愛。愛ねえ。
いつもの『お決まりのヤツ』の変化球なんだから気にすることはないんだが、なんとなく気になってしょうがない。気になるって言うか、喉に引っかかった魚の小骨みたいな感覚だ。きっかけがあればつるんと取れそうなんだけど、なかなか上手くはいかない。うーん、オレさま切り替えの早さには自信があったんだけどな。
そんなこんなでも配信日はやってくる。ダンデはダンデで、今日はめちゃくちゃに機嫌が悪い。この時期になるとどうしてもなあ。分かっていても、やりづらいったらない。見てくれてる人たちもオレさまたちの異様な空気を感じ取ってるのか、コメントがいつもより大人しい。来るのはお疲れ様ー。 くらいの挨拶だけだ。うーん、盛り上がらない。
「今日はもう野菜摂らない」
ダンデの目が完全に据わってる。これはキバナ様がちょっと宥めてやらないと駄目かな。
「なんでだよ。野菜もちゃんと食えよ」
「時間が足りない。ザっと食ってサッサとバトルする」
苛々と返されて肩を竦める。チャンピオンどうしたの? と心配そうなコメントが来る始末だ。いや、放っておいてやって。ジムチャレンジ期間に入って好きにバトルが出来ないフラストレーションでこうなってるだけだから。この後飯食ってバトルすれば大丈夫なんだよ。まだチャレンジャーがナックルまで来てないから、オレさまは少しだけ時間休取ってダンデに付き合ってるけどさ。偶に思うんだけど、オレさまが最後の門番じゃなかったらどうするつもりなんだろうな。普通のジムリーダーはジムチャレンジ中にここまで融通利かないんだぞ。ダンデのために成績キープしてるオレさまをダンデはもっと褒めても良いと思う。
「あーはい、わかったわかった。で、今日のメニューは?」
「インスタントめんにモーモーチーズ入れてかぼそいホネ添えておしまいだ」
「あー。美味いものに美味いもの合わせて美味くなったような気がするヤツ」
今日はいつものスケッチブックも材料紹介もなしらしい。淡々と荷物からインスタントめんとモーモーチーズとかぼそいホネを取り出すと、半分ほど蓋を開けてホネとチーズを手で千切り入れる。そしてケトルから湯を注いで再び蓋をした。オレさまが口を挟む余地もない。手順の説明もナシか。まあ、別に特別に説明が必要な工程もなかったけどさ。コレとコレ入れます、で終わりだもんな。まあそういう日があっても良いよな。一回くらいなら。
「……骨が予想以上に元気にはみ出すな」
「それは作る前から分かってただろ」
蓋を閉めながら、ダンデはそんなどうでも良いようなことを言った。殺気立ってたのが飯の匂い嗅いで少し気が逸れたんだろう。バトル欲が食欲にちょっとだけ負けたな。でも確かにダンデの言うとおりだ。細い骨が淵から三本、思いっきりぴょんと突き出している。ガラルマタドガスの煙突部分に似てるな。
ダンデがピリピリしてたのが若干和らいだのを感じ取ってか、少しだけコメントが増えてくる。チーズでインスタントめんの味変は定番だよなあ。 やるやる。 チャンピオンもそういうことするんだ。 あの、ボーンはどういう意図で入れたの……? 三分じゃ出汁出ないだろ。 いや、意外といけるんじゃ。 細いから案外すぐ旨味出てくるぜ。 え、マジ? たぶんだけど。 たぶんかよ!
そんなコメントをだらだら流していればすぐに三分経ってしまった。何も言ってないけど、ロトムが元気にベルを鳴らして教えてくれる。本当にロトムは人をよく見てるんだよな。
「じゃあ食べようか」
ダンデが言いながらぺりっと蓋を剥がす。その瞬間、ふわっと湯気が立ち込めてチーズとインスタントめん独特の醬油っぽい香りがした。そんなに腹減ってないと思ってたんだけど、この匂い嗅ぐと駄目だな。腹鳴りそう。
「あ、箸とかフォークがない」
「あー……」
ダンデに言われてから気付いた。そうだった。最初に決めたレギュレーション的に箸もフォークもアウトだな。トレーナーズキャンプの必需品とは言えない。オレさまとダンデは、とりあえずスプーンを一本ずつ握りしめてみた。それに対して、諦め早すぎるだろ。 と半笑いみたいな調子でコメントが入る。でもヌードル系は早く食べなきゃ駄目だろ。悠長に枝で箸作ってる暇はない。
「……いけると思うか?」
「いくしかないだろ」
オレさまとダンデは頷きあい、とりあえず容器にスプーンを突っ込んだ。とりあえずヌードルを出来る限りスプーンに巻きつける。それからお上品とは言えない体勢でズバッと啜った。チーズとヌードルの味だ。それ以外に何かを言い足す要素がない。お行儀悪く食べてるのも相まって、もう言いようもない背徳の味がする。いつもより強調されるインスタントのソイソース味だ。こういうのは気分の問題だけどさ。
「どうだ?」
「チーズとヌードルの組み合わせ最強。一口目からこってりコクがあって、匂いだけでも満たされる感じある。ホントは頻繁に食べると体に良くないんだけどさ、でもたまにこういうアレンジすると病みつきになるよなあ」
言いながら、二口目のためにもう一度スプーンを容器の中へ突っ込む。スプーン回すときに若干ホネが邪魔なんだけど、これいつごろ取っても良いんだろう。まだ早いかな。そんなに味出てなかったし。いやでもヌードルに絡みついてきてホントに邪魔なんだよ。オレさまが釣れたホネをちまちま外して器に戻してを繰り返していると、ロトムがけたけた笑いながらその様子を接写してくる。キバナ様苦戦してるね。 いや普通に箸持ち込んでも良いよ。 そこ拘らなくても良いじゃん。 ロトムって言うか、皆からの労いがちょっと辛い。今は優しくしてもらうよりも笑ってくれた方が良い。間抜けって自覚があるからな。
ダンデはまともに食べるのを早々に諦めている。容器を持ち上げてスプーンで掻き込み始めた。潔いのかも知れないけど、あれはオレさまちょっと無理。人前では出来ない。
「そうか。俺はそれぞれの味が別のところで別々の主張してるって思ったぜ」
それ自分で言うのか?オレさま、結構頑張って味のコメントしたと思うんだけど。ええーってなる。すごい、なんていうか梯子外された気分だ。
「……この配信でお前がちゃんと飯の味を知覚してるって分かって、オレさまは嬉しいよ」
「どういうことだ?」
「そのまんまの意味だよ。嫌味とかではないから安心しなって」
「ん、分かった」
ダンデはオレさまの言うことを素直に受け入れてにかっと笑った。しかし食べにくい。ヌードルの量が減るとどんどん巻き取り難くなってくる。よしいった、と思ってスプーンを上げるとつるんと落ちていく。それでも何度もトライして、ようやく口に運んでいく。
「……うん、インスタントめんだけどいつもよりコクが出てる……よな?」
ついでに汁も一口頂いたけど、何を食べてもホネ要素が全然分からない。チーズとヌードルの匂いに負けてるのか?いやそれにしたって何も感じないぞ。さっきから必死で探してるんだけど、ホネの旨味がどこにいるのかさっぱりだ。
「それチーズじゃないか?なあ、ホネはもう取ろうぜ。邪魔だし、何にも変わらなかったしな」
言いながら、ダンデは自分のホネを取っていった。それは食う前にやってほしかったんだよなあ。オレさまがちょっと肩を落とした瞬間だった。
あのさ、そんなにスプーンで食いにくいならホネ箸代わりにしちゃダメなの? お行儀は良くないし箸にしては短すぎるけど。 スプーン使うよりかは上手に食えるんじゃね?知らんけど。
そのコメントに、目から鱗が落ちた。いや、慧眼だ。そうだ、そうだよな。ちょっと細くて短いが、でもスプーンで残りのヌードルと戦うよりかは全然アリな気がする。これ、現状の最適解なんじゃないか?言われてみれば、って感じだけど二人揃って思い付かなかったのは何なんだろうな。オレさまたち視野が狭かったのかな。
「その手があったか」
「盲点だったな」
オレさまとダンデが感心してると、ロトムがけたけたと一層高く笑った。
あのさ、前から思ってたんだけどもしかして二人って結構……。 こらっ、本人たち真剣にアレなんだからやめてあげなさい!
いやもうそのコメントで十分だよ。後で反省会します。
◇◆◇
箸代わりにしたホネを回収して、キバナとダンデは片付けを始めた。ロトムは休憩がてら、ダンデのロトムに自分の記憶を共有させている。ダンデのロトムはリアルタイムで事態を把握したいから同期させろと言ってきたが、それは丁寧に拒否しておいた。流石にロトムとキバナにもプライバシーはある。
「ホネで結構食べれるものなんだな」
「いやホントそれ。ホネの味も分かったし、思いついた人に感謝だな」
「そうだな」
二人で呑気に話し合いながらも、てきぱきと片付けをしていく。最後にテントも片付けてしまえば、野良バトルをするには最適な広さの原っぱが広がるばかりだ。今日は火を使ってないせいで人が休憩した後だとは思えないくらいに綺麗になっている。ロトムは二人を見ながら、ダンデのロトムから来ている記憶を閲覧していた。どうやら前回はとても面白いことになっていたらしい。是非生で見たかったが、仕方がない。今日がもっと面白いことになってくれれば良いのだが。
忘れたものがないか、ゴミを拾い損ねていないか一通り確認したところで、ダンデはキバナに向き合った。神妙な顔で、じっとキバナの瞳を覗き込む。
「……キバナ。えーっと、じゃあ、良いだろうか」
「おう。来い」
それに対してキバナは少々腰を落として腕を広げて見せた。完全にタックルをもらう前提の姿勢だ。ダンデはそれに一瞬呆気にとられたが、軽く笑うと助走をつけてキバナの胸に飛び込んでいった。その姿は紫色の鬣のバンバドロだ。速くはないが、飛び込んだ瞬間、どん、と重量を感じさせる接触音がした。その音に思わずロトムは目を閉じてしまった。恐る恐る目を開けると、二人は完全にがっぷり四つに組み合っていた。これが人間の抱擁。なにかが違う。絶対に違う。
「……やっぱりちょっと待ってくれ。違うな」
本人もそう思っていたらしい。ダンデがパッと離れる。良かった、気付いてくれたのだとロトムも胸を撫で下ろした。それにキバナは不服そうな顔をしながらも体勢を戻した。
「違うって何が?オレさま今回はちゃんと受け止めれただろ?」
「いや、そうかも知れないがそうじゃなくて……」
もごもごと言いながら、ダンデはちらりとキバナの顔色を窺うように見上げた。そして、手頃な椅子代わりになりそうな岩を見つけると、腰を下ろす。キバナが不思議そうに首を傾げていると、ダンデは無言で自分の膝を叩いた。それにキバナがぱちりと瞬きをする。
「……良いのかよ?オレさま、結構重いけど」
「君くらいなら普通に大丈夫だぜ」
言いながらダンデはもう一度膝を叩く。幼児を招くような仕草だ。ダンデがにこりと微笑んで、小首をこてりと傾げた。あざとい。これはロトムから見てもあざとかった。キバナには効果覿面どころか、急所攻撃だろう。
「じゃあ……お邪魔します」
案の定、それ以上キバナは何も言うことなくダンデの膝の上に乗ることを了承した。ダンデの膝の上にそろそろと腰を下ろしていきながら、若干腰が浮いた状態で収まった。ダンデはキバナの腹に腕を回すと、ぐっとキバナの体を自分に密着させるように力を籠める。
「遠慮せずに体重掛けろって」
「お、お前が潰れるだろ!」
「そんなに柔な鍛え方してないぜ」
キバナが抵抗しようとするのを抑え込む。しばらく攻防が続いていたが、諦めたのはキバナの方だった。大人しく膝の上に抱えられながらも、どこか所在無げに肩を狭めている。キバナがそわそわと落ち着かないのとは対照的に、ダンデはどっしりと構えて上機嫌だ。
「君に抱き着くのも良いけど、俺はこっちの方が良いな。キバナは嫌か?」
言いながら、キバナの腹に回した腕にまた力を込めている。そろそろ主人の中身が出てくるんじゃないかとロトムは心配したが、さすがに加減はしているらしい。キバナは少々苦しそうにしながらも、ダンデを背凭れにするように体を預けた。そうすると、ダンデは少し力を緩める。
「嫌じゃないけど。……別にどっちでも良いだろ?」
「良くない。そっちとこっちじゃ全然違うぜ」
「ふーん?」
キバナは分かっているような、いないような顔で生返事を返した。けれども、その頬は少しばかり緩んでいる。この体勢も満更でもないのだろう。それを気取られないようにするためにか、キバナは真っ直ぐに前を見続けていた。
しばらく二人は、その体勢のまま無言でぼんやりと空を見上げていた。雲が流れていくのを目で追いかけ、風に吹かれるままに飛んでいくワタシラガでも数えているのだろう。沈黙が下りたが、別に二人の間に流れる空気に重苦しいところはなく、自然なものだった。
先に口を開いたのはキバナだった。
「……それでさあ。今日の配信なんだけど、二人して抜けてたよな。ホネのくだりとかさ」
「それ、今更じゃないか?」
ダンデが苦笑いしながら返すと、キバナもその気配を察して笑った。ダンデの手がするりと解けて、キバナの手を取った。
「まあそうなのかも知れないけど。もうちょっとビシッと決めたいと思うわけ」
ダンデの指が形を確かめるように輪郭をなぞっていく。キバナも抵抗するでもなく好きにさせているが、指の股あたりで少し身じろぎをした。くすぐったいのだろう。
「ビシッと?」
手の甲に浮き出た血管や骨を優しく撫でる。どこまでも止まる様子のないダンデの指は、いたずらにキバナの手をくすぐった。
「そうそう。ほら、俳優とかアイドルがてきぱき料理してるのとかカッコいいじゃん。ああいう感じで一回くらいビシッといきたいんだよ」
カッコいい、という単語が飛び出してきて、ダンデの手が止まった。そして何事か思案するように少し頭が傾ぐ。
「……なるほど」
先程よりも明らかに声のトーンが低い。
流石に様子がおかしいと感じたのだろう。キバナが振り向くと、ダンデはその瞬間ににっこりと朗らかに笑って見せた。一部始終を見ているロトムからすれば薄ら寒いほどわざとらしい演技だが、相手はキバナなのでそんなに分かりやすいことが起こっていても全然まったく気にしないのである。キバナはダンデに対する点数の付け方が甘い。甘すぎる。節穴かと言いたいくらいに大甘にマルを付けていくので、見ているロトムはおいおい、と思うことも多いのだ。
「参考にしたいから、キバナが思うカッコよく料理してる番組をいくつか教えてくれるか?」
カッコよく、に変な力が入っている。そこを強調するのか。ロトムは呆れて鳴くことも忘れてしまった。どうやら俳優やらアイドルに対して妙な対抗心に火が付いたらしい。たぶんキバナにカッコいいと言われる機会が少ないことに起因しているのだろうが、それにしたって分かりやすい。もうちょっと包み隠してくれても良いのだが。
「え、なになに。そういう感じも勉強してきてくれるってこと?マジで?」
キバナの顔がパッと期待に輝く。それにダンデはますます笑みを深くした。
「ああ。チャンピオンに二言はないぜ」
その答えに、キバナの顔はますます輝いた。ヘイ、とロトムに短く声がかかる。ロトムは従順にその声に従ってキバナの元へ飛んでいき、そして背中を向けた。キバナが軽やかにロトムを操作して検索バーにいくつかの単語を入れていく。おそらく固有名詞。俳優かアイドルの名前と番組名だろう。
「じゃあじゃあ、こういうのとか、こういうのとかさ……」
うきうきと上機嫌なキバナの声とは対照に、その後ろに控えているダンデから出されているプレッシャーは相当なものだった。キバナは慣れているのか全く意に介していないが、バトルをしないロトムからすれば背中越しでも吐きそうになる。それほどまでに冷え冷えと燃える闘志を隠そうともしない。これで付き合っていないのだから、やってられない。なんとか上手いこと転がって、付き合うことになった暁にはどうなってしまうのだろう。そうなったらキバナが他人と食事に行こうものなら嫉妬で世界を火の海に沈めそうである。ロトムは人知れず重たい溜息を吐いた。
「タイトルコールとかもやろうぜ。『チャンピオンと!レッツ・クッキング!』みたいなさ。やっぱりそういう入り、定番じゃんか」
「そこまでするような配信でもないだろ」
「ええー」
「一応これプライベートだぜ。そこまで気合入ってると、こう、素に戻ったとき恥ずかしいだろ」
「んんー。オレさま、その感覚共感できない」
ダンデのロトムからは『すでに秒読みじゃないのか』と問い詰められているが、さてさて。彼よりもっとよく二人を見ているロトムからしてみれば、先はまだまだ長そうに思えるのだ。