チャンピオン誕生
「見た?」
「見た見た。マジでヤバいよね」
「史上最年少だって」
「アレでうちらの一つ上とかさー」
「ホントに、誰でもチャンピオンってなれるんだね」
「ねー」
その日の話題はひとつきり。朝、学校の廊下で囁かれているのも全部あの話だ。皆昨夜の興奮が残っている。普段は大人しい子もお行儀悪く扉を塞ぎがちに立って、他のクラスの子と大きな声でくっちゃべっていた。気持ちはわかる。オレさまだって、誰かとこの興奮を分かち合いたくて、家から全速力で走ってきた。久しぶりに、学校に行くのが楽しみだった。ワクワクで胸がいっぱいだ。みんな主語はなかったけど、でも全員分かっていた。今日は間違えようもない。
ビッグニュース!
若干十歳二ヶ月と三日、史上最年少。その上初めてのジムチャレンジでチャンピオンになったダンデは、一夜にしてガラルのヒーローになった。昨日はその決勝戦だった。オレさまも見た。と言うより、見なかった方が少数派だろう。塾や習い事で見れなかった奴も、録画かニュースのハイライトで見てきたはずだ。歴史的な瞬間だった。試合内容も圧巻の一言。キョダイゴクエンでフィニッシュだぞ! そんなのカッコいいに決まってる。恐らくこの最年少記録は誰にも破られない。それこそジムチャレンジ出来る年齢が変わらない限りは殆ど無理だろう。ガラルの新しい歴史の始まりだ。何かが変わる。昨日までとは全然違う今日になったら良い。息を弾ませて、教室に飛び込む。
「おはよう!」
オレさまは意気揚々と、大声で挨拶した。何人かがサッとオレさまの方を振り向いて、そして「なーんだ」みたいな顔して各々のおしゃべりに戻っていく。その他の反応はまちまちだ。未だにどうしようって迷いながら、そっとオレさまから視線を外す子。ぼそぼそと独り言みたいに返す子。それぞれ違っていても、オレさまと同じような大きな挨拶はひとつも返ってこなかった。オレさまを遠巻きに始まるざわめきに、胸いっぱいにあったワクワクが、針で突かれた風船みたいに萎んだ。オレさまはがっかりして、のろのろと自分の席に着く。
久々に、皆と盛り上がれるんじゃないかって思ったのにな。バトルのことだったら、もしかしてって。そうなっても良いように、ちゃんと決勝戦の試合を何度も見返して、何聞かれても良いように対策してきたのにな。
ーーー最近、いつもこうだ。
オレさまがナックルジムのジュニアトレーナークラブに合格してから、皆妙によそよそしくなってしまった。ジュニアって言うのは、まあ言ってみればジムトレーナーの見習いってところ。習い事で教えてもらうポケモンバトルよりもプロになることを意識したクラブ。入会前に試験があって、年に数人しか合格者は出ない。規定年齢に到達するまでにジムチャレンジして、バッジを全部集めればそのままジムトレーナーに昇格。規定年齢を超えてもバッジを集められないようなら強制退会。シンプルで分かりやすいけど、それだけに厳しいクラブだ。休日に学校の校庭でやってるクラブ活動よりも、もっとプロの世界を意識したジム直営クラブ。それがジュニアだ。
もちろん、ジム直営じゃないクラブもある。さっき言ったように、ポケモンバトルを習うって言ったら日曜日に学校でやってるクラブに所属するのが一般的だ。でもやっぱりナックルっ子はジュニアトレーナークラブに所属したいものなんだよ。地元だし、何よりジム直営クラブってカッコいい。ジュニアの特典は、やっぱり週に何回かジムリーダーやジムトレーナーに直々に稽古をつけてもらえること。ヒーローに教えてもらえる機会なんて早々ないもんな。
ジムチャレンジを来年に控えて、オレさまたちの学年はジュニアクラブに入会できる年齢に達していた。クラブの試験を受けたのはオレさまだけじゃない。クラスの半分くらいの子が応募してた。知ってたよ。皆がジュニアに入りたがってるのも、そのために頑張ってるのも知ってる。でもだからって、オレさまだけが受かったからって、こんな風に態度を変えられるなんて思ってなかった。
ここで、「なんだよ、ちぇっ」って拗ねた態度を取るのは簡単だ。でもさ、オレさままでそんな風になったら……。もしも、もしもだよ。もし皆がオレさまともう一回だけでも話がしたいって時に困らないかなって思うんだ。だから、オレさまは静かに待ってる。鞄から教科書を出して、片付けて。ホームルームまでまだまだ時間があるのにやることがない。暇だ。
楽しそうな皆を遠巻きにぼんやり見ていると、何が悪かったんだろうなって考えてしまう。オレさま、友達っていうのは分かち合えるものだと思ってたんだよ。だからオレさまがジュニアトレーナークラブに受かったのも隠さなかった。クラスで試験を受けた子は誰も通ってないだろうなってどこかで分かってた。それでも一緒に喜んでくれると思ったんだ。でも、違った。彼らはオレさまが堂々と「受かったぜ」って言ったら、みるみる泣きそうな顔になって、それから手負いのポケモンみたいな表情でオレさまを睨み上げた。それからずっと、こんな感じ。
今回のことで、オレさまは何ていうのか、傷付いたとかじゃなくて、ガッカリしたんだ。オレさま、友達は大切にしたいって思ってきたし、そうしてきたと自分では思ってる。分かち合えるものは分かち合うようにしてきたと思う。徒競走で負けても友達が喜んでいたら祝福したし、テストの点数で勝てなくても顔ではちゃんと笑ってた。腹の底では悔しくって、真っ黒くて熱いものがぐるぐる暴れていたって、友達には見せないようにしてた。だから、こんなことでって思うし、半分くらい「そっかあ」みたいな諦めもある。そう、諦めちゃったんだ。あんなに一緒に遊んでて楽しかったのに、でも今はスーッて気持ちが引いてしまって戻ってこない。どっちかって言うと、そういう冷たい自分が嫌になってる。
まださ、そんなの理不尽じゃないかって怒ったり悲しんだりした方が良いんじゃないのかなって思うんだ。そうしたらちゃんと皆と喧嘩になって、仲直りだってテンプレートみたいな「ごめんなさい」の言い合いで済んだかも知れないのに。でも、オレさまはそれを選ばなかったんだ。喧嘩をしたい訳じゃないし、別にオレさまは悪いことをしていない。だからオレさまが率先して何かを変えなきゃいけないとも思わないんだよな。困ってるわけでもないし。完全に無視されてるともちょっと違うし、いじめを受けてるとかでもない。ただひたすらに遠巻きにされてるだけ。授業でペアを作れと言われてあぶれることはないし、日直の引継ぎだとかは普通にされてる。その程度には皆もオレさまも大人で、でも完璧に解決できるほど大人になりきれてないだけ。だからこの状態をどう言ったら良いのか、オレさまは分からない。
ぺたんと机に突っ伏して、オレさまは目を閉じた。
友達が欲しい。なんでも分かち合える友達が。気兼ねをしなくて良くて、本音をぶつけあえる存在が。
◇◆◇
例の本
休日の昼下がり、どうも何かをしようという気にならなくて、だらだらとソニア博士の例の本を読み耽っていた。窓際に作ったベンチにお気に入りのクッションを持ち込んで、足を折り曲げて小さな空間に収まっていると気持ちが落ち着く。ポットが空になって随分経つけれど、立ち上がって淹れ直す気になれなかった。表紙をなぞって、もう一度お気に入りの箇所を開く。もう何度も読んでいるけど、なんとなく。本に癖がついてしまうほど、オレさまは何度も一文をなぞっていた。
そうしてだらだらしながら、客人を待っている。そういう時間が、嫌いじゃなかった。
『こうしてムゲンダイナは、二頭のポケモンと二人のトレーナーによって鎮められました』
論文発表から間もないのにもう本として刊行されているなんて、驚異的なスピードだ。おばあさまに似て、彼女も筆が早いらしい。
マグノリア博士も、ガラル粒子発見から10年は驚くべき早さで論文を書き続けていた。マグノリア博士の論文は、何というか容赦がない。一度書いた持論は、訂正でない限り二度と解説しないスタンスだからだ。しかもデータと数式にあまり解説を入れてくれない。マグノリア博士からしたら「数字で示せば皆さんにも分かるでしょう」と言うことなんだろうけれど。おかげで最新の論文は発表後に他の研究者によって膨大な解説と注釈が付け加えられる。それでようやく、大学生はマグノリア博士の論文を読み下せるという有様だった。存命の研究者だって言うのに、マグノリア研究なんて分野もある。
オレさまも、職業柄ガラル粒子論については触ったことがあるけれど、一行目から威圧的で目を回した覚えがある。だって、いきなり「今日、ダイナミクス転用システムに於けるポケモンバトルの安全性の保証が急がれる。この論はシステムの安全性を担保せんがために筆を執るものである。事態は一刻を争い、一人でも多くの研究者による協力が不可欠だ。長々と講釈注釈を付け加える暇も惜しく思われる。故に諸兄が既に拙論『ガラル粒子論』および『エネルギー転用論』を理解したものとして論を進む」云々だぜ。オリーブさんなんかは前まで地下プラントの運用をしていたから何もなくても大方理解できてるみたいだけど。オレさまは完全に文系なので、そもそも数式がずらずら並ぶような論文に慣れてない。解説書片手に何日もうんうん言いながら読んだ。あんまりにもハードな論文で、随分参った記憶がある。でも、そういう書き方をしなければダイマックスもパワースポットの安全性もこの短期間で担保されなかっただろう。何世代もかけて行うべきことを、彼女はたった一人でやってのけた。彼女が10年、フル回転で研究と執筆に捧げてくれたおかげで今日のガラルがある。
あの論文を思えば、ソニア博士の本のなんと優しいこと。語り部が物語を紡ぐような優しい語り口の文体。おかげで専門知識のないティーンでも、学校で習った歴史の知識と読解力さえあれば読み切ることができるだろう。ガラルの歴史を大きく塗り替えたソニア博士のポケモン史論は、今や定説として語られている。それもそうだ。ガラルの住民の殆どが「剣と盾のポケモン」の存在の生き証人であり、否定する余地がない。
次の本ももうすでに書き上がっているという噂もある。ソニア博士の一族はそういう、最新研究に必要なスピード感がずば抜けていると言えるだろう。
オレさまももう何回も読んでいるけれど、でも何回でも読みたかった。英雄が二人だという証明。そのことに、オレさまはとても嬉しく思っている。あのタペストリーを見たときの衝撃も喜びも、間違いではなかったんだと思える。
窓の外にザッと大きな影が横切った。お、と思って顔を上げると案の定だ。見慣れたリザードンの背中に乗って、ダンデが笑っていた。
「キバナ、おじゃましても良いだろうか?」
そう言いながら、紙袋を掲げた。紙袋に書かれた店名にニヤッとしてしまう。あれはエンジンシティの有名な店のものだ。気が利いてる。
最近、ダンデとの交流はライバル同士というよりも友人の色を濃くしていた。お互いをたまに自宅に招いて、バトル論議に花を咲かせることがある。そして脇に逸れるように、世間話をしたりもした。
オレさまは窓の横にある本棚に本を押し込めると、立ち上がった。
「待ってな、今開ける」
玄関口からでは迷ってしまう、とダンデは専らこの窓から出入りをしていた。窓を開け、ベンチの下にあるマットを来訪者のために被せてやる。リザードンが恭しく頭を垂れると、ダンデは少し身を屈めてひょいっと入ってきた。その身のこなしは平坦な地面を歩いているように軽やかで恐れがない。そして床に降りるなり、ダンデはずいっと紙袋をオレさまに寄越した。
無造作に紙袋を突き出されて、一瞬何をされたのか分からなかった。今日はチャンピオンのユニフォームでも、バトルタワーで纏っているあの仰々しい服でもない。ただのTシャツにジーンズを合わせただけの格好をしているのに、この男は常にどこかしら偉そうだ。思わず苦笑いが漏れる。受け取れ、とか何か一言あっても良いだろうに、ダンデはその一言を省略しがちだ。ただ、目だけで語る。チャンピオンらしい傍若を演じているのかと思っていたが、どうも素でやっているらしい。そういう一面を知れたのも、こうして休日をともにするようになってからだ。
「どーも」
「フィナンシェは好きだったか?土産に貰ったんだが、流石に食べ切れる量じゃなくてな」
「ん、ありがとう。紅茶にする?それともコーヒー?」
「どっちでも構わないが、冷たいのが良いな」
オレさまが受け取ると、ダンデは屈託なく笑った。そしてそういう注文を悪気なくつける。コーヒーも紅茶も、アイスにするなら一手間かかる。まあダンデは自分で淹れないから知らないんだろう。まあ用意してあるけどさ。今日は日差しが強いから、シュートから飛んでくると汗ばむだろうって踏んでたし。
フィナンシェなら今日はコーヒーだ。オレさまはダイニングの椅子を一つ引いてやって、それからおやつの準備を始めた。からん、からんと小気味よく氷がグラスに入っていく音が響く。
「読書中にすまなかった。何を読んでたんだ?」
座りながらダンデが本棚を指す。オレさまはそれをちらっと確認する。何度見ても不思議な光景だ。あのダンデが、オレさまの家に来てダイニングチェアに腰掛けているだなんて。でもそれに言いようのない充実感を感じていた。
「ソニア博士の本。献本されたんだ」
オレさまが答えると、ダンデは一瞬虚を突かれたような顔になった。でもその顔を晒したのは本当に一瞬だけで、すぐに取り繕うように笑った。けれども視線が泳いでいて、誤魔化しが上手くいっているとは言えなかった。
「……ソニアから?そんなに親しかったとは知らなかったな」
ソニア博士の名前を出しただけでコレだ。ジムチャレンジの同期で幼馴染とは聞いていたし、彼女がトレーナーを辞めたときのダンデの荒れようも人伝に聞いている。オレさまとしても彼女に思うところがないわけじゃないが、ダンデは未だに彼女のことを完全に乗り越えられたわけでもなさそうだ。
「そうじゃなくて、資料協力したから。タペストリーとか、それにまつわる二次資料とかな」
「ああ、そうなのか?」
オレさまが説明してやると、ダンデは明らかにほっと息を吐いた。あんまりにも露骨で笑ってしまう。
「読んでねえの?」
「凡そのことは知っているからな」
「勿体ねえな」
オレさまは準備を一旦中止して、本棚から例の本を取り出した。該当のページを開く。栞を挟んでいるわけでも、端を折っているわけでもないのにそのページは簡単に見つかった。35ページ。大きくタペストリーの4枚目の複写が載せられている。絵の下には「タペストリーの4枚目。ナックルシティ宝物庫蔵」と簡単な言葉が付けられている。それを指でなぞってやると、ダンデはゆっくりと文字を追った。
「読み込んでるな」
「タペストリーが大きく扱われてると、なんか嬉しくなっちゃうんだよなー。身贔屓っていうかさ」
オレさまが言うと、ダンデは「そうか」と言って朗らかに笑った。そしてまた本に視線を落とした。長い睫毛が、頬に影を落とす。スタジアムで見せる激しさを微塵も感じさせない。ただ、整った鼻筋がいやに目を引いた。
「好きなんだな」
好き、と言われてオレさまは曖昧に笑うしかなかった。こんなに憧れているものを、たった一言、簡単に「好き」だけで乗り越えられる勇気がなかった。でも、それを一から滾々と述べる気にもなれない。
それはとてもーーーー子供っぽい夢物語のような気がして。