そのヤドカリは、ほかのヤドカリと同じように毎日殻を探していました。生まれてからずっと、来る日も来る日も殻を探す毎日。自分にぴったりの新しい殻を見つけても、次の日には新しい殻を探し始めました。やがて殻が合わなくなってしまうという恐怖は、ヤドカリにとって死に通じる強迫観念となっていました。
そんな自分の生き方が嫌になったそのヤドカリは、ついに海辺に殻を置きました。風が吹き、波が寄せ、裸の背中に潮の厳しさを感じましたが、今まで背負っていた借り物の殻よりもずっと、ヤドカリの決意は固かったのです。
ヤドカリは柔らかい下半身を強化するのに五年の歳月をかけました。太陽を浴び、海で泳ぎ、栄養を摂る、ほかの生き物たちの当たり前の生活が、殻を探すことがすべてだったヤドカリには新鮮でした。もちろん、柔らかい体は危険です。殻があった方が安全です。でも、その殻は自分のものではありません。自分の新しい生き方が、生きることへの活力を生み出したのです。
やがて、柔らかい背中が硬い毛で覆われ、たくましくなったヤドカリは、自らをヤドカリズと名乗り、ヤドカリズの始祖となりました。自らの弱い面を恥じず、晒し、鍛えたヤドカリズの生き方は、若いヤドカリたちの胸を打ち、その伝説は波に乗って広がっていきました。彼らもまた殻を置き、互いの柔らかい体を守り合い、新しい道を歩き出しました。
殻を捨て、心に強い殻をもったヤドカリズの進化の過程は、始祖ヤドカリズの自分の生き方への問いと決意、努力、歳月にあったことを、海辺の生き物たちの中で知らない者はいません。
ヤドカリズ ~貝殻を背負わないヤドカリ
細くまっすぐな若い枝を意味する古語に、「楚(すわえ)」という言葉があります。「すわえ」が濁音化し、名前の由来となった細く長い脚をもつズワイガニたちは、深海の海底に落ちている魚などを食べて暮らしていました。
群れの中に、正義感が強く勇敢な若いズワイガニがいました。彼はハサミを振り上げ、大きなミズダコから仲間を守り、一匹も捕らえられることなく岩陰に導いたことから、群れのヒーローとなりました。
ある日、飢えたオオカミウオが群れに襲いかかりました。不意を突かれたズワイガニたちは逃げまどい、盾となった英雄は3対の脚を噛み砕かれ、残る1対の脚も関節が前に曲がってしまいました。
群れを守るヒーローとして生きたかった若者は夢を失い、次に襲われるときは真っ先に自分自身が命を失うことを悟りました。しかし、自分がおとりになることで、群れを守ることができると考えた若者は、仲間のために死ぬことが新たな生きる希望となりました。
やがてその日が訪れました。襲ってきた敵はこの間のオオカミウオでした。覚悟を決めていた若者は、鋭い歯をむき出しにしたオオカミウオの前に再び立ちはだかりました。そして、横に逃げる仲間たちから注意をそらすために、ハサミを大きく振り上げて突進しました。2本脚のヒーローは、一瞬ひるんだオオカミウオの横を素早くすり抜け、全速力で走り続けました。慌てて追いかけるオオカミウオを、遠く遠く深い深い深海へと迷い込ませることに成功したのです。無事に戻って来た若いズワイガニは、再び群れのヒーローとなりました。
前に曲がった関節を使い、力強く海底の砂を蹴って走る若いズワイガニの姿は、深海の生き物たち、とりわけ体の一部を失った生き物たちに、生きる勇気と希望を与えました。カニたちの間では、当たり前に歩いていた横歩きから、前に向かって踏み出してみる者や、そのために必要な脚以外を退化させたり、自ら関節の向きを変えたりする者が現れました。
二足歩行を意味するバイペダルズワイガニは、進化の可能性は海のように無限に広がっていることを教えてくれたのです。
バイペダルズワイガニ ~二足歩行するズワイガニ
自然界の掃除屋さんといえば、ダンゴムシ。落ち葉や小動物の死骸などを食べて無機物に分解し、土壌を清潔に保ってくれています。ダンゴムシといえばまず濃い灰色のオカダンゴムシをイメージしますが、メスは茶色く、黄色い斑点模様が見られます。メラニン色素をもたないアルビノは白く、イリドウイルスに感染すると青くなります。世界には白黒のゼブラ模様のダンゴムシや、カラフルなドット模様のダンゴムシもおり、海岸で暮らすハマダンゴムシはさらにカラーバリエーションが豊かです。
このお話のダンゴムシは、背面ではなく腹部に鮮やかな赤と黒の模様がありました。警告色は周りの生き物だけでなく仲間からも警戒され、落ち葉の下で孤独に寂しく暮らしていました。
ある日、朝鮮半島まで冒険に出かけて帰って来たハネミミズが、ダンゴムシの暮らす落ち葉に着地しました。腹部の模様を見たハネミミズは、朝鮮半島で見たスズガエルの話をしてくれました。興味をもったダンゴムシは、かつてオカダンゴムシの祖先が船の積み荷に乗って日本へやって来たように、朝鮮半島行きの船に乗り、スズガエルに会いに行きました。
スズガエルは、見た目は黄緑と黒のまだら模様でヒキガエルに似ていましたが、イタチが近づくと、急に仰向けになって腹部の警告色を見せつけました。丸くなることしか身を守る手段を知らなかったダンゴムシは、スズガエルの防御行動に衝撃を受けると同時に、自分の腹部は敵に警告を与えられるということを知りました。このスズガエル反射は、ドイツ語でスズガエルを意味するウンケン反射とも言われています。スズカエルから、ウンケン反射は日本のアカハライモリにも見られることを教えてもらったダンゴムシは、再び長い船旅で帰国すると、アカハライモリのもとへ訪れ、弟子入りを志願し、瞬時に仰向けになる修行を積みました。
そして、ついに甲殻類で初のウンケン反射をマスターしたダンゴムシは、両生界からウンケンダンゴムシと名乗ることを認められました。
二つの防御行動を手に入れたウンケンダンゴムシですが、肝心の毒素を生成することはできませんでした。ダンゴムシにとってカエルやイモリは天敵です。ウンケンダンゴムシは師匠たちを怒らせないように、両生類とのトラブルはすぐに丸くおさめるように気を遣って暮らしているということです。
ウンケンダンゴムシ ~腹が赤いダンゴムシ
ご祝儀袋やお正月飾りに使われている飾り紐を、水引(みずひき)といいます。水引の結び方にはそれぞれ願いがこめられています。結び目がほどけないように中心で固く結んだものを結び切りといい、その中でも両端が輪になったものを、あわじ結びといいます。
そのテッポウエビは和歌山の海で暮らしていました。ひときわ鮮やかな紅白模様をもつコトブキテッポウエビは、寿の名にふさわしい生き方を望み、祝い事に特化した進化を遂げていきます。
まず、腸管である背わたが体外に飛び出し、あわじ結びのような形に変化しました。末長く続く幸せを背負ったコトブキテッポウエビの姿は、同じく紅白模様のニシキテッポウエビとの違いを際立たせ、まさに寿そのものとなりました。
ミズヒキコトブキテッポウエビとして新たな道を歩み出したそのテッポウエビは、やがて生態にも大きな変化が起こりました。本来は敵を驚かせたり気絶させたりするための砲撃を、角度を少し上げ、祝砲としてのみ打ち上げるようになったのです。
ミズヒキコトブキテッポウエビが片腕を斜め45度に上げ、素早く大きなハサミを閉じると、ハサミの隙間から高速のジェット水流が噴出します。このジェット水流によって周囲の水の圧力が瞬間的に低下し、キャビテーションバブルが発生します。気泡は一瞬膨らみますが、周囲の水圧に押されて潰れる瞬間、内部の温度が約 4400℃ に達し、電子の飛び交うプラズマが発生します。この祝砲の崩壊は、青白い光を放つと同時に218デシベルの音を伴う衝撃波を発生させ、海底で暮らす数キロ離れた魚たち、とりわけハゼたちから歓喜の拍手が巻き起こります。
さて、なぜこの祝砲が打ち上げられると、ひときわハゼたちが喜ぶのでしょう。それは、巣穴を掘るテッポウエビと、見張り役のハゼは、あわじ結びのように固く結ばれた共生関係にあるからです。ミズヒキコトブキテッポウエビが祝砲を響かせるのは、親友であるヤシャハゼの結婚と出産のときなのです。
寿の名にふさわしい生き方を望んだコトブキテッポウエビは、寿の名に恥じぬよう、闘いのためではなく、親友の幸せを祝うときのみにハサミを閉じるようになりました。こうしてミズヒキコトブキテッポウエビは、これまでのほかの生き物の進化には見られない、お祝い事に特化した進化を遂げたのです。
ミズヒキコトブキテッポウエビ ~祝砲を打ち上げるテッポウエビ