ラッキーボーイ
はじめてのチャンピオンシップに、オレさまは静かに闘志を燃やしていた。やっとダンデと戦える。ようやく、ようやくだ。
あれからオレさまは寝食を惜しんでパートナーたちを鍛え、少々強引な方法でジムリーダーに着任し、そしてチャンピオンシップに最速で辿り着いた。思い通りにいかないことも多かったけれど。その一つが、オレさまへの評価だった。
ジムリーグで既にスタジアムデビューを果たしていたオレさまだったが、硬派なリーグファンからはイロモノ扱いされているのを知っていた。最年少記録でナックルジムリーダーになったオレさまとダンデの対戦が大注目される一方で、古いファンからは冷ややかに見られている。去年最年少チャンピオン誕生を許した前ジムリーダーはスランプ中で、その隙を狙って成り上がった運の良いガキだというのがそいつらの見解だ。もちろん違う意見もある。オレさまに好意的な意見も。でも好意的にしたって否定的にしたって、オレさまへの評価は運の良いやつどまりだった。実力はそこそこで、とびっきり若くて、顔が可愛いって。急成長中の注目株だって。これじゃ半分マスコットだ。『ラッキーボーイ』なんてダサいスタジアムコールまで頂いた。最悪だ。チャンピオンシップでようやく真価が問われるだろうってさ。
ジムリーグとチャンピオンシップじゃレギュレーションが違う。ジムリーグでは3on3だったのが、チャンピオンシップではフルバトルになる。だからトレーナーとしての本当の実力はそこで初めて分かるだろうってが評論家気取りたちは昼のワイドショーで言ってくれるわけだ。
舐めるなよ。
オレさまはずっと対策してきた。前ナックルジムリーダーに、ジムリーダー全員に、そして誰よりもダンデに対して対策を練り続けていた。だからこその結果だ。そうでなければ、今ここに立ってはいられないだろう。そしてオレさまが負かしてきた人間だって、全員が努力を続けてきた。オレさまへの侮辱はオレさまに負けたトレーナー全てへの侮辱だ。オレさまが幸運だけで彼らを踏みにじっていっただなんて、そんな風に言われるのは心外だ。だがその侮りも今日までだ。見せてやる。オレさまがどんな形をしているか、その目に焼き付けると良い。
スタジアムに轟く大歓声は、ダンデとオレさまの名前を交互に叫ぶ。オレさまは静かに目を瞑って、肌を震わせるほどの熱狂を浴びていた。不思議だった。この場に立てばもっと緊張するものだと思っていた。けれど、控室から通路を抜けて、芝を踏んで、スタジアムの真ん中で目が眩むようなライトを浴びても、オレさまの心は凪いでいた。指の一本くらいは震えるかと思っていた。けれど、申し訳なくなるくらいに平常通りだった。足が竦むこともない。ただただ淡々とその時を待っていた。
「ダンデ!ダンデ!」
「ダンデ!」
「ダンデ!」
ダンデのコールが高まっていく。オレさまが目を開けると、目の前にダンデがいた。もう真っ白なジムチャレンジ用のユニフォームは着ていない。剣と盾の意匠が大きく入ったユニフォーム。チャンピオンだけが許される、オリジナルユニフォームだ。スポンサーのロゴだらけのキャップをパッと取り払って、ダンデはにっかりと笑った。普通の少年みたいに。ここがスタジアムの真ん中なんて思っていないみたいな、くしゃくしゃの笑顔だ。
「悪い!遅くなったな!」
自然に右手が差し出されて、オレさまは自然にその手を握り返した。人懐っこい笑顔が眩しいけれど、チャレンジャーの時はこういう笑顔は殆どしていなかったように思う。バトルのときは別として、インタビューで笑っていたことなんかなかった。チャンピオンになって、カメラの前に立つようになってするようになった笑顔だ。それに、オレさまは少し傷付く。でも、そりゃそうかって話でもあるけど。初対面で、今からバトルしようって言うんだから。
オレさまは少しがっかりしてしまう自分を叱咤して、微笑んで見せる。悪い癖だ。勝手に人に期待して、理想と少しでも違うと一人で勝手に失望していく。それじゃ誰とも対等になんかなれない。最近、オレさまも少しずつ大人の世界に触れて、そういうことが分かるようになってきた。相手に求めすぎたら駄目だってこと。自分が変わらなくちゃ。自分が行動して変えていかなくちゃ、また同じことの繰り返しになる。分かち合える友達になんて、なれっこない。
「もしかして、迷子だった?」
「うん、知ってるのか?」
ダンデがきょとんと首を傾げる。その仕草が幼くて、オレさまは少し和んだ。方向音痴っていうのはあまり大々的に公式プロフィールに書かれていなかった気がする。それでも、ジムチャレンジからダンデに注目しているファンだったらすぐに分かると思うんだけど。
「……ダンデのこと、去年の夏休みの自由研究にしたんだ。公式に出てる情報全部かき集めて、バトルの分析もしてまとめてさ」
オレさまがそんなことを言うと、ダンデはにやっと笑った。
「どうだった?金賞はもらえたか?」
声を低くして、少しだけ顔をこちらに寄せてきた。そのとき、ふと不思議な香りがした。どこで嗅いだんだったか、考えるけれど分からない。でも、ダンデがどこにでもいる悪戯坊主みたいな表情でそんな話を振って来るから、オレさまも少し嬉しくなる。仲良くなれるかもしれないって。
「佳作だった。もっと情報を整理しなさい、だって」
オレさまが首を横に振ると、ダンデは笑った。その瞬間、またあの香りが鼻をくすぐる。そこでようやく気付いた。キャンプの匂いだ。焚火の匂い、炎の匂い。あの、湿った枝から香ると夜も少し安心できる匂いだ。その匂いが、彼の身体に、髪にその匂いが染みついている。きっと長いことワイルドエリアに籠っていたんだろう。まだ少し距離があるのに、間違えようもなくその匂いがしたのはそういうことだ。
「ははは。オレも君のことをずっと分析してた。今日、戦うなら君だろうって」
その言葉に、一瞬で胸が火が灯ったように熱くなる。「なんで、」と問おうとして、声が震えた。嬉しくて、胸がいっぱいで、どうしようもなくって。今思えば半泣きだったかも。バトル前なのに、カッコ悪いけど。
「だって君、みんなの言う『ラッキーボーイ』じゃないだろ?」
オレには分かる、と言われて、ますます胸が熱くなった。そうか、と思った。オレさまがテレビ越しにダンデの感じていることが分かったように、ダンデにもオレさまが分かったんだ。オレさまの実力を正しく見てくれる人がいた。よかった。オレさまはそれだけで半分報われた。
「さあバトルをしよう、キバナ。オレたちのとびっきりを皆に見せよう!チャンピオンタイムを楽しめ!」
ダンデがまたにかっと笑って、リザードンポーズを披露した。その瞬間に花火が上がる。すごい演出だ。ライトと花火の色が映って、金色の瞳が太陽みたいに輝いていた。
本当に、オレさまとバトルをするのを楽しみにしてくれていたんだ。その満足感と――――、でも、これでようやく一歩進んだだけだ、という思いがある。オレさまの望むことは、もう少し先のことだ。
もっと深く、もっと純粋に、もっと楽しくダンデと―――――バトルがしたい。ダンデがバトルが良いって言うんだ。だから、バトルをしよう。何回でも、何百回でも。
オレさまのすべてを、お前と分かち合えるまで。
◇◆◇
タペストリー
ダンデは、礼儀正しくオレさまが泣いていたのを黙殺してくれるらしい。ゆっくりと丁寧に扉が閉められた。ダンデが扉を閉めている間に、オレさまは急いで目尻に浮かんだ涙を払う。ダンデはたっぷりと時間をかけて向き直った。
「君は、本当にここが好きだな」
ダンデが笑いながらゆっくりと歩いてくる。天窓から差し込む光がダンデを照らした。スタジアムの通路からピッチに踏み出したときみたいに、悠々とした歩みだった。紫色の髪と黄金の瞳がきらきらと光を弾く。いつものダンデだ。その姿に動揺しなかったと言えば噓になる。けれども、ダンデにそんな動揺を見せたくなかった。意地、いや虚勢だって分かってる。それでもオレさまは笑って見せた。上手くできてる気はしないけど、それでもやらないよりはマシだ。すると、ぴたりとダンデの歩みが止まる。不自然な距離だった。会話をするにも、何をするにも。いつもならオレさまを見ればすぐに横に来て、他愛もない話をするのに。それとも、もうオレさまたちはそういう風に並び立つことも出来なくなったんだろうか。その、明らかに意図的に取られた距離に不安になる。
「ダンデ?」
オレさまが呼ぶと、途端にダンデの笑顔が崩れた。今にも泣き出しそうな子供みたいな顔で、それでも必死に笑おうと口角を上げようとしていた。その表情が痛々しい。
「キバナ。オレと、友達でいてくれ」
ダンデの声は今まで聞いたことがないほど震えていた。初めてインタビューに答えていた時だって、チャンピオンから陥落した時だってダンデがこんなに情けない声を出した覚えはない。がつんと頭を殴られたような心地がした。オレさまはダンデを傷付けたまま、ずっと放っておいたんだ。自分のことで手いっぱいで、どうしようもなく身勝手にダンデを蔑ろにした。そのことに思い至って、茫然としてしまった。
「迷惑だったなら、あの日のことは全部忘れてくれ。それで、また―――――」
ダンデはオレさまから目を逸らさなかった。オレさまは手を挙げて、慌ててそれを遮る。
「ダンデ。待ってくれよ」
弁明のチャンスがあるなら今しかない。ここで、すべての釈明をしなければならない。オレさまは軽く深呼吸をすると、ゆっくりとダンデに近付いていく。どうか逃げないで欲しいと祈りながら、一歩一歩慎重に歩を進めていった。知らず知らず、呼吸まで密やかになる。まるで手負いのポケモンを保護する時みたいにたっぷりと時間をかけてオレさまはじりじりと近寄り、ダンデの隣に立った。そして、その手首を大マックスバンドの上から掴む。それでようやく、大きく息を吐くことができた。
ダンデの顔を覗き込むと、ダンデの大きな瞳は困惑したように揺れていた。
「あのな……。オレさま、ずっと考えてた。お前とどういう関係になりたいのかって。答えはずっとあったんだ。それを、見せるよ」
オレさまは、タペストリーを指差す。正確には、タペストリーの四枚目だけを。
オレさまの理想。オレさまがずっと欲しかった形。
彼らがどんな関係性だったのか、本当のところは分からない。親友、ライバル、恋人、家族。どれであっても不思議じゃない。完全に対等になるように描かれた二人は、オレさまの夢見た「分かち合える」関係そのものだった。
オレさまだって、ダンデと語られるときはそうでありたかった。そういう風になれた瞬間なんかなかった。ダンデだけが、オレさまを認めてくれていたけれど、それだけじゃオレさまは満足できなかった。誰にも間違えられたくなかった。誰から見ても唯一無比の存在として認められたかった。
「あれ」
まだこれを正しく言語化できている自信はない。それでも、不完全でも良い。伝えたい。それが今までの償いになるわけではないけれど、それでもこれがオレさまなりの誠意だ。
ダンデがオレさまの指差したタペストリーを見つめていた。
「オレさま、ダンデとはああいう風に語られたいんだ。」
上も下もなく、優劣も超えて、ただ純粋に、対となる個と個として向き合っていたい。反目せず、分かち合い、永遠に人の記憶に残されていたい。そういう形を、オレさまはタペストリーに見出していた。それがずっと欲しかった。どうすれば手に入るかも分からずに、ただがむしゃらにダンデのライバルをしてきた。でも、もうそれだけでは追いつけないと分かってしまった。それだけじゃ不十分で、理想には至れない。分かっても、それでも諦められなかった。自分がどんなに高望みをしているかはよく分かっている。それでも求めずにはいられない。
子どもの夢想よりも甘い幻想だ。けれど、手放すには遅すぎた。
「だから、告白が嫌だったとかじゃないんだ。それだけは信じて欲しい」
「……そうか」
オレさまがダンデの顔を覗き込むと、ダンデはタペストリーから視線を外してオレさまを見上げた。
「俺とこうなりたかった?ずっと?」
「うん。きっと、お前と初めてバトルするよりも前から」
オレさまが苦く笑うと、ダンデは何かを考えるように髭に触れた。オレさまはそんなダンデの手首を、ぎゅっと握った。ダイマックスバンド越しでよかった。緊張して、手が震えてる。直接ダンデの肌に触れていたら、すぐに分かってしまっただろう。どんなバトルの時だって指一本震えなかったオレさまが、なんてザマだ。
「オレさまはお前と同じところに立ちたい。ダンデの見る風景を、オレさまは同じ場所から見てみたかった。お前と頂点に立ってみたかったんだよ。……そんなの、無理な話だけど」
オレさまがそう結ぶと、ダンデはパッと顔を上げた。そして心底不思議そうにオレさまを見る。
「無理?どうして」
「だって、チャンピオンは一人だけだろ?」
タペストリーの若者たちは、二人で王冠を戴いている。それもオレさまとしては羨ましいところだった。けれど、チャンピオンは一人だけだ。同時に二人ガラル・チャンピオンがいるなんてことはありえない。それだけは曲げられない。オレさまは深々と溜息を吐いた。叶うものなら、オレさまだってダンデと二人でチャンピオンをやってみたかった。そうなったら、とんでもなく愉快なことになっただろうに。
ダンデはまた何かを考え始めたらしく、俯き加減に口の中で何事かをぶつぶつと言い始めた。
「ダンデ?」
オレさまが呼びかけると、ダンデはパッと笑ってみせた。その顔にどきりとする。あの、初めてのバトルで見せた笑顔と同じだ。
「キバナ。きっと俺は君の望みを叶えられる。チャンピオンだったら出来なかっただろうけど、でも今なら出来るぜ!」
ダンデはそう叫ぶと、オレさまの手を解いて走り出した。オレさまは慌ててダンデを追った。ダンデは扉を乱暴に開け、そしてすぐにリザードンを呼んだ。リザードンは慣れたもので、すぐに空中に飛び立っていく。ダンデがその背中に飛び乗る。まるで野生のサルノリが木から木へと飛び移るかのような身軽さだ。
「君の望みを叶えたら、もう一度だけ告白させてほしい。それから返事をしてくれ!」
そう叫んで、ダンデは大きくオレさまに手を振った。オレさまは唖然としてダンデを見上げているが、ダンデの方はそんなオレさまに構っていられないのか、大きな口を開けて笑っていた。
「二人で頂点へ行こう!」
ダンデはそう言って、また手を上げた。リザードンポーズは逆光になって、ほとんど見えなかった。