場へ上がる。夏山ルートを確認するが、かなりの急登だった。鎖場は無事捲いたらしい。
ここから風景が一変する。目の前に真っ白な北アルプスが飛びこんでくる。多少風がある。アイゼン着用で岩場を行くが歩き難い。 やつとたどり着いた妙高山山頂は360度のパノラマが広がっていた。日本海に佐渡ヶ島と能登半島、目の前に火打、焼岳、北アルプ、素晴らしい。時がたつたつのも忘れてしまう。「皆が待っている」名残リ惜しいが山頂を後にした。
テント場では既にテントが撤収され、下山準備が完了していた。最終リフト上部では出迎え隊の人達が大鍋に鴨汁、刺身を用意してくれていた。
大勢の協力のおかげで冬山合宿は無事終了した。山頂に立った、立たないに関係なく、支援参加した人達は皆同じ喜びと感動を共に共有した。
一つの目標のために皆が惜しみなく協力し、喜びを分かち合う。これぞ峡彩ランタン会!!