今日の料理配信は出だしからコメントが大盛り上がりだった。何を隠そう、オレさまがダンデの髪を三つ編みにしたからです。我ながら会心の出来。あ、ダンデ髪型いつもと違う!。 三つ編みだー。 キバナ様器用だね。 と次々と称賛の声が届く。そうだろう、そうだろう。カッコいいだろ。前からあの頭で料理するのはどうなんだって気になってたんだよな。だから今回はちょっとまとめてみたんだよ。そしたらビックリするほどチャーミングになっちゃって。さすがオレさま。ダンデのこと知り尽くしてる。ついでに前髪も上げてみたんだけど、カッコよすぎるからそれは直前で封印した。刺激が強すぎる。料理どころじゃなくなる視聴者が続出しそうだったからな。残念だけどお蔵入りだ。
「前回の反省会はちょっと長くなったな」
「まあな」
オススメの動画漁ってたら、いつの間にか時間が結構過ぎてたんだよな。でもおかげで充実した時間だったって胸を張れる。今日はダンデがどんな仕込みをしてきたのか、凄く楽しみだ。
世間話に花を咲かせながら、オレさまとダンデはいそいそエプロンをつける。ナチュラルに色違いのお揃いなんだよなあ。 とロトムがぼやいた。オレさまはそれにちょっとびっくりする。二人でカレー作ってたから使ってるんだけど、何も言われたことなかったんだけどな。
「だから反省を踏まえて今日はレシピを調べてきたんだ」
「レシピ?」
「ああ、今日はパスタだぜ!」
元気よくダンデがスケッチブックをロトムに見せる。『きのことねぎのペペロンチーノ』。オレさまはそれに目を丸くする。
ダンデが。パスタ。しかもペペロンチーノだなんて限定してきた。
たぶん、出来合いのソースとかは使わないで自作するつもりだ。それにオレさまは慄く。トロピカルジュース、しっぽのくんせいのスパイス仕込み、オムライス(自称)、インスタントめんのアレンジレシピと来てペペロンチーノだ。ちょっとばかり急ぎ足にステップアップしすぎじゃないのか?もっとこう、甘いきのみを使ったフルーツサラダとか、ボブ缶とヴルスト使ったプレートごはんとかが妥当な線じゃないか?今までの流れだと精々がそれくらいだろって高を括ってたんだけど。オレさまが対応してこなかったのが悪いんだけどさ。いやでもこれは予想外だ。
「あの。無茶すんなよ? キャンプなんだし、普通にレトルトのパスタソースでも良いんだぜ?」
「最初にルール決めたから持ち込みはナシで行く。手順も多いからさくさく準備していくぜ!」
ダンデが自信満々にリザードンポーズを決めて、材料を取り出していく。なんだろう、凄い不安だ。
「今日使うのは、あらびきヴルスト、キノコパック、ふといながねぎ、マトマの実、そしてパスタだ!」
机に並べられた食材の数々。これだけの食材がここに並んだのは始めてだ。そしてダンデは最後にオレさまの荷物からまな板と包丁を取り出した。それにコメントが一気にざわつく。
まな板だ。 包丁だ。 マジか。 なんか料理っぽいぞ。 と失礼なコメントがガンガン読み上げられる。謎の感動。 と無機質な抑揚でロトムが読み上げて、それにはオレさまも同意した。第五回にしてようやく包丁が出てきたことにオレさまも若干感動している。いやこれ料理配信なんだけど。むしろ今まで包丁なしでよくやってきたなって言ったほうが良いんじゃないか。そういう縛りでやってるのかと思ってたんだが、どうやら違ったらしい。よかった。やっぱり料理なんだから包丁とまな板くらいは使いたい。
「それじゃあ最初にマトマの実を、」
「待った」
ダンデが何気なく包丁を握ったが、オレさまはそれに慌てて止める。ペティナイフを持つみたいな形だ。刃を親指と人差し指中指の三本で摘まむようにして、残りの二本指で柄を持つ。いわゆる『皮むき型』だ。ダンデがいつも使ってるナイフくらいの刃渡りだったらそれでも良いんだけど、オレさまの包丁は万能包丁だからな。その持ち方するには少し大きすぎる。
「あー、ダンデ。包丁の持ち方危ない。こう」
左手の人差し指と中指を包丁の柄に見立てて、右手を上から握り込むようにして見せる。ごく一般的な包丁の握り方だ。その名も握り型。見たままだ。それにダンデはちょっと首を傾げる。きょとんとして、小首を傾げる仕草が幼い。
「ナイフとそんなに変わらないだろ?」
「刃渡り全然違うだろ。あとな、これカントー製だからこっちのヤツとは使い方も別物なんだよ。説明するぜ」
「どうやるんだ?」
「こう、引く感じ」
「うん?」
「そんなに力入れないで大丈夫だから。こう」
ダンデの後ろに立って、ダンデの手にオレさまの手を重ねる。ダンデの背中がオレさまの胸や腹に触れると、ダンデの匂いと体温をもろに感じた。ちょっと汗ばんでるのか匂いが濃い。コイツ体温高いな、と思った瞬間、スマホロトムが甲高い声でキィーーーーと鳴いて、爆発した。そして高速で、またィ※@“る新?ヵナ俺た千はなⅡを見&ら!~陀意味がワ%らナィくて吐きそゥ。 と訳の分からない言語を喚いた。なんて言うのか、音と音の間隔が短すぎる感じ。聴覚の処理が追い付かなくて音がいくつも重なって聞こえている、みたいな。とにかく不快な音が高く耳を劈いていく。コメントの流れが速すぎるらしい。
「ロトム!コメント切れ!」
オレさまは慌ててスマホロトムに読み上げ機能の終了を伝える。怒涛の情報量によほど疲れたのか、ロトムはホッとした顔をした。
「……びっくりした」
「ああ。今日は見てる人が多いのかな」
「かもな。悪いけど、今回はちょっとコメントお休みさせてくれ」
どんな反応があるかは確認していないけど、まあ良しとする。オレさまはもう一度ダンデの後ろから手を回して、ダンデの手ごと柄を握った。そして、力を入れずにすっと引く。そうすると、まな板の上のマトマの実は潰れることなく輪切りになった。
「おお、すごいな」
「なー。気持ち良いだろ」
綺麗な断面を撮れるようにロトムにマトマの実を見せる。他の包丁だとこうはいかないんだよな。カントー製の包丁はプロの料理人がよく使ってるって聞いて買ってみたんだけど、お値段以上に良い仕事してくれる。これ使い始めたら他の包丁の切れ味が気になるようになってしまって、まあそれだけは困ってるかな。
しかし、ダンデって体分厚いな。オレさまの腕が長くなかったらレクチャー出来なかったぞ。しかし五回目にして包丁の使い方のレクチャーをのんびりやってるとか、なかなか愉快だよなあ。
「はい、じゃあ一人でやってみな」
「……難しいな。変に力を入れてしまう」
ダンデが一人でやってみると、マトマの実は切れる前にぐちゃりと潰れた。確かにいらないところに力が入りすぎてるな。ダンデが助けを求めるようにちらりとオレさまを見上げてくるのを、オレさまは笑っていなす。
「そこは慣れだろ。ほら、頑張れ」
ダンデにそうやって甘えられるのは吝かじゃないんだけど、ちょっとは練習しないとな。
ダンデがぎこちなく再び材料と格闘し始めたけど、その手つきは側から見ててひやひやするものだった。まあ、初めてだから仕方ないと言えばそうなんだけど。でも普段料理してない奴は他のことに集中すると手の形の基本も崩れてくるから見てられない。ダンデもその例に漏れず、左手の指先が材料に寝そべるような形になってきた。
「ダンデ、左手が疎かになってるぞ。ほら、チョロネコの手。あと包丁そんなに上げなくても良いから。第一関節より高く上げずに、」
「……キバナ」
一気に色々言ってしまったからか、早々にダンデが音を上げた。ダンデが一度包丁を置いてオレさまを振り仰ぐ。困ったような、泣き出しそうな顔だ。あー、やっちゃったなって、オレさまは罪悪感でちょっとだけ胸が苦しくなる。別にダンデが不器用とか鈍くさいとかじゃないんだ。ただ、苦手な分野は指示を明確に、細かく、段階的にしてやらないとパンクしちゃうんだよ。そういう奴だって言うこと忘れてた。こんなに色々口出したの久しぶりだったからなあ。ゆっくり一つずつやっていけばダンデは大抵のことを出来るようにするから、最近じゃオレさまが特に何か言うこともなかったんだよ。でも、そういうダンデの特性を忘れてたって言うのはオレさまの落ち度だ。
大きな金の瞳が懇願するみたいに潤んでる。かわい子ぶってるな。いや文句なしに可愛いんだけどさ。絶対上手く出来ないことに困ってないじゃん。良いけどさ。オレさまちょっと笑っちゃったじゃん。いやあ、可愛い。
「あー、ちょっと急ぎすぎたな。悪かったよ。じゃあ、もう一回な」
オレさまが言うとダンデがぱっと明るく笑ったので、また笑ってしまった。ダンデがもう一度包丁を持つ。オレさまがさっき教えた握り型になってる。よしよし。オレさまはダンデの背後に立って、手元を覗き込む。
「ん、それで大丈夫。じゃあ、左手は?」
「チョロネコだな。こうだろ」
「そうそう。上手だぜ」
左手できちんとマトマの実を抑え込んでいる。ダンデがオレさまの顔をちらりと見て、どうだと言わんばかりの顔をした。うん、ちゃんと出来てる。頭撫でて褒めちぎりたいけど、この前嫌な顔されたしなあ。
「次は?」
「力を入れずに……引く!」
「正解!じゃあ出来るか?」
ダンデが神妙に頷くのがなんだか可笑しい。ダンデは慎重に、ゆっくりと包丁を引き始めた。少し力が弱すぎるくらいに思うかもしれないけど、そのくらいでもカントー製の包丁はするりとマトマの実を両断した。綺麗な切り口だ。完璧。
「出来たな!」
「ああ、出来たぜ!」
「この調子でどんどん切ろうぜ。他の材料はどう切るんだ?」
「えーっと、ヴルストとねぎは斜めに細く切るんだ。キノコは石突だけ取ってほぐす程度で良いぜ」
ダンデが言いながら、いそいそとあらびきヴルストなんかを用意し始める。これはちょっと乗ってきたかな。こうやってバトル以外のことで楽しそうにしたりしてるダンデも良いよなってオレさまは思う。ダンデ自身のことを考えると、チャンピオンばっかりじゃいつか行き詰る気がするんだよ。だから、偶にはこうやって脇道に逸れた方が絶対に良い。ダンデに必要なのはチャンピオンの姿だけだなんて、そんなのやっぱり勿体ないもんな。これだけ魅力的な奴なんだから。どんなことしてても好かれるぜって、オレさまが太鼓判押してやるから。だから、ダンデは何も気にせず色々やれば良いと思うんだよ。
「そう言えば鍋一つだけど、どうするんだ?」
オレさまがはたと気が付いて声をかけると、ダンデはよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに輝く笑顔で振り向いた。
「今日はワンパンって言うのに挑戦したいんだ。フライパン一つで出来るってやつのキャンプバージョンだな」
「あーなるほどね」
言いながらダンデの材料を切るスピードが徐々に早くなっていっている。でも切り口はスパッと綺麗に出来ていた。上達してるなあ。ねぎを一つ摘まみ上げて、まじまじと見つめる。ふといながねぎって筋がかなりしっかりしていて固いから最後まで切れてるか分からなかったんだけど、でも全然繋がってないな。初めてでこの出来なら文句なしだ。
「めちゃくちゃ上達してるじゃん。今度飾り切りとか覚えてみる?」
「いや別にそこまではな。リンゴの皮むきが出来れば十分だろ」
まあそうだけどさ。でも覚えたら何かの役に立つときが来ると思うんだよ。いつかがいつやって来るかなんて分かんないけど。
最近気付いたんだけど、ダンデの作るものって、基本的に手間とか洗い物とかを極限まで減らそうっていう考えが根元にあるのが分かりやすいよなあ。でもコンセプトが分かりやすいって言うのは良いことだよ。そうすることで真似するハードルも低くなるしな。
「じゃあ次は竈の準備だな。キバナは下がっててくれ。リザードン!」
オレさまが言われた通り竈からちょっと離れたのを確認して、ダンデはリザードンを呼ぶ。出てきたリザードンは勇ましくばぎゅあと鳴いてポーズを取ったが、ロトムがずっと沈黙しているので少し不可解そうに首を傾げる。ばぎゅ、と小さく鳴いてロトムを指し示す。
「今コメント切ってるんだよ。人多すぎるみたいでロトムの読み上げが追いつかなくってなあ」
オレさまが説明してやると、リザードンは少しがっかりしたような顔をした。それにオレさまとダンデはちょっと笑う。ダンデのリザードンも、理想的なリザードンを演じてるって部分があるのかも知れない。まあこれだけ長い間チャンピオンの相棒のポケモンとして親しまれてるんだから、そりゃそうなのかも知れないけれど。でもそういうどこか人間臭いところが、オレさまは好きだな。
「まず、鍋に油を入れて、ヴルスト、マトマの実とねぎに火を通す。ご家庭ではニンニクを使うと思うんだが、キャンプには持ち込めないからねぎで代用するぜ。焦げないようにしてくれよ」
ダンデが鍋のなかに油を入れて、マトマの実とねぎを雑に入れた。焦げ付かないように炒めること一分くらい。マトマのスパイシーな匂いの中に、炒めたねぎの香りがほのかに漂ってくる。
「おお、良い匂いしてきたな」
「ロトム、鍋を映してくれ。ねぎがこのくらいの色になってきて、良い匂いがしたらお湯と塩を入れて、沸騰させる」
ダンデがちゃきちゃきと鍋に水を入れて、塩を振る。アシスタントのはずのオレさまは今回あんまり役に立てないな。火に近付くなって言われてるから、仕方ないっちゃないんだけどさ。
「レシピ調べてきただけあって手際良いな」
「ペペロンチーノは君がよく作るしな」
そうだっけ。まあ、作るの楽だし、すぐ出来るからせっかちなダンデに食わせること多いのは事実だ。でも見てたからってこんなに出来るもんかな。それともダンデが覚えるくらいに頻繁に作ってたのか。あんまり自覚がないな。オレさまも飯のレパートリー偏ってんのかも知れない。ちょっと気を付けてみよう。
「お湯が沸騰してきたら、石突を取り除いたキノコとパスタを二つに折って鍋に入れる。茹で時間と水の量は書いてあるより少なくしておくと良いらしいぜ。あとは時々掻き混ぜるのも忘れずにな」
本当に今日は手際が良い。オレさまいるかなってくらい何もしてないな。今日やったことなんて包丁のレクチャーしただけだ。それだってすぐダンデがコツ掴んだからお役御免になったしな。今回気合が入ってる。
「茹で上がりの目安とかは?」
「パスタを少し除けてみて、汁が少量残ってる程度になるまでらしいんだが……。そこまでいけるかな」
水の量がちょっと不安になったらしく、ダンデがちょっとパスタを除けてみる。パスタが浸かる程度の水だ。でもこのくらいならすぐに飛んでいくだろう。
「この火力なら大丈夫だろ」
さて、茹でてる時間はどうしようか。テレビの料理番組ならこの辺りで茹で終わった鍋が出てきたりするんだけど、個人がやってるネットの生配信だし、そういう訳にはいかない。話か何かして場を繋がなくちゃいけないんだけど、パスタにまつわる小粋な小話ってハードル高いよな。うーん、何も出てこない。どうしたもんかな。
なんて一人で頭を悩ませていたら、ダンデが鍋をかき混ぜながら、
「俺が初めてパスタを作ろうとしたときは、君に凄く怒られたな」
なんて話を振り始めた。初めてパスタを使おうとしたとき、と言われて思い出した。
「ああ、お前が分量も茹で時間も見ずにやろうとしてたアレ?」
「そう。30分も煮れば大丈夫だろって」
あったあった。初めてパスタカレー作ろうって言われて、じゃあ頼むって任せたとき、ダンデは塩も入れずに鍋いっぱいの水の中にパスタ入れようとしてたんだった。ダンデは軽く笑ってるけど、オレさま結構衝撃だったんだからな。二人しかいないって言うのにパスタの袋を丸ごと入れようとするし、お前は裏に書いてある作り方も読めないのかって散々罵倒したやつだ。懐かしいな。
「ぐずぐずに煮えたパスタなんか食えるかって、君はカンカンになってな。アルデンテを知らないのかって」
言った言った。その日はもう任せらんないって言って、オレさまが全部やったから結局未遂に終わったけどさ。
で、それからダンデに飯作るときはパスタばっかり作ってた時期が一時あったんだよ。色々作ってやったなあ。で、結局ペペロンチーノが一番受けたから調子に乗って作るようになったんだった。あー、思い出した。だからさっきペペロンチーノよく作ってるって言われたんだな。すっきりした。
「そこからワンパンでペペロンチーノ挑戦するまでになったかあ」
「成長しただろ?」
「したした。って言うか、現在進行形でめっちゃしてる」
だって自分でレシピ調べてきたし、手際も今のところ完璧だ。オレさまが褒めると、ダンデは嬉しそうな顔で微笑んだ。鍋のなかをかき混ぜる。パスタが水を吸って、ちょっと少なくなってきたみたいだ。もう少しかな。
「君にはたくさんパスタを作ってもらったけど、一番好きなのはペペロンチーノだな」
「うん、知ってる」
「だろうな。だから今日もペペロンチーノにしたんだ」
「オレさまの作り方とは結構違うよな」
オレさまのペペロンチーノはオーソドックスなニンニクと唐辛子で作るやつだ。マトマの実とふといながねぎでは作ったことがないと思う。キノコは使ったことあるかも。まあ、本当に色々作ったから全部覚えてる自信はないけど。そういう細かいところは、きっとダンデの方が覚えてるんだろうなって気がする。そういうところ、律儀って言うか健気だよなあって思う。
「キャンプで出来るようにアレンジだらけだからな。また今度、ちゃんとしたのは振舞うぜ」
「マジ?キャンプ以外でもダンデが飯作ってくれんの?」
「ああ。君さえよければ」
「やった。楽しみにしてるぜ」
口約束でもなんでも、オレさまは凄く嬉しかった。だって、ダンデが本気で料理を自分からやろうとしてるんだ。胸がぎゅっていっぱいになって、なんだろう、ちょっと泣きそうまである。ダンデは何でもない顔してるけどさ、でも、お前からそういう言葉が出るって、凄いことなんだよ。
「キバナ、そろそろ大丈夫だよな?」
ダンデがパスタを除けて、汁の様子を見せた。オレさまは慌てて目尻を乱暴に拭って、鍋の様子を見る。パスタの隙間から鍋底がほんのり見える。汁はもうほとんどなくなっていた。
「うん、ばっちり」
オレさまが太鼓判を押すと、ダンデは塩胡椒と油を取り出した。
「最後に塩胡椒と油を少々かけて、キノコとねぎのペペロンチーノの完成だ!」
完成した鍋を火から下ろして、ダンデがロトムに向かってポーズを決める。オレさまはその間に皿にパスタをよそっちゃおう。まあ案の定フォークがないからスプーンで食べるんだけどさ。半分に折ってるとは言え、パスタをスプーンで食べるのは結構至難の業だと思うぜ。汁がない分ヌードル以上の難易度かも知れない。しまったな。喋ってる間に枝で箸でも作っておけばよかった。すっかり忘れてた。
「忘れてた。またスプーンだぞ」
「そうだったな。またホネでいくか?」
「いやあ……」
オレさまが半笑いになると、ダンデはだよな、と苦笑いを返した。ロトムがけたけた笑う。こういうところで反省会が全然活かされないな。うーん、調理中が良かっただけに締まらないな。
「出来る限りスプーンでいって、駄目だったら枝を箸に加工しようぜ」
「それしかないな。それじゃあ、食べるか」
「よし、いただきます!」
オレさまはスプーンにパスタを巻き付けようとするけど、上手くいかない。またこのパターンだよ。前も見た光景だってコメント流れてるだろうな。いやオレさまたちも分かってるよ。分かってるんだけど、レギュレーションはシーズン終わるまで変えられないし。いや、この配信がどういうサイクルで動いていくのかオレさまもダンデも分かってないけど。でもこのままこの配信は気紛れにぐだぐだやっていくんじゃないかなって気がするんだよ。まあそれにはオレさまも調理に完全復帰しなきゃいけないだろうな。
なんとかしてスプーンにパスタを絡めとって口に入れる。最初にマトマの実の辛さがピリッと来て、それから油で炒めたキノコとねぎの香りがふわっと広がる。シンプルな味付けだけど美味い。
「マトマの実を丸ごと入れたから結構辛味が強いな。でもオリーブオイル使ってない分さらっと食えるぜ。全部食べきってもフルバトルすぐいけそう」
「じゃあこの後すぐやろうぜ」
「言うと思ったよ。片付け終わらせたらな」
オレさまが笑って返すと、ダンデも笑った。油をたっぷり使ってるんだけど、でも全然重たくない。オレさまの反応を見てダンデも食べたが、少し眉根に皺が寄った。それにオレさまはちょっと不安になる。何か気に食わなかったかな。美味いのに。
「正直ペペロンチーノにはオリーブオイルだろって思ってたんだけど、見方変わったわ。これはダンデに作って貰わなきゃ絶対知らないままだったなあ」
言いながら、二口目を巻き取ろうと躍起になる。うーん、やっぱりフォークは偉大な発明品だな。あれがあるとないとじゃ大違いだ。ダンデは無言で咀嚼しながら、でもやっぱり表情が晴れない。何が不満なんだろう。
「ねぎとキノコが凄く香ばしくて食欲そそるし、めっちゃ美味い」
オレさまが褒めちぎっても全然効果がない。一度スプーンを置いて、ダンデを真正面から見つめた。
「ダンデどうした?なんか気になる?」
「うーん。……俺はやっぱり、キバナのと比べると一味足りない気がすると思って」
オレさまはその言葉に驚いて、それからちょっと腹が立った。オレさまが、なんだって?
「いや美味いよ」
「いや。無理しないでくれ」
ダンデが頑なに言って首を振るので、ますますむかっ腹が立ってくる。こんなに失礼なことをダンデに言われたのは初めてだ。オレさまはこんなに美味しく食べてるって言うのに、なんでそんなことが言えるかな。
「ダンデがこれだけ一生懸命やってくれたんだからさ、だから文句なしに美味いんだよ。お前がオレさまに作ってくれたたったひとつをさ、他のものと比べるなよ」
ちょっと語気が荒くなったけど、でもそれはオレさまのせいじゃないと思う。だって、ダンデがこんな物分かりの悪い奴だと思わなかった。
「そういうものか?」
ダンデがちょっと自信のなさそうな、困った顔で問い返してくる。珍しいな。ダンデが自信なさそうな顔って。でもその顔に絆されるわけにはいかないんだよ。
「じゃあお前はオレさまの作ったもの、他のもんと比べたりするわけ?どっちが美味いとかさ」
「そんな失礼なことするわけないだろ」
「そういうことだよ」
オレさまが言って、それでこの話は終わらせた。オレさまの不機嫌そうな顔を見て、ダンデがおろおろしている。少しは反省してほしいから今はフォローしないけど。ちょっと可哀そうかなとも思うんだけど、でもダンデのためにならないし。そういう言葉は自分にも他人にも向けちゃダメなんじゃないかって思う。ダンデは一生懸命やったんだから、その成果を何かと比べて欲しくない。
「キバナ、悪かった。でも、やっぱり一味足りない気がするんだよ。なんだろうな」
ダンデが首を傾げている。まあ、確かにパンチが足りない気はする。ぼんやりしてるって訳じゃないんだけど、でももう一味欲しい。多分マトマの辛味が前面に出すぎてるんだろうな。キノコやねぎの味をもっと楽しめるような感じに出来れば良いんだけど。
「キャンプじゃなければソイソース落として風味を加えたりできるけどな。キャンプだったら……。うーん、ネコブの実じゃねえの?」
そういう時はネコブの実を入れておけばまず間違いはない。ただし、煮込む料理に使うものだからワンパンペペロンチーノでも活躍してくれるかどうかは保証できないけどな。煮込み時間が足りるかどうか。ちょっと微妙だな。そんなことをつらつら考えながら食べ進める。なんとなく、会話が途切れた。
「……偶にはこうして二人だけでゆっくり食べるのも良いな」
ダンデが食べながら、そんなことを言う。オレさまはそれに笑ってしまった。
「配信中ですけどぉ?」
「そうだったな。でも、ポケモンもコメントもないところで君と食事をするのは凄く久しぶりな気がする。こういうのも、良いなと思って」
「……そうだな」
急にそんなにしんみり言われて、オレさまの脳裏にはまたあのコメントが閃いた。
愛を感じる。
愛。あれから時々思い出しては考えてみているけど、結局は分からないままだ。愛って、どの愛だろう。友愛、親愛、兄弟愛、家族愛、恋愛。どれだって良いような気もするし、答えがこの中にあるとは限らないとも思う。全部でも当てはまる気がするし、一つに選んでしまうのがちょっと怖かったりもする。選んでしまったら、じゃあオレさまとダンデはどうなるんだろうって。今の、この心地いい距離感を壊したくはないんだ。
◆◇◆
料理配信を終了させ周辺の片付けも恙なく終わらせ、さあそろそろバトル配信だと言う頃合いで、キバナがタイムポーズを取った。それにダンデもロトムも目を瞬かせる。珍しいこともあったものだ。
「ちょっとスマホロトムの調子確認してくる。先に準備運動しといてくれ」
そう言ってキバナは宙に浮いているロトムを握った。ロトムは大人しく握られながらも、はて、と首を傾げる。何かあっただろうか。
「ああ、そうか。いってらっしゃい」
ダンデは得心した顔で手を振った。しかしロトムにはまだ自分が何をしたか分からない。キバナは腰を落ち着けるのに手頃な切り株を見つけると、そこに腰かけた。そしてロトムを開放すると、優しくロトムのボディを撫でる。
「ロトム、さっきの大丈夫だったか?びっくりしたよな」
キバナは言いながら、ロトムをすいすいと操作していく。さっきの、と言われてようやく合点がいった。コメントが来すぎてパンクしたのを心配してもらっているのだ。ロトムもキバナと一緒に自分のシステムを確認しているが、今のところ目立った障害はない。トラブルと言っても配信が重すぎるというだけだったのだから当然だ。少しボディの熱を冷ませばすぐに良くなる。
「……あのさ。ちょっと聞いて欲しいんだけど」
念入りに動作確認をしながら、キバナはぱたぱたとロトムを手で煽ぐ。スキャン中は熱が籠りやすいので有難い限りだ。少しのこととはいえ、それでも気が楽になる。ロトムはすっかり寛いで、宙を泳いでいた。それにキバナも少し笑う。
「あのさ、オレさまってダンデのこと好きなの?」
思わず動きを完全に止めてしまった。今、この人間は何を言ったのだろう。ダンデが好きか、と問うたのか。それにロトムは一瞬で混乱の坩堝に叩き落された。今までのあれそれは何だったのだ。恋人同士のような甘ったるいやりとりは?ワンパチも喰わない類の喧嘩は?見せびらかすようないちゃつきは?
まさか。まさかだ。まさかとは思うのだが、目の前の男はすべて恋愛感情抜きで同性からの重度のボディタッチを許し、また行っていたというのだろうか。そんな馬鹿な。そんな話があるか。無自覚だとしたら酷い話だ。今までのあれそれは何だったのだ。新婚家庭に迷い込んだような光景を何度見させられたと思っているのだ。
暖かく二人を見守っていたロトムは酷く困惑するしかない。確かに先は長そうだと思った。だがそこの大前提は各々でさすがに抑えているだろうと思ったのに、どういうことなのだ。
「いや好きだよ。好きだけどさ」
ロトムが唖然としている空気を察してか、キバナが言い訳のように言葉を重ねる。ロトムはそれを黙って聞くしかない。
「それは直接イコール愛で結んじゃって良いのかなって最近思うんだよ。ほら、愛にもいろいろあるしさ」
聞いていて、不思議と腹が立ってきた。何が『いろいろあるしさ』、だ。かまととぶってるんじゃないと叱り飛ばしてやりたい。どう見たってキバナがダンデに捧げる愛はそういう愛だし、そういう愛じゃないとするならお前の距離感はどうなっているんだと言う話になる。
「オレさまとしては友愛とか兄弟愛だと思ってたんだけど、でも皆から見てみたらちょっと見え方違うのかもなって最近思い始めてさ……」
最近。そう考えるようになったのは最近なのか。ロトムは本日何度目かの衝撃に打ち震える。もうシステム障害の洗い出しとかどうでも良い。キバナの気が済むまでチェックすればいいが、ロトムは今それどころではないのだ。
自覚があるものだと思い込んでいた。その大前提がすっぽりと抜け落ちてしまった現在、今までの行為を振り返って震えるしかない。スプーンの共有とか抱っこで配信開始とか編み込みとか、いろいろあった。いろいろあったにも関わらず、あれらは全然そういう意識外でやっていたというのだ。どういうことだ。もうちょっと意識してやれと声を大にして言いたい。可哀そう。ガラルのチャンピオンが可哀そうだ。
「もう自分がどの愛で括ってんのか、分かんなくなってんの」
どの。その一単語でロトムは脱力した。
どの、だなんて言えるのはもう正解が見えている証拠だ。無意識であっても、もう答えは定まっている。キバナはただ、迷いたいだけなのだ。もしくは迷っているふりをしたいだけ。それならもう、ロトムの言うこともやることもない、
「……結論出すには材料が足りてないんだよな」
ロトムは盛大に溜息を吐く。本当にかまととぶっているだけだ。こういう時は毒で制してもらうのが一番だろう。
滑らかにシステムチェックを続けるキバナの手をすいと避け、ロトムは連絡先をひとつ表示させた。映し出された名前に、キバナは瞬きをする。ロトムとしては、別に奇抜な選択をしたつもりはなかった。同僚で、プライベートでもそこそこに親しくて、キバナの事情と性格をある程度把握している人間だ。つまりは相談事にはうってつけなのだ。
「キバナ、ロトムは大丈夫だったか?」
準備運動を終えたダンデが近寄って来るのを見て、ロトムは連絡先を一旦非表示にした。キバナも冷静にその対応に合わせて腰を上げる。ロトムを掴んで、何気なく画面が見えないようにした。
「ん。ちょっと疲れてるけど平気そうだぜ。でも念のため次もコメント切っておくな」
「了解だ」
キバナはダンデから見えにくい角度でロトムをそっと口元に寄せた。そして、小さな声でロトムに囁く。
「悪いロトム。休憩から今までの会話は残さないでくれよ」
そう主人に命じられて、ロトムの脳髄がぐわんと揺れた。ロロ、ロロ、と短く鳴いて気分の悪さを訴えるが、キバナは知らない顔でロトムを掴んでダンデから隠した。大きな手に口を塞がれて声がくぐもる。そうこうしているうちに、命令通りに記憶がクラッシュする。体がぶるぶる震える。
「————よっしロトム、配信開始だ」
キバナの声がして、ロトムはハッと我に返った。寝ていたところを起こされたような感覚だった。ロトムは瞬きをひとつした。そして、もう?と首を傾げる。先程まで料理配信をしていたはずだった。何時の間に片付けを終わらせたのだろう。アップもしたのだろうか。まあ、あれはしたりしなかったりだから、今日は良いのかもしれない。
現在時刻を見る。————おかしい。配信を終えてから10分は経っている。たった10分程度ではあるものの、その間の記憶がごっそりとなかった。何だか居心地が悪い。知らないうちに充電がなくなっていたのだろうか。けれども充電をしてもらったにしては、残量が少ないのが気になる。ロトムは首をもう一度傾げたが、考えたところで記憶は戻ってこない。どうしたのだろう。
「どうしたロトム?今日もオレさまをばっちりカッコよく撮ってくれよ!」
キバナが笑いながらポーズを決めた。今日のキバナはノリノリだ。被写体が楽しそうならこちらも撮り甲斐もある。ロトムは嬉しくなった。やりがいのある撮影は大好きだ。ロトムはロロロと鳴いて、配信を開始した。