水平を求める
理科の実験が好きだった。と言うよりも、普段使わないような器具をがちゃがちゃ弄っているのが楽しかったと言うのが正確なのかもしれない。実験の準備はワクワクした。ビーカーに薬品を入れてスポイトで一滴単位で正確に分量を測るのは、なんだかマンガのマッドサイエンティストになったみたいでドキドキした。
特にオレさまのお気に入りは上皿天秤だった。初めて触ったときは、分銅と小麦粉を釣り合わせたんだったかな。作業としては単純だし、エンターテイメント性も何もないとは思うんだ。でも、小さな匙でちょいちょい調整したりするのに異様にワクワクしたのを今でも覚えている。今にして思えば、きっと違う性質のものを釣り合わせるっていうのが快感だったんだよな。その時はこんなふうに言葉に出来なくって、「なんか好き」くらいの感じだったんだけど。一方にはコインを一枚、もう一方には塩を一匙。ぐらぐら傾いでた天秤がピタッと釣り合うと、なんか誇らしくなったもんな。なんでそこでドヤってんのか、自分でも分かんないんだけどさ。で、釣り合わせるのも好きだったし、水平になってる天秤をボーッと見てるのも好きだった。砂時計を見つめてる感覚に近いって言えば伝わるかな。なんかさ、考えなくてもいいんだよ。ただボーッと釣り合ってるって事実をずっと噛み締めていられた。片付けたり、次の作業に行くのがもったいないって思うくらい好きだった。何なんだろうなあ、アレ。
でさ、オレさま秤が好きすぎて秤をねだったことがある。親は「絶対にすぐ飽きるんだからやめておきなさい」って言うんだけど譲らなかった。理科の実験だとさ、授業だから他の子も使うわけじゃん。オレさまはそれがちょっとだけ不満だったんだ。もっとたくさん使いたい、もっといろんなものを測ってみたい、自分だけの秤があればなあって。そしたら何でも測れるのになあって。まあ子供だから思いつくことなんてそんなもんだ。単純だよ。
でも親としちゃさ、なんで秤?って思うわけだ。今ならよく分かるけど、子供が自分の秤を欲しいって言い出すとちょっと困る。どこで手に入れようとか、どのくらいの値段のものかもパッと分からないし。ゲームソフトなら6000円くらいだろ、とか目星もつけやすいんだけど。そしたら買ってあげようとか、他のものにしなさいとか即答出来るのに。しかも、インテリアにするならともかく、おもちゃにするって言うんだからもっと困る。実用品の秤なんて、ホントにどこで売ってるんだって話だよ。
親がやめておけって言うのも、もう一つ理由があってさ。オレさま凄い飽き性だったんだよ。友達とやりなさいって言って買ってもらったパーティーゲームも3日で飽きるし、他のおもちゃだって半日で見向きもしないなんてザラでさ。それなのに暇は大っ嫌いとくるんだから子供を育てるのって大変だ。ママはいつも5歳のオレさまの機嫌を取るのに手を焼いてたよ。そんなんだから怒られるっていうか、お小言はたくさん頂戴してた。
オレさまがあんまりにも欲しい欲しいって言うから、そのうち離れて暮らしてる婆ちゃんの耳にも入った。それで、「学校で使ってるような上等なのじゃないけど」って、古い天秤を寄越してくれた。婆ちゃんの天秤はくすんだ金色で、やたらに大きかった。重りはいくつか欠けてたけど、十分だった。婆ちゃんの嫁入り道具だってママが教えてくれた。ママが結婚するくらいまでは、パイ生地作るためにこれで粉を測ってたんだって。
「でも最近は電子はかりの方が便利なの。パイ生地だってスーパーで買えるようになったしね。そろそろガレージセールに出そうかしらって思ってたのよ」
婆ちゃんはそう言って笑っていた。オレさまは電話越しに何度もお礼を言って、早速天秤で家中のものを測り始めた。測るものは無限にあった。ペンに始まって、つみき、お気に入りのイエッサンのぬいぐるみ、フォークやナイフ、鍵、ビニール袋、歯ブラシ、靴紐なんかも測ったな。天秤の皿に入るものなら何でも測った。
測るのが終わると、次は何でも釣り合わせたくなった。この釣り合わせるっていう遊びにオレさまがどれだけ夢中になったか想像できるか? それこそ、家中大騒ぎだった。ヌメラのキーホルダーの相手にはフォークは重すぎる。ティースプーンじゃ少し足りない。ペンは軽すぎるし、かと言ってコインじゃお話にならない。全然違うものを、ぴったり釣り合わせたかった。
結局ヌメラのキーホルダーは自転車の鍵と釣り合った。オレさまは小一時間の奮闘の後、ついに天秤に完全な水平をもたらしたんだ。その時の満足感ったらない。オレさまは小躍りして喜んで、それから釣り合った天秤をずっと、それこそ親に呼ばれるまでひたすら眺めていた。変化は何もないのに、オレさまはずっと天秤を見ていられた。この水平に、何ていうか、ちょっとしたエモさを感じてたんだよな。全然違うもの、一見したら共通点のないふたつのものが実はぴったり同じ重量だっていうのに運命的なものを感じてた。そんで、そこから生まれた均衡が水平って形でオレさまの目の前にあるっていうのも感動的で。憧れじゃないけどさ、いつか誰かとこういうふうになれたらなあと思ったんだ。その時は、誰とだとか、そういう具体性は何にもなかったんだけど。
◆◇◆
チャンピオン陥落から
チャンピオンじゃなくなったダンデは、ようやく肩の荷が下りたと言わんばかりにやりたいことをのびのびやるようになった。それはプライベートでも変わりない。ダンデからはいろんなことに誘われるようになった。プライベートでのバトルはもちろん、食事、キャンプ、一回だけジムトレーニングも一緒にやった。それとは別に、朝のロードワークも何度か一緒にやってみたな。いや、朝食の美味いカフェがあるって言うから、そのついでにって話になって。ついでに予定を足せれるくらいには、お互いに余裕ができたってことなんだろう。ダンデがチャンピオンだった頃は絶対にできなかった。
そういうふうに気軽に声がかかるようになって、オレさまからもようやく気兼ねなくいろいろ誘えるようになった。映画とか、ツーリングとか、ショッピングとか、そういうまとまった時間が欲しい遊び方も出来るようになった。やっぱりオフの日がバラバラの職業だと、予定を合わせて遊ぶのって難しい。でも今はバトルタワーの休館日がそのままダンデの休みだってハッキリしてる。この一年分くらいの予定はすでにウェブ上で公開済みだから、誘う方も誘われる方も心積もりが出来るってわけ。チャンピオン時代、四苦八苦しながら何とか予定を空けようとしてたのを思うとすごく楽だ。
正直な話、こうやってバーでちびちび呑みながら下らない雑談に花を咲かすなんて、以前は考えられなかった。オレさまとしては嬉しい限りだ。やっぱり最高のライバルと本人の口から明言されていたって、ちょっと物足りないって気がしてたんだ。お互い忙しくてプライベートでは全然会えない。遊んだことも、一緒に昼飯食べたのも数えられるくらい。そんな寂しい関係なのに、でもライバルとしては最高、なんてさ。少なくともオレさまは嫌だ。だって、釣り合いが取れてないのにさ。
「チャンピオンっていうのはモテてしょうがないもんだと思ってたぜ」
「そんなことない。告白されたことだってないぜ」
酔いのせいか、暖色系の照明のせいか、ダンデの瞳はとろんと溶けそうな色味をしていた。それに頬も心なしか赤いし、何より表情がすごく柔らかい。リラックスしているダンデは、いつもの気圧されるほどの覇気がない。だからか、皆プライベートのダンデを見ても少し首を傾げるだけで何も言わずに去っていく。まあ、ちょっとは変装めいたこともしてるっていうのはあるけどさ。サングラスかけたり帽子を目深に被ったり。でもそれだけだ。チャンピオン時代だったら、私服だろうがなんだろうが場所も時間も問わずに囲まれていたって言うのにな。
戯れに飛び出したダンデの恋愛ネタ。こんな話題だって初めてだ。バトルの議論は星の数ほど、世間話だって一つや二つはしてきたけど、でもこういうのは本当に初めてで。オレさまは、なんだかダンデのことを身近に感じれたような気がして嬉しくなっている。やっと、ダンデとフラットな関係になれるんじゃないかってワクワクしてる。
「へえ!え、じゃあ流れでお付き合いみたいな雰囲気にもなったことないってわけ?」
「まず俺と二人っきりになるのが無理だ。君なら分かるだろ」
「ああ………。なるほどね」
「そんな感じだったから、雰囲気なんてとてもとても」
そう言いながら、ダンデは戯けてからから笑った。オレさまはグラスに残っていたハイボールを一口飲む。もう少しウィスキーもレモンも多いほうが好みだな。まあ、自分で作ってるんじゃないから何も言わないけれど。
ダンデはオレさまをちらりと見上げて、それから手元のグラスに視線を落とした。それに、と呟く。声は小さく掠れていた。ダンデは一度唇を引き結んで軽く咳払いをして、それから顔を上げる。さっきまで蕩けるような色だった瞳が、燃えるような色味を帯びてオレさまを映す。
「………好きな人がいるんだ。その人以外とは、考えられない」
ダンデの真剣な顔に気圧されたわけじゃない。ただ、オレさまはダンデと唯一無二でありたいと思ってる。親友でもライバルでも良い。関係性は何だって良いんだ。でも、オレさまはダンデと対等でありたいし、ダンデの選ぶどんな道行きだって応援したい。
タペストリーの四枚目が脳裏に閃く。ずっと、欲しかったものがある。それが今、ようやく成就できる環境が整ってきたんじゃないかって思えるようになれた。だからオレさまは穏やかに日々を愛することが出来る。
「応援するよ、ダンデ」
グラスを置いて、向き合った。心からの言葉だった。どんな人だろう、と思わないでもなかった。けれど、そこまで踏み込んで良いものかどうか。オレさまとしては、ダンデとは全てを分かち合えると思っている。けれども、それはオレさまが一方的に思ってることであって、ダンデもそうなのかどうかは分からない。人と人だから当然だ。ちゃんと時間を掛けていかないと。焦るな、と自分に言い聞かせて笑って見せる。オレさまの笑顔とは対象的に、ダンデの顔色は曇った。
「………ありがとう。でも……」
ダンデが一瞬目を伏せた。長い睫毛で瞳の色が陰る。なかなかレアな光景だ。真正面から見る、ダンデのアンニュイな表情。こんな顔、前は絶対にしなかった。ゆるゆると顔を上げて、オレさまを伺い見るように覗き込む。そして大きく鼻から息を吸って吐くと、ごくり、と生唾を飲み込む音がオレさまにまで聞こえてきた。狭いバーカウンターに隣り合っていると、肩や膝が軽く触れるなんてことはありふれたことだ。でも、こんなダンデの様子を見て、しみじみと不思議な感情が湧いてきた。オレさまたち、こんな距離で話をしているんだっていう。スタジアムで握手を交わす時よりももっと近く、暖かく、生っぽく相手を感じる。
カウンター上に置いていた手に、ダンデの手が重ねられる。かさついていて、肉刺だらけの手だ。断りなく触れてきたことに驚く間もなく、ぐっと顔を寄せてくる。
「キバナ。君が好きだ。君のことが好きなんだ」
熱っぽい視線に至近距離から射られる。熱い吐息が耳にかかる。その顔で、本気なんだな、と思った。そうか。ダンデは、オレさまを、恋愛的な意味で好きなのか。脳裏に、いろいろなものが閃く。
天秤。タペストリーの四枚目。ライバル。二人の英雄。二つの王冠ーーーーー。
「ーーーーーキバナ、返事を」
アルコールのせいか、ダンデの声は甘く掠れた。囁かれて、一瞬、イエスと言いたくなった。許しを乞うように、ダンデはじいっとオレさまを大きな瞳で見上げてくる。きっと女の子だったら、ひとたまりもないだろう。でも、その言葉を押し止めるかのように濁流のようにオレさまの今までが溢れてくる。それをしてしまって良いのか? と、オレさまの中の何かが問いかけてくる。まだオレさまは王冠を戴いていない。それなのに、こんな形で「それ」を手にしてしまって良いのか? 「それ」は本当にオレさまの求めていたものなのか?
ずっと欲しいものがあった。それは今現在、ダンデという人間の形をしている。そう、ダンデだということに間違いはない。けれど、オレさまは、もっとーーーーー。
「………それだけ?」
咄嗟に自分の口から飛び出したのは、そんな冷淡な言葉だった。ダンデの顔から血の気がざっと引いていく。重ねられていた手が一瞬震えて、それからパッと離れていった。その顔を見て、後悔した。まちがえた。
違う。違うんだ、オレさまは、お前に、ダンデにそんな顔をさせたいわけじゃなくて、ただ単純に、オレさまとお前の関係、関係がーーーーー。
最悪だ。言葉で人を傷付けた。そんなつもりはなかったなんて、そんなの言い訳にならないくらい冷たい言い方をしてしまった。こんなにもダンデは、真心をこめてくれたっていうのに。そんな人間になんて仕打ちを。
でもオレさまは、自分の欲しいものをまだ諦められずにいる。
どう言えば良い? 何から話せば良い?
ぐにゃりと世界が歪んで、足に力が入らなくなる。どうすれば良いのだろう。同世代の人間とまともに喧嘩なんかしたことがない。怖い。どうしたらいい? オレさまは、どう言えばダンデを傷つけたことを赦してもらえる?
「悪い、違うんだ、嬉しい。ちゃんと嬉しいよ。でも…………」
対等。平等。均衡の取れた。どんな言葉でもいい。どんな関係だって良いと思っていたはずなのに、オレは、オレさまは。ずっと。
取り繕うように言葉を重ねようとして、何も浮かんでこなかった。
「………ごめん。帰る」
カウンターにダンデの分も含めた代金を置いて、立ち上がる。ダンデは引き止めなかった。さよならも言わなかった。ただ、傷付いた顔でオレさまを黙って見上げているだけだった。オレさまは最後に、「ほんとにごめん。ダンデがゆるしてくれるなら、また遊んでよ」と声をかけた。ダンデは静かに頷くと、小さく手を振ってから向こうを向いた。オレさまは長く息を吐きだして、とぼとぼとバーを後にするしかなかった。