天啓
オレさまの人生は、九歳の頃にほとんど決まってしまった。テレビでチャンピオンシップ決勝戦に進んだアイツを見て、それで。
オレさまもあそこへ行こうと思ったんだ。アイツが見ているものを、一緒に見ようって。
ガラルの夏休み最後の日曜日のお楽しみと言えば、チャンピオンシップの決勝戦の生中継だ。子どもたちはリアルタイムで見たくて必死に宿題を終わらせる。オレさまだってそうだ。面倒な作文や、自由研究なんかも全部終わらせて、リビングのふかふかのラグの上に陣取って今か今かとその瞬間を待っていた。今年はなんてったってものすごい大番狂わせが起こった。十歳のジムチャレンジャーが決勝戦進出だ! 毎年チャンピオンシップはお祭り騒ぎだけど、今までで一番盛り上がってるし、注目されてる。連日ニュースは十歳の少年の動向を追いかけるのに忙しくて、オレさまもそれを追いかけるのに大忙しだった。その少年は、堂々と選手入場してきた。まっすぐ前を向いて、落ち着いているように見える。ドローンロトムが正面に回り込んでも少年はおどおどしたり、変に笑ったりしなかった。全然動じてない。これでオレさまよりも年が一つしか違わないんだぜ。すごい、なんていうか、カッコいい!
「パパ、ママ! 始まっちゃうよ!」
「はいはい」
「もう少し下がりなさい、テレビに近いぞ」
パパとママはオレさまの頭を撫でてソファに座った。ソファのサイドボードにはお酒とチーズ、クラッカーにハム。ママはオレさまの傍にポップコーンとキャラメルソースの瓶を置くのも忘れなかった。オレさまは言われた通りにクッションをほんの少しだけ後ろに寄せると、もぞもぞおしりを動かして後ろに下がったふりをする。
「キ、バ、ナ」
見咎めたパパが苦く笑いながらたしなめるようにオレさまを呼んだ。
「……はあい」
オレさまはしぶしぶソファの近くに動いた。ずるずるとポップコーンが入ったボールを引き寄せる。テレビを見た。会場の熱気は最高潮。いよいよだ!
誰もこの光景を予想していなかった。それだけに会場はものすごい歓声だ。誰もが少年の名を叫ぶ。
『お聞きください、このコール! 最年少で頂きに挑む少年を、ガラル全土が応援しています!』
実況のアナウンサーが興奮気味に叫んでいる。少年の反対側から、ドラゴンユニフォームを纏った男が現れた。前チャンピオンのピオニーさんが突然引退して自動的にチャンピオン役をやることになった人だ。ガラルのトップジムリーダー。チャンピオン不在だって言うのに、いや、チャンピオン不在だからこそスタジアムは大歓声に包まれていた。
もしかして。いや、まさか。でも。ひょっとすると。きっと。
ううん、ぜったい!
チャレンジャーにとっても、ジムリーダーにとってもチャンピオンになれる千載一遇のチャンスだ。こんなに熱くなるマッチング、他にない。
「どっちが勝つと思う?」
「ダンデ!」
パパに振られて、オレさまは即答した。パパは笑いながらエールの瓶を開けた。
「この前までナックルジム・チームがカッコいいって言ってたのはどこの誰だ?」
皮肉っぽく言われて、オレさまは少しムッとする。パパはちょっと前にオレさまが言ったことを引き合いに出して、こんなふうに言ったりする。確かにオレさまはナックルジムが好きだ。来月からはナックルジムのジュニアクラブにだって参加する。でもそれとこれとは話が別だ。どうしてそんな簡単なことも分からないんだろう?
どこの家でも、パパって言うのはそういうものなのかもしれないけど、でもムッとしたオレさまの気分は良くない。オレさまはむっつりとクッションを抱いて、テレビを睨んだ。ママが小声でパパをたしなめる。
テレビの中では、ダンデとジムリーダーがトレーナーズポジションに着いたところだった。ホイッスルが鳴る。両者、同時にボールを投げた。
「それはそれ。だってダンデ、ジムチャレンジでジムリーダーに勝ってるんだぜ」
ダンデはギルガルド。対するのはオンバーン。ジムリーダーのオンバーンは斥候タイプ。素早さを活かして初手ちょうはつで積み技を牽制、はねやすめで粘りながらとんぼがえりで帰っていくのがお決まりだ。特性のおみとおしも相まって、手の内を丸裸にされやすいのが難点だ。さて、ダンデはどう出る?
『キングシールド!』
『かえんほうしゃ!』
ここで押すのか! ジムリーダー、らしくないな。でも嫌いじゃない。ダンデもちょうはつされても良いからキングシールドで様子を見ることを選択したんだろう。読み合いがもう始まってる。思わず腰を浮かせてテレビににじり寄りたくなるのをぐっと堪える。
「あれはジムチャレンジだからでしょう? チャンピオンシップに出てくるパートナーたちがジムリーダーの本命よ」
ママがオレさまに諭すように言ってくるけど、でもオレさまも暇じゃない。今、テレビから目を離したらきっと一生後悔する。目に焼き付けなくちゃ、と思った。オレさまは、ダンデの一挙手一投足まで見逃したくなかった。
「でも、ダンデが勝つ」
ぶっきらぼうに返すと、パパとママはソファの上から笑った。
「すっかりファンね」
「サインでも貰いに行こうか」
「サイン? 誰の?」
意味が分からなかった。ジムリーダーのサインはもう五歳のときに貰っている。もう一枚必要だとは思わなかった。だって、この人はチャンピオンにはならない。ダンデがいる限り、それはない。肩書が変わったならともかく、今ジムリーダーのサインはオレさまに必要だとは思わなかった。
それに、オレさまには確信があった。ジムチャレンジのダンデの試合を見てから、ずっと揺らがない確信が。
オンバーンがとんぼがえりで戻り、代わりにバクガメスが出てくる。バクガメスがラスターカノンを受けたがそんなにダメージは入らない。バクガメスならギルガルドに有功打が期待できる。でもギルガルドにはさして対応できる手はない。さてどうする、ダンデ。
カメラがダンデを大写しにする。ダンデは、楽しそうに笑っていた。それでもその眉根は硬く寄せられている。楽しくって苦しいんだな。分かるよ。オレさまには分かる。楽しくって、内臓が暴れ出すような興奮を必死に押さえ込んでダンデはスタジアムに立っているんだろう。いつだってそうだ。ダンデはそうやってバトルを楽しんでる。
初めてダンデの試合を見たときに、オレさまは衝撃を受けた。なんて楽しそうに、獰猛に、それなのに理性的で戦略的なバトルをするんだろうって! こんなトレーナー、他にいない。バトルの最中はこんなに楽しそうなのに、でもまだまだ足りてないって思ってる。オレさまにはそれが分かった。なんとなくだけど。直感でしかないけれど、確信があった。飽き性のオレさまだから、満足できてない奴のサインが見えたのかもしれない。
それからオレさまはダンデに、ダンデのバトルに夢中になった。嵐のなか、稲妻に魅入られるみたいに目が離せなかった。だから、オレさまはダンデを徹底的に研究した。そして、仮想ではあるものの、どんなパートナーたちならダンデに勝てるかってシミュレーションを何回も繰り返した。それこそ、この夏休みを全部使って。
ダンデは長考に入ったらしく、その顔から少し笑みが薄れた。一瞬目を閉じて、開ける。そして、にんまりと笑った。さあ、引くのか、押すのか。良いこと思い付いたって顔だ。成功すると良いな、とオレさまは心の中で応援する。知らず知らず、拳を握っていた。
「ダンデくんのサイン」
ダンデのサイン?
言われて、オレさまはぞっとした。オレさまが、ダンデのサインを欲しがるだって? そんなことは絶対にない!
オレさまは苛々した。パパとママは全然分かってない。オレさまはこのひと夏、ずっとダンデの研究をしてきた。確かにその研究をまとめて夏休みの宿題にもしたけど、でもそれはファン心理からなんかじゃない!
「いらない。オレさま、ダンデとはチャンピオンシップで会うもん」
オレさまがぼそぼそと答えると、パパとママは「ん?」と聞き返した。オレさまは振り返って、パパとママを睨むようにして見上げた。
「だから、オレさま来年ジムチャレンジしてダンデに勝つから!」
オレさまがはっきりと宣言すると、パパとママは驚いたような顔をした。でも、オレさまからしてみればパパとママが驚いた方が驚きだ。なんのためにナックルジムジュニアクラブに入ったと思ってるんだろう? あんなに難しい試験をたくさんやったのは、チャンピオンシップに行くためだって何で分からないんだろう?
『ここでダンデ選手、オノノクスに交代だ!』
ダンデが引いた! オレさまはすぐにテレビに再び齧りつく。心の中で、いけ、いけ、とオレさまはダンデの応援をした。
◇◆◇
抜け殻のような日々
ダンデと会っていない。もうずっと会えてない。オレさまから連絡を取るのも、なんとなく気が引けて、気軽に声を掛けるのも憚られて。
「いっ……」
いてえ、と叫びそうになったのを、喉にぎゅっと力を込めて飲み込む。指先からつうっと一直線に血が流れた。それを見て、少しずつ喉に入れた力を緩めて息を吐く。代わりにどんどん眉間に皺が寄っていくのを感じた。このくらいで大騒ぎしてもしょうがない。それにここも一応職場だ。資料や備品を汚さないように処置はしなきゃならないが、でも一人で対応できることなら人に心配かけることもない。
あれからずっとこの調子だ。どうも調子が悪いと言うか、トラブルが続いている気がする。毎日なにか虚しくって、何をしても身が入らなくて、自分の感情が鈍くなっているのを感じる。別に、まったく楽しいことがなかったわけじゃない。それでも、いつもより一歩引いてしまう自分をどうしようもなく自覚している。抜け殻になったみたいだ。
「キバナ様、大丈夫ですか?」
受付にいたヒトミが声を掛けてきた。少し手を隠すために、パーカーのポケットに手を突っ込む。露骨だったかな、と思ったがもう遅い。資料を山の一番上に戻して立ち上がる。バネの緩いソファはギ、と奇妙な音を立てた。そして、ふとタペストリーを見に行こうと言う気になった。
調子が上がらない時はいつもタペストリーが見たくなる。そうじゃなくても宝物庫には入り浸っている。何かを見失いそうになったときとか、オレさまが最初にどう感じたのか思い出したくてオレさまはちょくちょくあの部屋に入り浸っていた。まあ、時間が空いたときとかも来てるんだけどさ。おかげでダンデも――――。
そこでオレさまの思考は止まった。あまり考えたくない。ダンデのことは、今、考えられない。あの日のバーを思い出すから。
「ちょっと切っただけだし、大丈夫だぜ。止血してくる」
「いってらっしゃいませ。上には誰も通さない方が宜しいですか?」
ヒトミは何でもない顔をして、そんなことを言った。バレてる。そんなに分かりやすかったかな。もう自分じゃ分からない。どうも整理がつかなくてウジウジしすぎているんじゃないかって思う。
「……頼む」
「はい。それではごゆっくり」
ヒトミは軽やかに微笑んで、また正面に向き直った。宝物庫の受付嬢はとても生真面目と評判だ。オレさまはひらひら手を振って、階段を上がっていく。
ダンデの告白は、オレさまに衝撃を与えた。これからどうしようか、何度も考えようとした。けれども、どうしたいんだと問われると何も言えなくなる自分がいる。対等になりたい。でも、対等ってどういうことだろう。オレさまの求めるものって、いったい何だろう。今更だ。今更すぎて笑っちゃうけど、でも、考えなくちゃ始まらない。直感的にダンデと対等になりたいって思ったけど、じゃあ、オレさまはどうなればダンデと対等だと胸を張れて、満足できるんだろう。つらつらと答えの出ないことを考えながら、重たい扉を開けた。
宝物庫のタペストリーの間はいつでも空気が澄んでいる。足を止めて深呼吸する。天窓から降り注ぐ光が暖かくて心地良い。さっきまでぐるぐるしていたものが、ここに来ただけ少し解れる。ダンデとも、多くの時間をここで過ごした。
オレさまは、とりあえず一枚目からじっくりと見ていく。これもお決まりだ。まず、二人の若者が異変に気付く。そして戦乱が起こる。若者たちは剣と盾を以てそれを鎮める。そして――――。
四枚目だ。オレさまは四枚目のタペストリーが好きだ。描かれている二人の若者。二人で王冠を頂き、二人で手を繋ぐ。二人の間には三色の虹がうっすらと描かれていて、見つめ合う二人の大きさはまったく同じだ。それをオレさまは、心の底から羨ましいと思う。オレさまもこうなりたかった。オレさまは、ダンデとこういうふうに語られたかったのに、どうしてこうなってしまったのだろう。この二人のように、オレさまは誰にもそれを間違えられたくなかっただけなのに。
オレさまとダンデがタペストリーに描かれるとしたら、きっとこうはならないだろう。ダンデの方が大きく描かれるだろうし、王冠は一つだけだ。手も繋がないだろう。吠えたてる小さなオレさまと、悠々と大きく描かれるダンデ。それを思うと泣きたくなる。欲しかったものの形は目の前にあるのに、こんなにも遠い。どうしたら良いのだろう。
紙で切った指先がじくじく痛む。ダンデの告白を受け入れたとして、オレさまは変われるんだろうか。ダンデと釣り合いがとれるようになるんだろうか。
途方もない願望だ。分かっている。でも、不可能じゃないってことも、オレさまは知ってしまった。マサルとホップはタペストリーの二人に近い。それならオレさまとダンデにだってチャンスはあるはずだ。でも、ここからどうすればああなれるんだろう。
十年。十年かけてもオレさまはそこに至れなかった。あとどのくらい、なにを賭せば成せるのだろう。何も思いつかない。じわりと涙が滲んだ。
「—————キバナ、やっぱりここにいたな」
「……あ、」
振り向くと、ダンデがいた。最悪だ。